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『車輪の下で』(読書メモ)

ヘルマン・ヘッセ(松永美穂訳)『車輪の下で』(光文社古典新訳文庫)

大学生の頃に読んだが、すっかり忘れていたのであらためて読んだ。

田舎の秀才ハンスは、猛勉強の末に、難関の神学校に2番の成績で入学する。そこで孤高の詩人で異端児のハイルナーと出会ったハンスだが、彼が退学させられると、ノイローゼになり、成績もガタ落ちになってしまう。その後、学校を辞めて故郷に戻り、機械工としてやり直そうとしたが…。

解説によれば、この小説はヘッセの自伝的小説であり、ハンスとハイルナーはヘッセ自身の姿を投影させたものらしい(実際、詩人を目ざしていたヘッセは神学校を脱走している)。

本書の中で印象に残ったのは次の箇所。

「学校の先生はクラスに天才が一人いるよりも、正真正銘の鈍才が十人いる方を喜ぶものである。それはもっともなことである。というのも、教師の課題は極端な人間を育てることではなく、ラテン語や計算のできる小市民を養成することにあるからだ」(p. 154)

「そういうわけで、学校や時代が変わっても掟と精神のあいだの闘争という茶番がくりかえされ、我々は常に国家と学校が、毎年出現する何人かの価値ある深遠な精神を、たたき殺し根元で折り取ろうと息を切らして努力している様子を目撃するのである」(p. 155)

このことは、学校に限らず、企業においても当てはまるのではないか。

大企業においては、会社を根本から変えるポテンシャルを持つ「虎」のような学生よりも、従順で利口な「犬」のような学生をとりたがるからだ。特に日本企業はその傾向が強いように思える。

ちなみに、「虎」であるヘッセは、神学校を辞めたあとギムナジウム(高校)に入るが、そこも辞め、職を転々とした後、書店に勤めながら小説を書き出した。そして、27歳のときに『ペーター・カーメンツィント』で有名作家になる。

日本社会の虎たちは、どのような人生を歩んでいるのか、気になった。












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