報道
仏、核影響を人体実験
61年 サハラ砂漠で実施
軍機密文書
フランスが行った核実験で仏軍兵士を「人体実験」に利用した実態の全容が、軍の機密文書で明らかになりました。(山田芳進)
数百人の兵士を直後の爆心地に
問題の核実験は、1961年4月25日、当時フランス領だったアルジェリアのサハラ砂漠・レガーヌで実施された地上核爆発実験「緑のトビネズミ作戦」のこと。
同作戦については、長らく公にされることはありませんでしたが、98年2月5日発売の週刊誌『ヌーベル・オプセルバトゥール』が作戦の一部についてスクープ報道。今回公表された機密文書は、98年に作成されたものとみられ、当時の報道を裏付ける形となりました。
同文書によると、作戦は、核爆弾の使用を想定し、兵士に与える身体的・心理的影響を調査することが目的。数百人の兵士が、爆発20分後に爆心地から650メートルまで徒歩で、戦車部隊は爆心地300メートル以内に前進させられました。作戦は3時間続きました。
そして「(防毒)マスクは必要ない」「特別な予防はしなくても、(被爆地に)短期間なら滞在できる」などの結論を引き出しました。
同文書は、核実験被害者の支援活動も行う「平和と紛争に関する資料研究センター」(CDRPC=84年創立、本部リヨン)が入手したもの。先週発売の機関紙の最新号にその一部を発表、またパリジャン紙が16日付でホームページに260ページの全文を公表しました。
フランス国防省は07年、このような作戦があったことは認めつつ、関係者の被ばく線量は、日常生活で年間に受ける量と変わらず、健康に影響はないとの立場を示していました。
CDRPCのブブレ理事長はパリジャン紙に対し「作戦に参加した人間の社会的・医学的影響を一切考慮に入れないというのは、犯罪的だ」と糾弾しました。
フランスは、60年2月13日の第1回から96年まで、サハラ砂漠や南太平洋で210回の核実験を実施。うち4回の地上核実験をサハラ砂漠で行っています。
今回公表された文書について、モラン国防相は「知らない」としていますが、文書には全4巻の第1巻と書かれており、全容の解明が待たれます。
このようなことはフランスだけではありません。
アメリカの退役軍人の方から直接核実験場の警備に参加し、爆発のときだけゴーグルをはめて後ろ向きに座った。
ぴかっと光ったとき背中が熱つかったと・・・・・完全に被爆しています。彼は以来、変な病気にばかりなると言っていました。ロシアでも中国でもイギリスでも同じようなことがおこされています。
アメリカでは、被爆者に何の保障もありません。
■関連キーワード
五輪バイアスロン
アイドル級の人気 独のノイナー初V

バンクーバー冬季五輪第5日の16日(日本時間17日)、バイアスロンの女子10キロ追い抜きで優勝したマグダレナ・ノイナー(23)。ゴールし た瞬間、キュートな笑顔がはじけた。バイアスロンの盛んなドイツでアイドル的人気を誇る若きエース。初めて挑んだ五輪で栄冠をつかみ、「大きな夢が実現し た」。
追い抜きは、ノイナーが銀メダルを獲得した7.5キロスプリントの成績順にスタートする。スプリント優勝のクズミナ(スロバキア)から0秒02差で走り出し、序盤は一騎打ちの様相だった。
しかし、クズミナが2度目の射撃で1発外し、ペナルティーコース(150メートル)に回ると、その間にリードを広げた。自身も3、4度目の立射で 1発ずつ外し、一時はクズミナに約6秒差まで詰め寄られたが、「まだ大丈夫だった」とスタミナに余裕を持って最後の1周を力走。差を12秒3まで広げる会 心の勝利だった。
ドイツ最南部のリゾート地、ガルミッシュパルテンキルヘンの出身。幼いころからスキーに親しみ、9歳で競技を始めた。16歳でプロのバイアスロン 選手になり、07、08年の世界選手権で3冠を達成。2季前には史上最年少21歳でワールドカップ(W杯)総合優勝を果たした。
身長165センチで、趣味はハープを奏でること。愛らしい笑顔もあって、ドイツではテレビや雑誌で取り上げられる。
7.5キロスプリントに続き、これで2個目のメダル。「すごくいい気分。きょうは私の日」。9日に誕生日を迎えたばかりの23歳の表情には既に貫禄が漂っていた。【立松敏幸】