柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

豆炭

2022-12-04 10:50:12 | Weblog

豆炭話、承前。まめたんと正しく読める者が少なくなっているでしょうね。その名の通りに小さい長径5㎝くらいの楕円形(あるいは角の丸い菱形)の炭です。炭と言うても火鉢で熾すような木の形をとどめた木炭ではなくて、炭を練り固めて楕円形にしたものです。これを火鉢にいれることもそれはアリなのですが、うちでは専ら寝具こたつ用でした。周りに石綿を敷き詰めた容器の中央に豆炭を置く、それをタオルや専用の袋で覆って足元に置く。あんかです。湯たんぽというのもありましたが、当家では使ってなかったです。冷めるのが早かったんじゃないですかね、こちらは熱湯入れて冷めるに任せるわけですから。でも、必ず冷めていきますから低温やけどの危険はないです。熱ければ蹴り出せばいいんですから。それは豆炭あんかとて同じですが、今考えるにこちらは火が着いてるんですねずっと。火事とかCO中毒とかどうだったのでしょうか。そんな危険より冬の暖という、今考えると暖房=火(炎)しかなかった時代の乱暴さのようにも思えることです。今想定しているのは私が小学低学年時分です、前回の東京五輪の頃です、昭和39年前後。冷蔵庫、洗濯機などの白物家電が各家庭に揃い始めるころ、カラーTVが出始めた頃(近所の金持ちさん宅で初めて見たとき、ジャングル大帝のあのオープニング画面をカラーで見た時の感動は今も覚えてます)、新聞のTV欄にカラー放送の番組にはわざわざカラーと表記があった時代、毎朝牛乳配達されるのが普通だった時代(各戸玄関に牛乳入れる木箱が備えられていた時代)、瞬間湯沸かし器なんてなかったでしょうまだ。家庭の冷蔵庫の中にジュースが常備されるようになった頃でもあります、三ツ矢サイダー、キリンレモン、バヤリース、武田のプラッシー。まだコカ・コーラやファンタ、ミリンダはなかったか一般的ではなかったでしょう。もちろんクーラーなんてはなく夏は暑いまま、暖房装置ももっぱら「火」です、火鉢とあんか。灯油ストーブもあったはずですが、うちにはなかったです、まだ高価だったのでしょうか。公共施設の暖房は石炭ストーブでしたかね。キリ炬燵ってのは昔からありますが、これは大きな家とか旧家にでんと据え付けられてる代物で、あの時代のほとんどの家庭、卓袱台出し入れや布団の押し入れへの出し入れが日常の家にはありはしません。そこで登場してくるのが電気こたつ、ホーム炬燵というやつです。こたつ布団をめくっては電熱線の赤い光が嬉しかったもんです(当家にやってきたのはうんと後でしたが)。TVはもちろん白黒で、まだ家具調の大きなもの、居間に鎮座増します感じの、応接室に重々しいインテリア然と飾り付けられているステレオセット(ターンテーブルとスピーカーのセットです)と同様の存在で、うちにはペラペラの拡大レンズが画面前にぶら下がっていて、使わぬ時にはレースか何かの覆いがしてありました。そういう存在でした。で、冬の夜は火鉢です。寒かったはずですがね、今から思えば。でも、それしかないんですから、比較の対象がないのですからこんなもんじゃです。どてらや袢纏を着込んでTV観てましたねぇ。布団も毛布も今のような工夫されたもんじゃないです、薄くてかたいのを何枚も重ねてそして豆炭あんか。学校から帰って豆炭熾すのが私の仕事でした。もう少し年令がいくと風呂焚きです。五右衛門風呂ですから焚くのです。ガス焚きの風呂になるのはもっともっと先の話です。さすがに薪集めや薪割りとかの経験はないのですが、右肩上がりの経済復興するその道すがらの空気や風景を実際に体験した最後の世代です、この手の思い出話には事欠きません。それだけよく覚えているのです。

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