大阪雑居ビルの精神科クリニックでの放火事件、まさに京都アニメーション事件の再現の様相です。向こうが30数人、こちらが20数人の犠牲。雑居ビルとの呼称がその雰囲気や環境まで表しますが、ああいう場所だから行きやすいという利点や需要がきっとあるはずで日本中に存在するわけです。こんな事件が起こるたびに災害識者や元消防キャリアがしたり顔で解説するのですが、出入り口が一つしかないこと、逃げる階段が一つしかないこと、換気ができぬ密室性などステレオタイプの非難ばかりです。行政の防火対策検査には合格していたとこれもメディアのチェックポイントですが、だからどうしたんだよ!この事態をどうしてくれるんだ行政が?という話です。築何十年のビルを今更耐震基準耐火基準に沿って建て替えるなんては非現実的です、できやしません。だからごまかしごまかし過ぎている、これが実態です。火が出ぬ限り、酷い地震が来ぬ限り、現状でいいわけです。これが世の中です。まさに猥雑。あなたも私もこういう世の中に生きているのです。
森友裁判の、「認諾」といういかにも法律用語らしい生硬で聞きなれぬ言葉でもって何か特別の解決方法のように思わせる素人騙しでチョンとなりそうな流れを受けて、サンモニの連中は憤って見せてました。問答無用に、金支払えばいいんだろうとの態度がいけない、その金も彼に改竄を指示した者が支払うんじゃない、税金だ我々の金だと来ますいつもの道筋です。我々の税金。国会議員の給料(歳費)や今問題になってる月100万円支給されるというなんちゃら交通費を論議する時にもいつもこういう前置きです、我々の税金、血税を無駄遣いするな!確かに税金を取り立てての公共事業です国家経営ですから、その論は間違ってはいないにしても、誰の金と思うてるのか?と言い過ぎるはどうも卑しい感じが拭えぬのです。どこかの頑固おやじが「かまどの灰までわしのもんじゃ!わしの言うこと聞けぬなら出て行け!」と女房子供に言い放つ場面に似てませんか。もちろん税金の無駄遣いするなはつまり納税者(国民)の納得する使い方しろ、お前たち(行政)の失策の後始末に無闇に使うなということだとはわかりますが、今回の一億五千万円はその納税者の一人に要求された賠償額そのまま支払われるのですわ。無駄遣いじゃないですわね実は。原告の奥さんが金が目的じゃないと怒ってますが、裁判はこうやって運ばれる決まりでしょうし。我々の税金。そうなんでしょうけれども、です。いかが思われますか。