国連での米朝間の悪口合戦をサンモニの左翼さん達は言います、こんな場で拉致事件を殊更に言挙げして改めて政治マターにするな、十年以上前からずっと言い続けていなければならぬことだろうとのトンチンカン、麻生さんがどこかで朝鮮に一旦緩急あれば難民が押し寄せる、その中に武装難民も混じるだろう、どう対応するか?と話したそうで、それに噛みついてよく出てる若い女論者が言ってました、武装難民なんて概念はない、そうやって難民を排除する考え方はいかがなものかと。はぁ・・。概念って何?現に尖閣に押し掛けてるのは偽装漁民でしょう?きっとあれこれ武器持ってますよ。学者気どりはいいのですが、現実離れした空論振り回しで済むのは楽なことでしょうな。もう一つその番組で安倍さんの国会演説のテロップ(文字起こし)が流れましたが、何度も繰り返したという意味で「いっさいならず」と話していたのでした、NHKだかは正しく一再ならずと表記してましたが、今朝見ていると一切ならずとやってました。その後訂正しませんからクレーム電話がなかったのでしょうね。意味が全然違うのに、と嗤うことでしたが、コンピウタによる漢字変換に馴れるとこうなります。誤字脱字は、それが単純な間違いであれ、書いた人への見下しを呼びます。自戒せねばならぬと思うのです。
誤字脱字と同類の事ですが意味の取り違え、新たな表現の根付き等々についての記事が載ってます。あとで後悔、一番最後、元旦の夜、従来から、まだ未提出という重複に対する違和感はいかがですか。馬から落ちて落馬した、頭痛が痛い、今朝の朝刊、この方向に向かうなどなどこの手の重複表現は昔から笑い話になっていることですが、この五つは違和感ないですよね、少なくとも話し言葉で使う分には。文章にする時には訂正する箇所ではありますが。ちなみに元旦とは元日の朝のことです、旦には朝という意味があります。新しい表現には、心が折れる、目が点になる、あさっての方を向く、背筋が凍る、毒を吐くが挙げられてます。いかがですか。世代間の違いがあると記事にありますがそうでしょうね、言葉は変わっていくものですから。KYとかのあれこれの略語やうざい、きもい等々既に置いて行かれてる言葉が多い年代の一人ですが、この五つはわかりますよ。特にあさっての方を向く的な表現はもっとあります、おととい来やがれとか一週間に十日来いとか。こういうのは脈々たる日本語の文化でしょう。さらに慣用句の誤用、これも昔からよく指摘されるもので、今回は存亡の危機が挙がってます。正しくは存亡の機なのだそうです。へぇ。足下をすくわれるではなくて足をすくわれる。口を濁すではなくて言葉を濁す。ふむふむ。そして意味の取り間違え。知恵熱とは何ですか?普段勉強などしない者が本読んだりして詰め込んだ時に頭痛くなったり調子悪くなったりしたのを揶揄する時に使いますよね、本来は乳幼児の急な発熱を指すのだと。そう言われるとああなるほど、知恵がつく頃の熱ねぇと納得しますが。ぞっとしない、はどうです?私はよく使います、そんな話はぞっとせんなぁとか。ゾッとする、恐ろしく思うではなく、気が向かんなぁ、適当とは思わんなぁというニュアンスで使ってます。それが正しいそうです。話のさわり、は?例えば歌とか物語とかを紹介する時に、ではさわりを少しだけ、なんて言いますね。初めの部分を言うことが多いですね実際には、でも本来は要点、エッセンスのことです。これは誤用が多いでしょうね。障りとももちろん違います。情けは人の為ならず。これが誤用の典型としてよく挙げられますが、もちろんこれだけではなく。しかし言葉はどんどん変わっていきます、全然という形容詞もこのトンガリオヤジも最近は全然OKよなんて使ってますし。辞書にも残らぬたくさんの流行語と、辞書にしか残ってない言葉と。言葉こそが文化ですから。
誤字脱字と同類の事ですが意味の取り違え、新たな表現の根付き等々についての記事が載ってます。あとで後悔、一番最後、元旦の夜、従来から、まだ未提出という重複に対する違和感はいかがですか。馬から落ちて落馬した、頭痛が痛い、今朝の朝刊、この方向に向かうなどなどこの手の重複表現は昔から笑い話になっていることですが、この五つは違和感ないですよね、少なくとも話し言葉で使う分には。文章にする時には訂正する箇所ではありますが。ちなみに元旦とは元日の朝のことです、旦には朝という意味があります。新しい表現には、心が折れる、目が点になる、あさっての方を向く、背筋が凍る、毒を吐くが挙げられてます。いかがですか。世代間の違いがあると記事にありますがそうでしょうね、言葉は変わっていくものですから。KYとかのあれこれの略語やうざい、きもい等々既に置いて行かれてる言葉が多い年代の一人ですが、この五つはわかりますよ。特にあさっての方を向く的な表現はもっとあります、おととい来やがれとか一週間に十日来いとか。こういうのは脈々たる日本語の文化でしょう。さらに慣用句の誤用、これも昔からよく指摘されるもので、今回は存亡の危機が挙がってます。正しくは存亡の機なのだそうです。へぇ。足下をすくわれるではなくて足をすくわれる。口を濁すではなくて言葉を濁す。ふむふむ。そして意味の取り間違え。知恵熱とは何ですか?普段勉強などしない者が本読んだりして詰め込んだ時に頭痛くなったり調子悪くなったりしたのを揶揄する時に使いますよね、本来は乳幼児の急な発熱を指すのだと。そう言われるとああなるほど、知恵がつく頃の熱ねぇと納得しますが。ぞっとしない、はどうです?私はよく使います、そんな話はぞっとせんなぁとか。ゾッとする、恐ろしく思うではなく、気が向かんなぁ、適当とは思わんなぁというニュアンスで使ってます。それが正しいそうです。話のさわり、は?例えば歌とか物語とかを紹介する時に、ではさわりを少しだけ、なんて言いますね。初めの部分を言うことが多いですね実際には、でも本来は要点、エッセンスのことです。これは誤用が多いでしょうね。障りとももちろん違います。情けは人の為ならず。これが誤用の典型としてよく挙げられますが、もちろんこれだけではなく。しかし言葉はどんどん変わっていきます、全然という形容詞もこのトンガリオヤジも最近は全然OKよなんて使ってますし。辞書にも残らぬたくさんの流行語と、辞書にしか残ってない言葉と。言葉こそが文化ですから。