柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

諦観

2014-08-21 08:20:39 | Weblog
特別警報なく避難遅れ。生かされない教訓。毎日新聞の見出しです。特別警報が出ていたところで深夜の大雨です、現実問題として変わりはなかったでしょうが、安全地帯にいる正義の味方達は必ず非難します。相手が行政ですから言いたい放題です、受ける側も誰の所為でもないことですからあれこれ言い訳しておけばよろしい、われわれはマニュアルに沿って対応していたと。中国新聞がさすがに地元紙です大報道です。しかしあれだけ上の方から山が崩れて来た日には対策などありませぬ。ああいうところに家を建てた、住んでいたことの不運でしかありません。バックビルディング現象と(どうして日本語にしない?横文字で表現すれば、しかもバックもビルディングも殆ど日本語ですから馴染みがあると思ってるのでしょう、上等のように思うこの安直さが気に入りませんが)しきりに天気予報士達がしたり顔で話してます。何?次々と雨雲が湧きたち重なって行く現象のようです。勢いの弱い太平洋高気圧の西縁にあたる豊後水道から湿った空気が前線に向かって吹きこむ、次々に雨雲ができる、大雨を降らす、そういう解説です。丁度その通り道に彼の被害地があったというわけです。これも不運でしかありません。そしてTVではこの手の災害の専門家というのが呼ばれて、どうすればいいんだ?なんて質問に、役にも立たぬ一般論をいうだけです。避難勧告等にはもっと敏感になれ、異変に早く気付け、常に危険に対して意識しておけ。そんなこと今更言われんでも皆わかっている!専門家の言葉ってのがいかに上っ滑りかを示す好例です。現実に即してない、あくまで常識論一般論総論概論です。逃げるしかないのです。逃げられなければ潰される。そこを分けるも運不運です。そこは根源的な諦観です。そう思うばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする