柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

神話

2009-09-02 08:05:43 | Weblog
中国新聞に共同通信社記者の解説文が載ってました。自民党は経済成長が全てを良く回すと言う神話を信じすぎて、現実に対応できずに沈んだと。高度成長期と、現代とは違うのだと言う論理です。言い古されている、聞き飽きた感さえある理屈ですが、そうよねぇと妙に同意してしまいました。日本にはもうモノが十分にあるんだ、内需はもう一杯一杯なのだ、だのに経済発展さえすれば世の中がうまく回りだすと視野狭窄だという論です。アメリカのとんでもない豊かな物質社会に憧れるばかりで、周りを見れば何もない戦後復興時代の飢餓感、敗北感そこから湧き出るモチベーションやら向上意識やら、挙げればキリのない現代との差。それもこれも国民挙げて大復興を遂げて金もモノもこの手に入れた日本国民の辿りついた先という皮肉ではあります。モノはあふれている。その通りです。携帯電話が象徴的でしょう、便利とわかればあっという間に国中に広がります。ないないと言いながら、皆お金は持ってます。ここです。その昔、一億総中流なんて表現がありました、生活レベルが頂点に届こうかというとき、頂点でその高みを保っている時のことです。年功序列、終身雇用、護送船団方式・・今となれば古人の理想とした鼓腹撃壌の現代版だったんじゃないかと思われるほどの太平な時代でしたが、徒な平等主義との批判、銘銘の力にあった評価をしろ、給料上げろなんていう能力主義、市場原理主義、金融至上主義にとって代わられ、とうとう小泉竹中という、戦後日本が選んだ道筋「軍事より経済(生活)優先路線」の先に必然的に出てくるべきシンボルに潰されました。グローバル世界なんてのは単なるアメリカの戦略であって、それこそ世界のスタンダードでも何でもありません。日本は日本、でよかったんですね。そんな自分勝手なこと言ってて外交ができるか?という反論なのでしょうが、だからといってこちらを向こうのいいように変える必要なんかこれっぽっちもなかったんです。そこを竹中が旗振って、小泉が派閥政治に対する積年の恨みで自民党ぶっ壊したかっただけなのに、思い間違えて日本まで壊しちゃったと言う図です。そうですね。実際の労働やモノの代わりとして存在する金(貨幣)ではなくて、空想上の金だけが膨らむだけ膨らんで実態が全く伴わない(これをバブルって言うんでしょう?)取引が主流になる。モノのない時代には想定すらできぬ現象なんでしょうね。が、これが現代です。金もなくなってくる(給料が増えない)けれど、買いたいものもない(皆持ってますから、いわゆる飽和状態)。エコカーがこの不況を破る寵児のように言われますが、車なんて家に一台二台で十分です、買い換えるってもそんなに頻繁にはねぇ。だからこれも一時的。だから内需だ!と言う考え方と、もう内需は一杯という悲観論。でも、どれもこれも私達の親、祖父母の世代が築いてくれた現状ですからね。もう一度足元見ないといけないんでしょうね。モノ売れば経済が良くなる。じゃなくて、労働の対価としての金の意義。マルクス論に戻るんでしょうかね。経済神話はいまや崩れているんでしょうか。
コメント
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