朝日新聞の夕刊で、このところ里親・里子の問題を扱っている。人脈記「親になる 子になる」
11日付では、牧師の山中正雄・ゆかり夫妻の問題を扱っていた。
私は山中先生の「皆さん、里親になって下さい」という訴えを昨年の講演会で聞いた。しかし、反抗する里子の記事を読んで、やはり里親になるのは生半可な覚悟で気軽になれるものではないと改めて感じた。
しかし、記事の主体は里親の大変さだけではなく、ある死刑囚の青年との交流だった。幼い頃から虐待、いじめで悲惨な少年時代を過ごした彼は、相手を残虐に殺し、死刑判決を受けた。山中夫妻が自分と同じく虐待を受けた子を里子として育てていると知って、手紙をよこしたという。
100通にのぼる文通で、彼は洗礼を受け、受刑者を励ます存在になっているという。山中夫妻が彼の「心の支え」になれたのは、大変な思いをして里親を続けてきたからこそだろう。大変だけれど、素晴らしいことだ!
NHKEテレも福祉ネットで、同じ問題を扱っていて、ラジオのパーソナリティーの小島慶子が本音で語って問題をあぶりだしている。
昨日は里親が、里子を育てられなくなって元の施設に戻す「措置解除」を話題にしていた。これは、里親・里子のどちらにとっても限りなく辛い出来事だそうだ。・・・しかし、これ以上続けると里親家庭が崩壊してしまうというところまで追い込まれた結果と聞くと、仕方ないことと思わざるを得ない。
「里親」・・・大変ではあるけれど、今の日本で本当に必要な役割であると思う。私のやっている「ふるさと里親」は養育里親に比べたらその苦労は何十分の一かに過ぎないが、それすらやろうという人は少ないようで、悲しい。
里親にはなれないにしても、せめて「里親を助ける、里子を温かい目で見守る」ことなら誰にでも出来るのではないだろうか。(つまりは、身近にいる親子を見守ると言うことだが)
先の死刑囚の青年はこう書いていたそうだ。
「私にとってこわいのは死刑よりも人から見捨てられることです。私のような人間はもう作らないで欲しい」
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