亡くなられた有賀先生との思い出をたどるうちに、ふと思いました。
いままでお世話になった先生方は、ご存命で今もお元気だろうかと・・・
早速、高校時代の先生をネットで調べてみました。すると、丹羽喬先生が今もお元気であることがわかりました! 善は急げと、13日の礼拝に行ってきました。
事前に恋ヶ窪教会へお電話して、その日は礼拝に参加されることを確認しました。いやはや、何年ぶりでしょうか?先生は私を覚えていらっしゃるかしら・・・
私がまだうら若き乙女?の時代の話です。丹羽先生は麻布の霞町教会の牧師でした。その頃私はまだ洗礼を受けていませんでしたが、友人Mの誘いで渋谷のHi.B.Aの火曜日集会に参加して、聖書を読むようになっていました。
いつからだったか思い出せませんが、すでに洗礼を受けていたMが、ウチの牧師は面白いから会いに行かないかと私を誘いました。霞町教会は学校の近くで、バスで終点の日赤産院前で降りるとすぐでした。
丹羽先生は笑顔がとっても人懐こくて、牧師という威厳?を感じさせない方で、とても話しやすい方でした。私達は毎週一回、何曜日だったか忘れましたが『牧師面会日』に訪ねるのが習慣になりました。 いつ行っても、笑顔とお菓子と飲み物で気持ちよく迎えて下さった先生は、若かりし頃の恋の失敗談なども包み隠さず話して下さって、とても親しみが持てました。私達の疑問にもいつもユーモアを持って答えて下さり、本当に会話そのものが楽しめる貴重な時間でした。
その後は日曜日の礼拝にも時々参加していましたが、私も高校三年の時に受洗したので、その教会に通うようになり、霞町からは足が遠のきました。
そして、大学、就職、結婚、育児・・・・あっという間に約50年が過ぎました!半世紀です!
恋ヶ窪教会で牧師を引退し、名誉牧師となられた先生。今は奥様と隣接している幼稚園でお働きのようです。すごいなあ、まだ現役でお働きとは!
教会へ向かいながら、先生は私のこと覚えていらっしゃるかなあ、まあ、無理だろうなあ、でもひょっとして、などとあれこれ考えを巡らせていました。
会堂へ着いて、中に入りましたが先生らしき方が見当たりません。小さな会堂なのでスグわかるのです。急に体調でも・・・
礼拝開始時間の直前に入ってこられた男性・・・丹羽先生です。先生は私の座っていた椅子の前を通られて、ちらっと目が合いましたがそのまま通り過ぎました。お元気そうな様子にほっとしました。
その日は「召天者記念礼拝」でした。説教は柿島文人牧師。『栄光の座に共に加わる』という題で、とてもわかりやすく、しかも深い内容の素晴らしいものでした。
礼拝後、新来会者の紹介があり、私は簡単に「昔、丹羽先生にお世話になった者です」と話しました。
皆さんが愛餐会の準備でざわついている中で慌ただしかったのですが、先生ご夫妻と少しだけ話すことが出来ました。先生は私の旧姓を告げても、Mと一緒に通ったことや、思い出などをいろいろ語っても、なかなか思い出せないようでした。「もう、耳が遠くなって」と、申し訳なさそうにされていました。奥様の方が「よく来て下さった、嬉しい」と歓迎して下さいました。
先生、忘れられて当然です。 でも、お元気で良かったです。昔のお礼も告げられて良かったです。
どうぞ、まだまだお元気でご活躍下さい。
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