映画を見て、もっと知りたくなり、「沈黙」の原作を買って読みました。
やはり、読んでみて初めてわかる事が色々ありました。(昔にも読んだはずですが・・・)一番は主人公ロドリゴの抱く信仰がどんなものだったのかということ。そして転んでから本当に変わってしまったのかということ・・・さらに、彼の師であるフェレイラの内面も、映画で語られることとは少し違って感じられました。
更に、遠藤の晩年の傑作と言われる「深い河」もネットで探して購入。・・・こちらは「沈黙」よりも読みやすくて、二冊を並行して読んでいたのですが、先に読み終わりました。
「深い河」も映画化されています。実は、この映画の現地撮影が終わった後、私はインドに旅行に行っていたのですが、私達のグループの案内人のインド人父娘が、ロケ時も通訳として同行していたようです。(娘さんの言葉によると、ヒロインが全然美人じゃないのでビックリしたとか。秋吉久美子はインド美人から見ると、美人の範疇に入らないらしいですね) そのせいか、映画の存在を知りながら見損なって今日まで来てしまいました。(いま、探しても見当たりません!見たいです!)
「沈黙」は史実に基づいた作品で、簡単に言えばカトリック司祭が転ぶ、つまり棄教し、日本人名を名乗り、死ぬまでの話です。
ザビエルが伝えた後、たくさんの司祭がやってきて、日本人の信者は多いときで40万人もいたそうですが、この本では、彼ら日本人の神は、キリスト教の神ではなかった、日本人流に解釈された神に過ぎないと語られています。 日本人信者の口から、その信仰が語られることはないので、どんな神を信じているのかは確かに判然としません。極度の貧しさと、飢えと労働に虐げられ続けてきた民が、天国では幸せになれると信じて信仰の道に入った・・・のかもしれません。
「沈黙」では、「日本人信者」として気持ちを語るのは、あの「キチジロー」だけです。踏み絵を踏み、仲間を裏切り、しかしどこまでも司祭を追い続ける男。潔さ等かけらもない男・・・でも、彼の弱さが私に一番近い気がしました。
「深い河」・・・これを読むと、「沈黙」よりさらに深く信仰とは何か、人は何のために生きるのか、宗教に違いがあるのか、など、本当にいろんな事を考えさせられます。特に、神父であろうとしながらも、異端的に扱われて破門され、インドまで来て、ついには行き倒れの死体をガンジス河まで運ぶことを自らの勤めとする大津という男性はロドリゴと似た役割を果たしていて、興味深いです。遠藤は彼をはじめ、この物語に出てくる登場人物たちを自分の分身のように丁寧に描いています。最後まで、遠藤自身、「日本人とキリスト教」問題に揺れ動いていたのでしょうか・・・
3月の読書会が楽しみです。
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