お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

「感謝が足りない」ということ

2008年05月19日 | ボランティア
 今日の夕刊に気になる話が載っていました。


 Aくんは車椅子の男性。彼は中学生の時自分に近づいてきて、車椅子を押してくれる人に対してあまり感謝を示さなかった。それは消しゴムを貸してもらうのと同じ行為だと思っていたから。
 第一「車椅子を押してあげる」という言い方そのものが見下していることではないかと感じていた。
 彼は友人や先生に「感謝が足りない」と責められて傷付く。
 その後、「やってあげてるんだから感謝して欲しい」と言われると議論を吹っかけた。そのため何人もが彼に近づいては去り、ついには対等に付き合える友数人だけが残った。


 この話を読んで、私は少し複雑な感じがしました。私の周りにもAくんと同じ考えを持つ人は何人もいました。
「障害者(親も)が一度感謝を表わすと、もう、一生頭を下げ続けなければならない。弱い人、困っている人を助けるのは人として当然の行為だから、いちいち感謝する必要はない」

(インドで私がであった障害者は逆に「善行を施す機会を与えてやったのだから感謝しなさい」とばかりに堂々として、金銭をあげても黙って過ぎ去りました。)

 確かに、一つ一つのボランティア行為にいちいち感謝していたのでは大変だなあと思い納得します。

 でも、障害があるために周囲に迷惑や苦労をかける場合もあるのです。
 私がかつて受け持った子どもがそうでした。障害はかなり重いのですが親の方針で普通級に入ってました。だれも援助者はいないので、担任と学級の子ども達で日常生活(食事・着替えなど身辺のことから学習まで)全ての世話をしました。そのため、授業開始が遅れることもしばしばでした。
 
 しかし、親はどんなときも感謝の言葉は口にしませんでした。私は不思議でした。ありがとうと一言いうだけでいいのに、なぜかたくなに感謝の言葉を言わないんだろう。障害があってもなくても、何かしてもらったら「ありがとう」と誰でも言うし、それは人間関係の潤滑油ではないかと思うのです。
 それが一生続くことは誰でも同じではないかなと思うのですが・・・

 立場が違うことからくる見解の相違ということなのでしょうか?

コメント
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