拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

フィクション

2023-11-26 11:48:44 | 日記

20年近く前に映画館で予告篇を見たけど映画館では見ず、CSで放送したヤツを録画したけどずっと見なかった「ザスール」をようやく見ました。兄弟が宇宙を旅する内容のすごろく(みたいなボード)で遊んでてたら、すごろくの内容が現実になり、窓を開けたら土星の輪がすぐそこにあったり、肉食宇宙人に襲われたりする。で、いろいろ怖い目にあった後、ゴールの「ザスール」に着いたところでゲームオーヴァー。地球に戻るって話。戻ったところで弟が目を覚ますので、「夢だった」で終わるのかと思ったら、アドヴェンチャーの記憶は兄弟に共通。宇宙に消えた自転車が空から降ってくる。だから夢ではなく現実だった。でも、起きなかったことにしようね、と言ってThe end。だけど、「現実だった」と言ってももともと映画ですからね、現実には現実ではない。もし、「夢だった」で終わったら、現実ではないことも現実ではない、ってことになる。え?二重否定は肯定だから、現実ではないことが現実でないなら現実?そんなわけないんだけど……どこで間違えたんだろ。

因みに、非現実を描いた映画で思い出すのは昭和のゴジラシリーズの一つ、「オール怪獣大進撃」。主人公の男の夢の中にゴジラや他の怪獣が出てくる。この映画、見に行った小学校の級友の間では不評。理由は「だって、夢の中の話でホントのことじゃないんだもん」。あたしも同じ感想を持った。が、考えてみれば、もともとゴジラはホントのことじゃない。何をいまさら非現実であることに不満を持つのか不思議と言えば不思議だが、まあ、映画の中だけでも現実のことと思いたいんだろう、子供心とすれば。

それで思い出すのは、父方の叔父さん。夏休みに伯父さんち(父の実家)に行くのが慣例(つうか、あたしの実家の唯一の家族旅行)だった。で、ある夏もやはり伯父さんのところへ行くって話になって、移動時間がちょうど「巨人の星」の放送時間と重なった。だからあたしは行きたくないとごねた。が、無理矢理連れていかれて、伯父さんちに着いてその話が出たとき、伯父さんがあたしに「まあちゃん(正子だから)、あれ(巨人の星)はホントの話じゃないんだぞ」と言う。あたしは叔父さんがそんなことを言うのが不思議だった。第1に、ドラマ、映画、漫画の類いはフィクションが当然なのに、フィクションだから価値がないと伯父さんは言いたいのだろうか。第2に、フィクションだってことは百も承知。なのに、伯父さんは、子供はホントのことだと信じて見てると思ってるんだろうか。まさか、ゴジラもホントにいると思ってる、と思ってるんだろうか。

まあ、うーんと小さい子供ならそう思っても不思議はない。実家に最初にテレビが来たとき、あたしは就学前の児童だったが、テレビの中に小さい人がいる、と思ってワクワクしたっけ。

そう言えば、テレビに猫が映ると、ウチの猫は、はじめのうちは、興奮して、テレビの中の猫にパンチをくれてやってた。でも、猫だって見てるうちにフィクションだって分かったんでしょう、見向きもしなくなりました。