暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その1

2019年07月21日 | 美術館・博物館


7月20日(土)、横浜美術館の「原三溪の美術」展へ行きました。

10時に横浜美術館にN氏の車に便乗して到着。
入口でN氏、KTさん、Hさんと合流し、早速、余分な荷物をロッカーに預けて2階の展示室へ。
14時から レクチャーと鼎談「三溪の古美術収集と美術家支援 ―三溪資料研究の現在(いま)」があり、こちらも今日のお目当ての一つです。詳しくは後ほど書けたら良いのだけれど・・・。
 

 

「原三溪の美術」展は主に4つのテーマ(視点)に分けて展示されていました。
①コレクター三溪、②茶人三渓、③アーティスト三溪、 ④パトロン三溪です。
プロローグとして、原三渓の生い立ち、横浜の生糸商人・原善三郎の孫娘の原やすと結婚し、婿養子となったことなどが紹介されていて、こちらも原三溪の人となりやアーティストとしての天分を知るうえで貴重です。




感動したたくさんの展示品の中からいくつかを記念に書き記しておきます(順不同ですが・・・)。

孔雀明王像 (国宝、東京国立博物館蔵)
コレクターとして原三渓が世間の注目を浴びたのは、明治36年(1906年)「孔雀明王像」(平安時代後期)を井上馨から破格の1万円で購入したのが始まりだったようです。
原三溪が蒐集した美術品は5千点とも言われていますが、その中でもお目に掛かりたかったのが「孔雀明王像」、今回の展示でやっと願いが叶いました。
音声ガイドを借りたので、3回解説を聞きながらゆっくり見学しました(混んでなく、ゆったり鑑賞できるのが嬉しい!)。



孔雀の背に乗っている(?)孔雀明王は、毒蛇を食べその毒を甘露としてしまう孔雀を神格化したもので、病気平癒や無病息災また請雨止雨に効果があるとして信仰されていました。
光背のように孔雀の羽を広げた部分は特に美しいけれど、肉眼では距離もあり細部が見えにくく、双遠鏡で見ている人を羨ましく思いました。
4つの手には柘榴、孔雀の尾羽根、蓮華、俱縁果(レモン?)を持ち、それらには呪術的な意味があるらしい。
深く沈んだ色調の中に朱、緑、金の鮮やかな色彩が孔雀明王をより神秘的、魅力的に輝かせています。

いったいいつの時代に誰がこのような画像を誰に描かせたのだろうか?
(昨年6月24日、山形の鈍翁茶会・呈茶席の床に掛けられていた「春日鹿曼荼羅」が思い出されました・・・)
原三溪は「三溪帖」(関東大震災で焼失、草稿だけが残っている)解説草稿において藤原中期の代表作と評価したそうですが・・・。



「高野切古今集」(国宝 平安時代)
「藍紙本万葉集」(国宝 平安時代 京都国立博物館蔵)
「葦手下絵和漢朗詠集」(国宝 平安時代 京都国立博物館)


さりげなく置かれている貴重な古筆類、あやうく見落としそうに・・・「高野切古今集」「藍紙本万葉集(伝藤原伊行)」「葦手下絵和漢朗詠集(藤原伊行)」はいずれも国宝です。
まったく読めないかしら?と思いきや、なんとなく読める部分があって嬉しく、美しい仮名文字や個性あふれる絵を散りばめた書きぶりに魅了され、これまたわからないなりにワクワクしながら観賞しました。

仮名文字に急に興味を持ったのは、先日茶事があり、社中のKさんが紀貫之の七夕の和歌を繊細な仮名文字で色紙に書いてくださったからです。
仮名文字の美しさや奥深さに触れる機会にまた巡り合うことができました・・・。

日課観音と井戸茶碗「君不知(きみしらず)」
暁庵は茶人三溪のテーマに一番関心があり、どのようなお客様を招いてどのような茶会をし、その茶会に用いた茶道具は何を語ってくれるのかしら・・・と興味津々でした。

昭和12年8月6日、原三溪の長男・善一郎が急逝し、8月15日に三溪は追善の思いを込めた浄土飯の茶会を催しました。
床に日課観音が掛けられ、井戸茶碗「君不知」で薄茶がふるまわれたという。
日課観音は源実朝が日々描いた白衣の観音像で、こちらも長年一目拝みたいと思っていたのでした。
白衣の日課観音は一瞬の清寂の中、何か悲しげに見え、描き手の実朝の生真面目な性格や、ストイックで孤独な日常などが想像されました。
井戸茶碗「君不知」はとても小ぶりな茶碗で、松平不昧旧蔵です。



蒲生氏郷の茶杓
時代を経て、作り手や持ち主のセンスを感じさせる茶杓がどれも素晴らしく、三渓の好みが窺える楽しいひと時でした。
蒲生氏郷、瀬田掃部、杉木普斎、高橋箒庵(の四杓が展示されていましたが、それぞれ個性や見どころが違い、興味深く拝見しました。(展示時期を変えて、佐久間将監や藤村庸軒の茶杓も展示されるとか・・・)

特に蒲生氏郷の茶杓がお気に入りです。(展示が7月24日まで)
蒲生氏郷といえば、織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将で、利休七哲の筆頭とも言われている桃山時代の茶人です。
利休切腹の折、少庵をひそかに領地・会津若松に引き取り、徳川家康と共に少庵の赦免帰京を秀吉に嘆願した、気骨も情けもある人物です。、
細身で武人の茶杓らしい緊張感と共に、丸い穏やかな露の形状が氏郷の人柄を髣髴させる。
竹の縞模様がアクセントになって、よく見ると縞模様が絣の格子模様のようにも見え、モダンな印象を与えて、レオン(レオ)の洗礼名を持つキリシタン・氏郷がしのばれます。
原三溪の「一槌庵茶会記」に、大正7年(1918)1月30日の蓮華院の茶会で「宗旦まけもの」の茶入とともに使用したと書かれていて、きっと愛杓の一つだったことでしょう。



   
      「原三溪の美術」展へ・・・その2へつづく


PS)お席がありますので引き続き、「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会のお申し込みをお待ちしています。
   詳しくはこちらをご覧ください。 申し込みは28日(日)までに変更いたします。

   「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会
   日時:令和元年 8月2日(金)と3日(土)の2日間  
   14:00~18:00(時間内フリーです)
   席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
   横浜駅より相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
   会費:1000円 (当日お持ちください。薄茶(何服でも・・・)と点心をお出しします)
   メールでお申し込みください。 メール:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp 


PS)8月2日(金)のお席が満席になりました。ありがとうございます。
   8月3日(土)は残りが2席となりました。お早目にお申し込みください。(7月26日記)