暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

みちのく山形の旅・・・第34回鈍翁茶会(その1)

2018年07月01日 | 

6月23日、山形新幹線やまびこ129号に乗って


6月24日、山形市清風荘・宝紅庵で開催された第34回鈍翁茶会へ出かけました。
鈍翁茶会へ行きたい・・・と思ってから、実現するまで3年掛かりましたが、鈍翁茶会と共にRさんの美術品展観席&茶会へも参加できて、夢のようなひと時を過ごしました。



4月頃でしょうか、送って頂いた鈍翁茶会のパンフに
濃茶席は徳禅寺護寺会とあり、床に「徹翁」号を掛けると書いてありました。
大徳寺開山の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が弟子である徹翁義亨(てっとうぎこう、後に徳禅寺開山)に与えた「徹翁」と書かれた書(写真)を何かの本で見て以来、いつか本物を拝んでみたい・・・と秘かに思っていたのす。
3年待った甲斐あって、その書に出合えるという期待と喜びでいっぱいになりました。
いつも旅のツアーコンダクターをしてくださるFさん、長年書を研鑽しているKさんをお誘いして鈍翁茶会へ繰り出したのでした。




9時30分のお席の整理券をもらい、清風荘で午後に伺う予定のRさんと偶然お会いし、一緒のお席で廻れたのも良き思い出になりました。

待合の正面の床に益田鈍翁氏の画像が掛けられ、花、香、蝋燭、茶、菓子が献じられています。
その手前に絵巻物が長々と開かれていて、「鈍翁の一日」と称して逍遥する老年の鈍翁氏の姿がほのぼのと温かいタッチで淡々と描かれていました。
私の尊敬する原三渓翁の筆だそうで、二人の友情の深さを嬉しく感じるとともに今日のご縁を有難く思いました。




濃茶席は席主が徳禅寺護寺会で、呈茶席、寄付、本席の三席で構成されています。
先ず呈茶席へ入り、裏千家淡交会のお点前で濃茶を頂きました。

呈茶席の床には大きな「春日鹿曼荼羅」が掛けられ、その前に垂涎の根来塗の手長卓(1間近くあるような細長い卓)があり、御蓋山(みかさやま)の香炉が置かれていました。
「春日鹿曼荼羅」には神鹿と五体の仏が描かれています。
白き神鹿と心を射抜くような目に魅了され、空間に浮かぶ五体の仏さま、高貴な赤の曼荼羅の色調が観る者を圧倒し、その神々しさにひれ伏したくなるような感動を覚えました。

席主・徳禅寺和尚によると、「春日鹿曼荼羅」は春日大明神の本尊として制作されたもので、徳禅寺開山の徹翁和尚は篤く春日大明神を信仰されていて、徳禅寺の鎮守さまでもあるそうです。
本席へ行く前に「春日鹿曼荼羅」の素晴らしさに圧倒され、大満足していましたが・・・。



少人数に別れて寄付に入ると、また素敵なお出合いがありました。
床に「金槐(きんかい)和歌集切」が掛けられていました。
源実朝筆、自歌集の断簡とのことで、料紙も表具も素晴らしいものなので良く見て感じてほしい・・・という説明がありましたが、鎌倉右大臣・実朝自筆の歌切ということだけで親近感を覚えました(最近ご縁がありませんが、実朝の和歌は雄大で、とても好きなのです)。
会記によると次のように書かれているそうです。

 古郷蘆橘  いにしへを しのふとなしにふるさとの
          ゆうへのあめににほふたち花   蘆橘薫夜衣


床上に和歌に因む香合・交趾橘が耳庵所持という印度更紗の帛紗に置かれていました。
素敵な印象に残る空間でしたが、なんせ暗い・・・・。
寄付については会記のみ記しておきます。

寄付
床    金槐和歌集切  古郷蘆橘    本願寺旧蔵
 香合  交趾橘  印度更紗帛紗シキテ  耳庵所持
 炭斗  膝継              鈍翁所持
 羽箒  鴻               世外旧蔵
 火箸  鉄透し  徳元在銘
 鐶   鉄素張  金象嵌
 釜敷  時代釘隠
 灰器  風炉焙烙            旦入造
 灰匙  砂張              暁中所持


    みちのく山形の旅・・・第34回鈍翁茶会(その2)へつづく


 

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