暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

能・狂言に潜む中世人の精神  仏教

2011年02月16日 | 歌舞伎・能など
2月12日(土)は横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第3回「仏教」です。

前日の雪がまだ残り、今にも雪か雨が降ってきそうな寒い寒い日でした。
全四回のこのシリーズは着物で・・と張り切っていたのですが、
横浜能楽堂へは紅葉坂があるので洋服で出かけました。

この日のプログラムは
  講演  有馬頼底 (臨済宗相国寺派管長)
  狂言 「博打十王」 野村萬斎(狂言方和泉流)
  能  「江口」   梅若玄祥(シテ方観世流)   でした。

野村萬斎さんが出演されたので人気があり、正面席がとれずに二階席でした。
心配していましたが、二階席は本舞台、橋がかり、垂幕、さらに
舞台全体の動きがよく見渡せて好かったです。

                   

最初に30分ほど有馬頼底氏の講演がありました。
能と仏教、特に相国寺(しょうこくじ)との関係について話されたのですが、
能も相国寺も知識がないので、とても難しかったです。
お話の中でポイントらしいのですが全く理解できず、それ故、最も興味を持ったのが
「観音懺法(かんのんせんぽう」でした。

能の庇護者であった室町足利家と相国寺はとても密接な関係があって、
「観音懺法」は足利家では毎月18日、相国寺では毎月17日に行われていたたそうです。

「観音懺法」とは、相国寺で現在に至るまで毎年6月17日に催される、
美しい梵唄(声明)で知られる儀式です。
「観音懺法(せんぽう)とは?」と講演の最後までわかりませんで、
帰ってから相国寺のHPを開き、抜粋してみました

    私たちは生まれながらにして仏性、仏の心を持っているのですが、
    知らず知らずのうちに限りない罪を犯しています。
    世俗の社会では法律によって裁かれることになりますが、
    私たちはそれとは別に心の世界をもっています。

    ここでいう罪とは、日常心の上において犯す罪であり、宗教上の罪であります。
    罪を悔いあらため、懺悔の力によって仏の心を取り戻そうとするのが、
    懺法という儀式なのです。

    観世音菩薩は大慈大悲を御心とし、
    抜苦与楽を与えてくださる有難い菩薩なので、
    観世音菩薩に自分の罪を懺悔するのです。
    観世音菩薩をお迎えし、その前で懺悔する儀式作法を、
    観音懺法(せんぽう)といいいます。

               
能「江口」にも白象に乗った普賢菩薩が登場します。
仏にもいろいろあって、菩薩は仏陀になる前の悟りを求める者で、
ここでは慈悲を司るものとして登場します。

                   

あらすじは、
旅の僧が淀川のほとりにある江口の里へ立ち寄ります。
里人に遊女・江口の君の旧跡について教えられた僧が旧跡を訪れます。

西行法師が江口の君に雨宿りを断られた際に読んだ歌、
「世の中を厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」
を口ずさんでいると、
里の女(梅若玄祥)が現れ、
「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ」
という江口の君の返歌を引いて
「宿を貸すのを惜しんだのではなく、世捨人である西行のことを
思って泊めなかったのです」と語ります。
里の女は江口の君の亡霊でした。

ここで間が入り、里人(石田幸雄)が
「くわしくは知らないけれど 大方語られている物語をつかまつろう・・・」
と、語り始めます。

やがて月の澄み渡る川面に遊女たちの舟遊びの光景が見えてきます。
舟が橋がかりへ運び出され、シテの江口の君とツレの遊女二人が舟に乗り、
「秋の水 漲(みなぎ)り落ちて去る舟の 月も影さす棹の歌」
と三人で吟じます。
謡の文句はきちんと聞き取れませんでしたが、
「まるで声明みたい・・・」
一番印象に残る場面であり、心を揺さぶる謡でした。

江口の君は遊女の身のはかなさや、世の無常を述べ、舞います。
「花よ紅葉よ 月雪の古事も あらよしなや。」
やがて、遊女の姿は普賢菩薩となり、西の空へ去ってゆくのでした。

「白象にのりて西の空へゆきたもう
 有難くこそ覚ゆれ 有難くこそ覚ゆれ 」

有馬氏が最後に曰く
「能は悲劇で終わらずハッピーエンドになっている。
 仏の力で救われ、成仏する・・・日本の文化の精神に仏教がある」と。

       (第2回 神道へ)     (第4回 花へ)

                                 のち 

写真は上から 「梅林」 (季節の花300提供)
          「舞台・・二階席より」
          「国宝普賢菩薩像」 (東京国立博物館蔵 ポストカード撮影)



茶事支度  藁灰づくり

2011年02月12日 | 茶道楽
雪、ゆき、snow・・・と、雪のことを考えていたら、雪になりました。

久しぶりに我が家で茶事をします。
昨年2月の鶯の茶事以来です。
それで、お客さまや茶事のことを考えながら、いそいそと茶事支度をしています。

立春を過ぎたとはいえ、寒さがまだまだ厳しい時期なので、
雪の夕去りの茶事としました。
雪と寒さを愛でながら御茶一服差し上げたく・・・
と、ご案内をさしあげました。

室内はともかく、外の腰掛待合は寒く、しかも夕方から夜にかけてです。
実家から持ってきた大火鉢を初めて使うことにしました。
暖とともに赤々と炭火が映える風情を愉しんでもらおう・・・
と藁灰づくりを思いつきました。

藁灰づくりは3年前の名残の茶事以来ですが、
親友のMさんが藁灰づくりに・・と麦わらをたくさん送ってくれました。

作り方は、
麦わらを火鉢に合った長さに切りそろえ、塩水に一晩つけてから水をきっておきます。
適当量の麦わらを揃えて(曲がらないように)アルミホイルで巻き(左右は開けておく)、
焙烙へアルミホイルの束を並べます。
蓋をして紙粘土で蓋の境目をふさぎ、二か所くらい空気穴を開けておきます。
ガスにかけ、強火で約2時間加熱すれば出来上がりです。

                
                
                

ガスにかけてから気が付きました。
2年前に台所を改修してコンロを変えたのでした。
安全仕様になっていて、途中で火が消えてしまいます。
「きゃっ! どうしよう?」
あわてて炭を熾し、炉へ火を入れて、そちらで加熱しました。
屋外用コンロも七輪もなかったので、あわてて炉を使いましたが
藁灰の焦げた匂いが家中に充満し、いつまでも匂っているような・・・。

肝心の藁灰ですが、翌日冷えてからアルミホイルを開けてみると
二段に入れた上の方は加熱が足りない半黒状態でした。
いずれにしても足りませんので、前から欲しかった七輪を買いました。
これで再度、風のない日に挑戦してみます。

                       
       
やってみるといろいろありますね。
利休七則に「刻限は早めに」とありますが、茶事支度も早めに・・・ですね。
今日はまだ雨か雪が降りそうなので、明日できるかしら?

                          



立春の茶飲み会

2011年02月10日 | 茶会・香席
2月4日は立春でした。
お客様をお呼びしていたのですが、十日前まで節分と思い込んでいました。
ず~っと節分の設えを考えていて、あわてて立春に頭を切りかえました。

お客様は昨年11月の長屋門正午の茶事でお手伝いしてくださった
Hさま、Yさま、佐藤愛真さまです。
懐石上手のお客様たちなので、前からお連れしたいと思っていた
横浜関内の和食「菅井」で昼食をご一緒しました。

お話を愉しみながら和食を堪能し、車で我が家へ向かいました。
玄関のカギを開けて一緒に入り(これは初めての経験です)、
試作中の待合・小間へお通ししました。

後座ということで、銅鑼の合図で席入りして頂きました。
床には、「春曙紅(しゅんしょっこう)」というピンクの椿をいけました。
ほっこりと愛らしい椿で、立春頃にやっと咲き出すのです。

             

ご挨拶のあと、すぐに後炭です。
京都壬生寺の「厄除ほうらく」を炭斗に使ってみました。
初掃きをし、ほうらくを貴人畳の角に置き、巴半田を持ち出しました。
埋み火にしていた火を掘り起こし、半田へあげました。
心配していましたが埋み火がしっかり残っていたので、
なるべくたくさんの下火を置きました(半田にも残しておきます)。

巴半田を水屋へ引き、灰器を持ち出し、後炭所望です。
匙香はなしで、後炭のあとにお香を予定しています。
「お申し合わせでどうぞお炭を」
Hさんがすらすらと美しく炭を置いてくださいました。

香炉を整え、折据を乗せて
「どうぞ折据おまわしを」
Yさんが優雅に香を焚いてくださり、私も相伴しました。
香はMさんから頂戴したアブダビの香(伽羅)です。
みんなで心を傾けて香を聞く時間が何とも言えません。

主菓子は、玉牡丹(和作)。
煮えがついてきたので、濃茶をお点てしました。
お詰の佐藤愛真さんから
「お濃茶がしっかり練れていて美味しかったです」
とメールを頂戴し、嬉しく安堵しました。
濃茶は伊藤園の万歴の昔です。

つづき薄茶の予定でしたが、
「お薄は花月で・・」
急遽、四人ですが花月で薄茶を喜々と(私だけ?)点て合いました。
途中、準備が間に合わなかったり、反省点は多々あったのですが、
茶飲み会ということでご勘弁くださいまし。
・・・とっても楽しかったです!
またのお越しをお待ちしております。

                           



逆勝手と大炉

2011年02月08日 | 稽古忘備録
2月最初の先生宅の稽古は逆勝手と大炉でした。
床には大津絵・鬼の寒念仏の色紙が掛けられています。
水屋がすっかり変わっていて、いつもは閉まっている火頭口が茶道口になっています。

逆勝手の初炭からご指導頂きました。
炭をいつもと逆に組み、羽根は右羽根(風炉用)です。
足運びは本勝手と逆になり、
客付の足で越すように身体を動かせばよいのですが、
つい頭で「左・・右・・」と考えてしまいます。

炭斗は炉の左側(勝手付)に置きますが、
ほんのちょっと炭斗の位置が変わっただけなのに
丸管と割管、さらに枝炭を掴むのに苦労しました。
「角度を考えて、横からではなくなるべく正面から持つと好いですよ」と先生。
家でも逆勝手の炭を稽古をしなきゃ・・・と思いました。

Kさんが逆勝手薄茶点前を筒茶碗でしました。
筒茶碗から絞り茶巾を出して釜の蓋上に置き、湯を汲んでから茶筅を入れて
そのまま置いて茶碗を温めます。
その間に絞り茶巾を畳みかえて蓋上へ戻します。
茶筅通しをして湯を建水へ捨てます。

茶巾を人差し指と中指の二本でつまみ、茶椀の内底を「い」「り」と拭いたあとに、
茶巾を右膝上で茶碗へ掛け、茶碗を拭きます。
拭き終わると、茶巾で縁を持ったまま茶碗を右片手で正面へ置きます。
茶巾を抜き取り、畳んで蓋置の上へ戻します。

「そこで茶巾を畳むときは左手にのせずに
 指先だけで畳んでみてください。このようにして・・」とご指導がありました。
Kさんがやり直すと、見違えるように美しい所作になりました。

                

筒茶碗は、縦のヘラ目に白い釉薬が雪のようにかかる赤楽です。
熱い薄茶をゆっくりと頂戴しました。
あとで伺うと、光悦写しで銘「雪片」だそうです。

それから、私は逆勝手で濃茶点前を見て頂き、午後は大炉の稽古になりました。
炉に延長して大炉の寸法の一尺八寸(54.5センチ)を測り、
ガムテープを貼って大炉が出来上がりです。

大炉の左上角に湿し灰に灰匙をさした灰器が置かれました。
大炉の初炭手前はKさんです。
大炉の炭手前はめったにできませんが、雪輪瓦や大釜が厳冬の風情を増し、
とくに焙烙を使う後炭手前が大好きです。

大炉では初炭も後炭も羽箒の掃き方は同じで、
初掃き10、中掃き6、後掃き6とのことでした。
続いて、大炉で私が筒茶碗、Kさんが濃茶点前を見て頂きました。

先生を見習って、私も家に帰ったら、大炉をガムテープで作って
茶事に添って稽古してみよう・・・と思ったことでした。
 
                           


能・狂言に潜む中世人の精神  神道

2011年02月06日 | 歌舞伎・能など
1月29日(土)に横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第2回「神道」へ出かけました。

「中世人の精神とは?」という難解なテーマに何故か惹きつけられて
能の素養がないまま、毎回私にも理解できるだろうか? ついていけるだろうか?
と思いながら参加しています。

この日のプログラムは
  講演  花山院弘匡 (春日大社宮司)
  狂言 「夷毘沙門」(大蔵流)山本則孝
  能  「春日龍神」(観世流)浅見真州    でした。

春日大社宮司・花山院さんのお話は興味深いものでしたが、
神道については難しかったです。

               

   能舞台は春日大社の境内そのものを表わしていて、
   橋掛かりが参道、揚幕が一の鳥居で、西の結界にあたります。
   本舞台の鏡板には松が描かれていますが、「影向(ようごう)の松」といい、
   神の気配、姿があらわれる松だそうです。

   横浜能楽堂の本舞台は、明治8年(1875年)に東京根岸の
   旧加賀藩主・前田斎泰邸に建てられたものを移築しています。
   鏡板には松だけでなく白梅も描かれています。
   能舞台の説明板によると、白梅の絵はとても珍しいもので
   前田家の祖・菅公(菅原道真)の梅にちなんだものとされています。

                              

   能「春日龍神」の舞台である春日大社は、藤原氏の氏神であり、
   氏寺の興福寺とともに平城京を守り、国家鎮護を願うために祀られた神社です。

   春日大社のすぐ後に神域・御蓋山 (三笠山)があります。
   この山は平城京から見ると東方にあたり、東は春の方位を表わし、
   命がめばえ、月が出れば月の力がみなぎると考えられています。
   水は命の源ですが、山は水を蓄える所でもあります。

   三笠山そのものが神であり、神は山(自然)の中におはします。
   山(自然)の中に命を見る、これが神道なのです。

   春日龍神の地謡にもあるように
   「三笠の森乃草木の。三笠の森乃草木乃。風も吹かぬに枝を垂れ。・・・」
   三笠山に風が吹くと、木が一本一本そよぐ時があります。
   そんな時、神の気配を感じます・・と花山院さんは話してくださいました。

                

春日龍神を初めて観る私は、神が宿るという松が描かれた舞台で演じられた、
この世とあの世の境を漂う幽玄の世界へのめりこんでいきました。

あらすじは、
明恵上人が唐・天竺へ渡り仏跡を訪ねる志をたて、暇乞いに春日大社へ詣でます。
宮守(浅見真州)に唐・天竺に渡ることは神慮に背くことだと止められます。
宮守の説得に明恵上人は渡航を思い止まります。
すると、宮守は釈迦の誕生から入滅までの様子を見せようと言って姿を消します。

末社の神(山本則重)が現れ、唐から天竺までの旅、釈迦の一生、
春日大社の歴史を朗々と語ります。
「町積」という狂言方が立ったままで長大なせりふを語る、演出だそうですが、
迫力満点、客席を飽きさせずに見事でした。

魂に響く笛の音色、囃子に誘われるように
揚幕から小面をつけた龍女が優雅に現れ、気品あふれる「龍女之舞」を舞います。
次に大龍の冠をつけた龍神が現れ、勇壮な「龍神之舞」を舞いました。
笛、大鼓、小鼓、太鼓の囃子と呼応して、さっそうと舞う龍神の躍動感。
舞い終わると龍神と龍女は静かに猿沢の池へ戻って行きました。

一番前の良席だったこともあって、自分自身が舞っているような臨場感を味わいました。
この経験は初めてのことで、やみつきになりそうです・・・。

      (第1回 歌 へ)         (第3回 仏教へ)