1月29日(土)に横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第2回「神道」へ出かけました。
「中世人の精神とは?」という難解なテーマに何故か惹きつけられて
能の素養がないまま、毎回私にも理解できるだろうか? ついていけるだろうか?
と思いながら参加しています。
この日のプログラムは
講演 花山院弘匡 (春日大社宮司)
狂言 「夷毘沙門」(大蔵流)山本則孝
能 「春日龍神」(観世流)浅見真州 でした。
春日大社宮司・花山院さんのお話は興味深いものでしたが、
神道については難しかったです。
能舞台は春日大社の境内そのものを表わしていて、
橋掛かりが参道、揚幕が一の鳥居で、西の結界にあたります。
本舞台の鏡板には松が描かれていますが、「影向(ようごう)の松」といい、
神の気配、姿があらわれる松だそうです。
横浜能楽堂の本舞台は、明治8年(1875年)に東京根岸の
旧加賀藩主・前田斎泰邸に建てられたものを移築しています。
鏡板には松だけでなく白梅も描かれています。
能舞台の説明板によると、白梅の絵はとても珍しいもので
前田家の祖・菅公(菅原道真)の梅にちなんだものとされています。
能「春日龍神」の舞台である春日大社は、藤原氏の氏神であり、
氏寺の興福寺とともに平城京を守り、国家鎮護を願うために祀られた神社です。
春日大社のすぐ後に神域・御蓋山 (三笠山)があります。
この山は平城京から見ると東方にあたり、東は春の方位を表わし、
命がめばえ、月が出れば月の力がみなぎると考えられています。
水は命の源ですが、山は水を蓄える所でもあります。
三笠山そのものが神であり、神は山(自然)の中におはします。
山(自然)の中に命を見る、これが神道なのです。
春日龍神の地謡にもあるように
「三笠の森乃草木の。三笠の森乃草木乃。風も吹かぬに枝を垂れ。・・・」
三笠山に風が吹くと、木が一本一本そよぐ時があります。
そんな時、神の気配を感じます・・と花山院さんは話してくださいました。
春日龍神を初めて観る私は、神が宿るという松が描かれた舞台で演じられた、
この世とあの世の境を漂う幽玄の世界へのめりこんでいきました。
あらすじは、
明恵上人が唐・天竺へ渡り仏跡を訪ねる志をたて、暇乞いに春日大社へ詣でます。
宮守(浅見真州)に唐・天竺に渡ることは神慮に背くことだと止められます。
宮守の説得に明恵上人は渡航を思い止まります。
すると、宮守は釈迦の誕生から入滅までの様子を見せようと言って姿を消します。
末社の神(山本則重)が現れ、唐から天竺までの旅、釈迦の一生、
春日大社の歴史を朗々と語ります。
「町積」という狂言方が立ったままで長大なせりふを語る、演出だそうですが、
迫力満点、客席を飽きさせずに見事でした。
魂に響く笛の音色、囃子に誘われるように
揚幕から小面をつけた龍女が優雅に現れ、気品あふれる「龍女之舞」を舞います。
次に大龍の冠をつけた龍神が現れ、勇壮な「龍神之舞」を舞いました。
笛、大鼓、小鼓、太鼓の囃子と呼応して、さっそうと舞う龍神の躍動感。
舞い終わると龍神と龍女は静かに猿沢の池へ戻って行きました。
一番前の良席だったこともあって、自分自身が舞っているような臨場感を味わいました。
この経験は初めてのことで、やみつきになりそうです・・・。
(第1回 歌 へ) (第3回 仏教へ)
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第2回「神道」へ出かけました。
「中世人の精神とは?」という難解なテーマに何故か惹きつけられて
能の素養がないまま、毎回私にも理解できるだろうか? ついていけるだろうか?
と思いながら参加しています。
この日のプログラムは
講演 花山院弘匡 (春日大社宮司)
狂言 「夷毘沙門」(大蔵流)山本則孝
能 「春日龍神」(観世流)浅見真州 でした。
春日大社宮司・花山院さんのお話は興味深いものでしたが、
神道については難しかったです。
能舞台は春日大社の境内そのものを表わしていて、
橋掛かりが参道、揚幕が一の鳥居で、西の結界にあたります。
本舞台の鏡板には松が描かれていますが、「影向(ようごう)の松」といい、
神の気配、姿があらわれる松だそうです。
横浜能楽堂の本舞台は、明治8年(1875年)に東京根岸の
旧加賀藩主・前田斎泰邸に建てられたものを移築しています。
鏡板には松だけでなく白梅も描かれています。
能舞台の説明板によると、白梅の絵はとても珍しいもので
前田家の祖・菅公(菅原道真)の梅にちなんだものとされています。
能「春日龍神」の舞台である春日大社は、藤原氏の氏神であり、
氏寺の興福寺とともに平城京を守り、国家鎮護を願うために祀られた神社です。
春日大社のすぐ後に神域・御蓋山 (三笠山)があります。
この山は平城京から見ると東方にあたり、東は春の方位を表わし、
命がめばえ、月が出れば月の力がみなぎると考えられています。
水は命の源ですが、山は水を蓄える所でもあります。
三笠山そのものが神であり、神は山(自然)の中におはします。
山(自然)の中に命を見る、これが神道なのです。
春日龍神の地謡にもあるように
「三笠の森乃草木の。三笠の森乃草木乃。風も吹かぬに枝を垂れ。・・・」
三笠山に風が吹くと、木が一本一本そよぐ時があります。
そんな時、神の気配を感じます・・と花山院さんは話してくださいました。
春日龍神を初めて観る私は、神が宿るという松が描かれた舞台で演じられた、
この世とあの世の境を漂う幽玄の世界へのめりこんでいきました。
あらすじは、
明恵上人が唐・天竺へ渡り仏跡を訪ねる志をたて、暇乞いに春日大社へ詣でます。
宮守(浅見真州)に唐・天竺に渡ることは神慮に背くことだと止められます。
宮守の説得に明恵上人は渡航を思い止まります。
すると、宮守は釈迦の誕生から入滅までの様子を見せようと言って姿を消します。
末社の神(山本則重)が現れ、唐から天竺までの旅、釈迦の一生、
春日大社の歴史を朗々と語ります。
「町積」という狂言方が立ったままで長大なせりふを語る、演出だそうですが、
迫力満点、客席を飽きさせずに見事でした。
魂に響く笛の音色、囃子に誘われるように
揚幕から小面をつけた龍女が優雅に現れ、気品あふれる「龍女之舞」を舞います。
次に大龍の冠をつけた龍神が現れ、勇壮な「龍神之舞」を舞いました。
笛、大鼓、小鼓、太鼓の囃子と呼応して、さっそうと舞う龍神の躍動感。
舞い終わると龍神と龍女は静かに猿沢の池へ戻って行きました。
一番前の良席だったこともあって、自分自身が舞っているような臨場感を味わいました。
この経験は初めてのことで、やみつきになりそうです・・・。
(第1回 歌 へ) (第3回 仏教へ)