暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

皇室の名宝2展

2009年11月21日 | 美術館・博物館

東京国立博物館の「皇室の名宝2展」へ出かけました。

雨の中、待ち時間20分の行列に並びました。
入場すると最初の展示コーナーで全く先へ進みません。
押し競まんじゅう状態で銅鏡や女性の埴輪(頭部)を
見ましたが、忍耐がいりますね。

展示された銅鏡は奈良近くの出土ですが、
一つだけ群馬県富岡市出土の「三角縁竜虎鏡」があり、
古墳時代にこれだけの銅鏡を持つ地方豪族がいたことに
興味を持ちました。

始めのコーナーを過ぎると少しすいてきましたが、
全部を見るのにかなりの気合が必要でした。
特に印象に残った展示品を三つあげると、
一番は古筆です。

いつも書はわからず素通りなのですが、今回は違いました。
今までお目にかかれなかった三筆の空海、嵯峨天皇、橘逸勢
三蹟の小野道風、藤原佐理、藤原行成、
そして藤原定家、伏見天皇、西行の書などが目白押しです。

中でも橘逸勢(たちばなのはやなり)筆という
「伊都(いつ)内親王御施入願文」に心惹かれました。
六歌仙の一人、在原業平は伊都内親王の一人子です。

生母、藤原平子の遺志をついで興福寺へ田畑を寄贈し、
一族の菩提と繁栄を願うという願文ですが、
散りばめられた内親王の小さな朱の手形に、当時の勢力争いの
暗雲を見る思いがしました。
願文の筆者である橘逸勢は、後年藤原氏の陰謀により
無実の罪をきせられ失脚しています(承和の変)。

願文の最後に書かれた内親王の自筆「伊都」も必見です。

二番目は正倉院御物です。
古代ペルシャ、トルコ、イランなどの異国の風を
今に伝えて輝いていました。

お気に入りは「螺鈿紫檀げんかん」という楽器です。
「げんかん」は竹林の七賢の一人で、
この楽器を奏でていたことから名がついたそうです。
月琴のような形をしています。

「げんかん」に散りばめられた螺鈿細工、特に裏面の
二羽のオウムと宝綬の螺鈿が華麗で、エキゾチックでした。
これを愛玩した聖武天皇とはどんな方だったのかしら?

三番目は刀剣です。
相州正宗が鍛えたという二本の名刀、
「刀 無銘 正宗(名物若狭正宗)」と
「短刀 銘 正宗(京極正宗)」に魅せられました。
刃文の静謐な美を感じる一瞬が何とも言えません。

約2時間、夢中で見て廻りました。
しばし休憩の後、本館へ行き、誰もいない国宝展示室で
国宝「法華経」(静岡鉄舟寺)をゆったり拝見しました。
茶道具の展示室では「黒薩摩の茶入」と「有楽井戸」
に対面してきました。

これらの出会いも「皇室の名宝展」に劣らず、良かったです!

       写真は「上野公園の紅葉」です。

四国遍路  般若心経 (2)

2009年11月19日 | 四国遍路
    (つづき)
過去・現在・未来の三世にまします諸仏たちも
般若波羅蜜多を実践されて、
この上ない正しい完全な悟りを得られたのだ。
だから、このように言うことができよう。

般若波羅蜜多というのは、
すばらしい霊力のあることば、
すなわち真言であり、
すぐれた真言、無上の真言、無比の真言である、と。

それはあらゆる苦しみを消滅させてくれる。
じつに真実にして虚ならざるものである。
そこで、般若波羅蜜多の真言を説く、
すなわち、これが真言である――。

往き、往きて、彼岸に達せる者よ。
まったき彼岸に達せる者よ。
悟りあれ、幸いあれ。
              (静子出)


私事ですが
十月に母が亡くなりました。八十九歳でした。
まだまだ先と思っていた別れの時が
思いがけない早さでやってきました。

「あんなにずっーとがんばってきたのに、
 それなのに僕たちはまだ「がんばれ、がんばれ!」
 って言い続けて・・・
 もうがんばらなくっていいからね。お母さん・・・」

葬式の時に弟が泣きながら母へ語りかけた言葉です。
今、母はやっとやすらかな眠りについていることでしょう。
私たちを産み、育て、愛し、支えてくれた母に感謝し、
あぁ~もすれば・・と悔いながら、般若心経を唱えています。

1週間ほどめそめそ泣いて暮らしていましたが、
立ち直るきっかけはお茶でした。
茶事へお招きいただいていたのです。
「どうなることかしら?(正客だった・・)」
心配しながら出かけました。

ご亭主さまやご連客さまのお蔭でいつものように
楽しく過ごすことができ、感謝しています。
お茶をやっていてお茶の仲間がいて本当に良かった
とつくづく思いました。

その後、がんばって何とかやり遂げた春草廬・有楽茶会
お茶を後押ししてくれた母もきっと喜んでいる・・・
と思うこの頃です。 合掌。

   
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      写真は「四国八十八ヶ所巡拝御宝印譜」の軸です。

   

四国遍路  般若心経 (1)

2009年11月18日 | 四国遍路
今年の4月、四国遍路へ出かけた日のことです。

二番札所極楽寺境内の掲示板に
先導師の静子さんが訳されたという
「般若心経」が書かれていました。
わかりやすく素晴らしい現代訳と思いまして、
ノートに写してきました。
紹介させていただきます。


「般若心経」
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が説きたまえる
すばらしい般若波羅蜜多(はんにゃはらみだ)の
精髄を示したお経

観世音菩薩(別名 観自在菩薩、観音さま)が
その昔、深(じん)・般若波羅蜜多を実践された時、
物質も精神もすべてが空であることを照見されて、
一切の苦厄を克服された。

舎利子(しゃりし)よ、
あらゆる物質的存在は空にほかならず、
空がそのまま物質的存在にほかならない。
物質的存在が空、空がすなわち物質的存在なのだ。

知ったり、感じたり、判断したり、意欲したりする
われわれの精神作用も、これまた同じく空である。

舎利子よ、すべての存在が空である
-すべての存在に実体がない-ところから、
生滅もなく、浄不浄もなく、また増減もない。

したがって実体がないのだから、
物質的存在も精神作用もなく、
感覚器官もなければ対象世界もない。
そして、感覚器官とその対象との接触によって
生じる認識だってない。

人間の根源的な無知迷妄がなく、
また無知迷妄が消滅するわけでもない。
そして老死という苦しみもなく、
老死という苦しみが消滅するわけでもない。

仏教で説かれてきた「四つの真理」もなく、
智もなければ得もない。
もともと得るということがないからである。

菩薩(求道者)たちは、
般若波羅蜜多を実践しているので、
その心はなにものにも執着せず、
またわだかまりがない。

わだかまりがないから、恐怖もないし、
事物をさかさまに捉えることもなく、
妄想に悩まされることもなく、
心は徹底して平安である。
                           

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    写真は大日如来坐像


春草廬・有楽茶会 (5)

2009年11月14日 | 三溪園&茶会
手燭が欲しい暗さの中でお道具の拝見です。
「薩摩茶入の形、黒釉のなだれがいいですね。
 茶杓の有馬山型の貝先、節の胡麻竹も風情がありますね
 明るい処でじっくり見たいものです」と、三客のSさま。

薄器は乾漆の面取中次、輪島の春保作で、
蓋裏に松、立ち上りに雲錦の蒔絵があります。
侘びていますが、蓋を開けると華やかな棗です。

「侘びの中に存在する華やかさに惹かれます。
 侘びに徹しきれない亭主を現している棗でございます」
「私も外が侘びて、中を開けるとはっとする蒔絵のある
 薄器が好みです」と、やさしいお正客さま。

「侘びの中に存在する華やかさ」
何気なく言った言葉ですが、茶会の主役である春草廬に
ぴったりあてはまると思いました。

三畳台目の小間は座してみると、落ち着きの中にも
ゆったりとした空間が確保されていました。
台目床と九つの窓が巧みに配置されているせいでしょうか。
天井も思ったより高いと思いました。
そして、侘びた茶室・春草廬に艶やかな色気を感じたのです。

もしかしたら原三渓翁も同じように感じて、白雲邸の奥様の
居間近くに春草廬を最初に移築したのではないか・・・
と思いました。

茶室建築を研究されているだちくゎんさまのお話では、
春草廬は有楽作の国宝「如庵」より古い様式の茶室だそうです。
「如庵」も是非拝見し、座してお茶をいただきたい・・
と、皆で外から春草廬を眺めながら盛り上がりました。
すぐにもツァーが組めそうな勢いでした。

こうして念願の春草廬にて有楽茶会が無事に終わりました。
皆さまと共に過ごした一時は幸せ一杯でございました。
ありがとうございます!

末筆になりましたが、惜しみないご協力を頂いた
素晴らしいスタッフをご紹介いたします。

複雑な動線をものともせず、ご案内してくださったHさま、
広間の点心席を一手に引き受けてくださったYさま、
半東として新米亭主を終始支えてくださったSさま、
心をこめて点心・八寸・菓子を作ってくださった横山和子さま、
水屋で影の仕事に精出してくださったNさまの五名です。

皆さまに励まされて有楽茶会を開催することが出来ました。
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
本当に本当にありがとうございました!

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     (原三溪と蓮華院 その1へ)  

                    

      写真は「三渓園の夕景」、だちくゎんさまの提供です。

春草廬・有楽茶会 (4)

2009年11月13日 | 三溪園&茶会
最終の第四席(横笛席)は、四名さまをお招きしました。

お正客のTさまは花月の会のお仲間です。
次客は名古屋から参席してくださっただちくゎんさまでした。
念願かなって春草廬で始めてお目にかかることができました。
三客のSさまと詰のNさまは私の茶事のお客さまです。
Nさまの他は男性というお席でした。

秋の日は短く、陽が翳って茶室は一層暗くなりました。
点前座にある三つの窓が明るく、亭主を助けてくれます。
夜目、遠目、傘の内でしょうか。
お客さまからは逆光になり、点前をするシルエットが
印象に残ったようでした。

外で声がしました。
三渓園のボランティアガイドさんが来園者へ
春草廬の説明をしています。

「重要文化財の春草廬は京都宇治の三室戸寺金蔵院に
 ありましたが、原三渓が譲り受け、白雲邸に隣接して・・。
 織田信長の弟、有楽が作ったと伝えられています・・」

その声をBGMのように心地好く聴きながら
軽快に?濃茶を練りました。

薄茶になり、席へ入りますと
暗い茶室の中で九つの障子窓が一層ほの白く浮き立って、
生き生きとした存在感を主張しだしました。

入る度に違う茶室の様子に息を呑み、春草廬の息遣い
のようなものを感じました。
その時は夢中でしたが、今思い出すとゾクッとしてきます。

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      写真は、「茶会後の談笑」だちくゎんさまの提供です。