暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

四国遍路  般若心経 (1)

2009年11月18日 | 四国遍路
今年の4月、四国遍路へ出かけた日のことです。

二番札所極楽寺境内の掲示板に
先導師の静子さんが訳されたという
「般若心経」が書かれていました。
わかりやすく素晴らしい現代訳と思いまして、
ノートに写してきました。
紹介させていただきます。


「般若心経」
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が説きたまえる
すばらしい般若波羅蜜多(はんにゃはらみだ)の
精髄を示したお経

観世音菩薩(別名 観自在菩薩、観音さま)が
その昔、深(じん)・般若波羅蜜多を実践された時、
物質も精神もすべてが空であることを照見されて、
一切の苦厄を克服された。

舎利子(しゃりし)よ、
あらゆる物質的存在は空にほかならず、
空がそのまま物質的存在にほかならない。
物質的存在が空、空がすなわち物質的存在なのだ。

知ったり、感じたり、判断したり、意欲したりする
われわれの精神作用も、これまた同じく空である。

舎利子よ、すべての存在が空である
-すべての存在に実体がない-ところから、
生滅もなく、浄不浄もなく、また増減もない。

したがって実体がないのだから、
物質的存在も精神作用もなく、
感覚器官もなければ対象世界もない。
そして、感覚器官とその対象との接触によって
生じる認識だってない。

人間の根源的な無知迷妄がなく、
また無知迷妄が消滅するわけでもない。
そして老死という苦しみもなく、
老死という苦しみが消滅するわけでもない。

仏教で説かれてきた「四つの真理」もなく、
智もなければ得もない。
もともと得るということがないからである。

菩薩(求道者)たちは、
般若波羅蜜多を実践しているので、
その心はなにものにも執着せず、
またわだかまりがない。

わだかまりがないから、恐怖もないし、
事物をさかさまに捉えることもなく、
妄想に悩まされることもなく、
心は徹底して平安である。
                           

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    写真は大日如来坐像


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