ぶるっ ぶるっ お寒いですね!
令和6年の初釜でお借りするロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭の小間は四畳半台目、台目構えになっています。
初釜に向けて台目の初炭、後炭、濃茶点前を指導しながら、以前S先生から興味深い話しを伺ったことを思い出しました。
「台目構え(台目切(出炉)・中柱・釣棚からなる点前座の構えをいう)には台子が封じ込められている」そうで、基本の考えが南方録に書かれているそうです。
利休の時代を前後する頃から、通常の畳より一尺五寸(台子の座:台子の幅一尺四寸プラス屏風の厚み一寸)短い台目畳を持つ台目席が流行します。
なぜこの時代に台目席が始まり、流行したのか、利休によって総合された草庵の侘茶とも深い関連があるようですが、今一つそのうねりが分からないところです(これについては調べてまたの機会に・・・)。
台目席は現代にも受け継がれています。
(横浜三渓園・春草蘆の台目席・・・三畳台目席です)
ロイヤルパークホテルの耕雲亭もですが、横浜三渓園の春草蘆、箱根湯本・玉庭の仁庵など、台目切の茶室を使う機会があるので、広く「台目」について勉強する良い機会と思い、冬休みに「南方録を読む」(熊倉功夫、淡交社)の「墨引」を読み始めました。実は「曲尺割(カネワリ)」が苦手で何度も挫折しています・・・。
それでも読みだすと、書院の茶から草庵の侘茶への変化、台目畳の成り立ち、炉の位置の変遷とそれが意味すること、利休の茶の変革の過程を想像しながら、興味深く面白かったです。
一方で、「陰陽や五行の思想」や「曲尺割」についてはとても難解で根気が続きません。
(箱根湯本の仁庵の台目席・・・四畳半台目です)
順不同ですが、興味あるままにメモしておきます。
〇 2つの大きな茶の流れ(伝統)があり、利休によって総合された
① わび茶の伝統 珠光--宗陳・宗悟--紹鴎--利休
② 書院台子の茶の伝統 能阿弥--空海--道陳--利休
〇 台子(長板)の幅は一尺四寸とする。これを基に台子の曲尺割が台目席へ適用されている。
〇 炉の寸法・・・草庵の炉は最初その寸法が決まっておらず、一尺六寸や五寸の大きな炉が一般的だった。紹鴎と利休が相談して大台子の法を基本として向炉(注:現在の隅炉のこと)を一尺四寸と定めた。
長板(台子)の幅一尺四寸をもとにして、風炉の座一尺四寸四方を炉(向炉:隅炉のこと)として、炉の向うに二寸五分の板を入れたのは、台子を置いた時の向う四寸五分の内から二寸五分を板にとり、残りの二寸を道具を置く余裕としての秘事にして、合わせて一尺八寸五分に曲尺割を取り決めた。これが炉の法の根本である。
〇 炉の変遷・・・最初は向炉(現在の隅炉)に始まり、炉を客席へ近づけた向炉(現在の向切。炉が客席に近い右側になる)、その後に台目切(現在の出炉で中柱の右側に炉を変えた形式。炉が台目畳より出て、より客席近くになり炉中が拝見しやすくなる)と変遷した。
〇 台目畳・・・一畳の畳みの大きさ(六尺三寸)の内、向う一尺五寸を右の畳へ出炉として出したつもりで除き、残りの四尺八寸の畳を台目畳という。
〇 台目切の曲尺割・・・(図にかいてみると分かり易いのですが・・・)
台目畳四尺八寸の中で、一尺六寸五分は中柱の前から向うの壁までの長さで、内訳は中柱の太さ二寸と遊び(余裕)の五分で、残りが一尺四寸となり、台子の曲尺割(カネワリ)が適用されている。
中柱の前の面から下、一尺四寸が炉。さらにその下一尺七寸五分は亭主の居座の分で、このうち三寸五分は台子を置いた時の台子の向う側、屏風までの長さであるが、ここに含めて居座での動きが自由になるようにする。残りはまた一尺四寸である。
〇 中柱・・・今日 、台目切の茶室ではゆがみ柱といわれる皮付きの自然木がつかわれている。しかし、「南方録」によればその由来は省略された台子の4本の柱を集めたもので、一寸角の台子の柱が4本合わされて二寸角の中柱となるのを定法とする。
以上、図に書いたり、うんうん唸りながらも「台目構えには台子が封じ込められている」というS先生のお言葉を理解しようと努めた結果、台子の曲尺割が実感としてわかったような気になっています・・・ふ~~っ(汗)。
(桜や椿が咲く、暖かい春の日射し待ち遠しいです・・・)