暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和6年の初釜は耕雲亭にて・・・(1)序章・釣月耕雲

2024年01月21日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

 

昨日(1月20日)、無事に(?)4泊5日の入院生活を終え退院しました。他事ながらご安心ください

入院中に気になっていた令和6年初釜についてやっと書ける状況になり嬉しいです。入院中はパソコンは持ち込み禁止だったのでひたすら安静に務めました・・・これにについては初釜のことを書き終わったら書けるかしら?? 

 

        (耕雲亭の躙り口)

令和6年の初釜が1月14日(日)にロイヤルパークホテル東京日本橋の茶室「耕雲亭」にて開催されました。

昨年8月に初めて「耕雲亭」を見学した時からいつかここで茶会が出来たら・・・と思っていましたが、社中Y氏のご協力のもとに令和6年の初釜を催すことが出来、本当に夢のような心地でした。

1つには「耕雲亭」がとても素敵な由緒ある茶室だったことがありますが、名前の由来にも惹かれました。

「耕雲亭」(小間)は、かつて岩﨑彌之助・岩﨑小彌太の親子2代によって静嘉堂文庫に設立された茶室「釣月庵」を模して造られました。岩﨑小彌太は永平寺管長・秦慧昭禅師によって静嘉堂文庫の茶室を「釣月庵」と命名しました。

そこで新たに造られた茶室を曹洞宗の開祖・道元禅師の詩の一節「釣月耕雲、古風を慕う」から「耕雲亭」と名づけたそうです。心に沁み入る大好きな詩なので書いておきます。

「永平広録、巻十(山居)」より

 西来祖道 我伝東   (西來の祖道、我、東に伝う)
 釣月耕雲 慕古風   (釣月耕雲、古風を慕う)
 世俗紅塵 飛不到   (世俗の紅塵、飛べども到らず)
 深山雪夜 草菴中   (深山雪夜、草菴の中)

(意味は)
 インドから伝来した仏祖の教えを、私は日本に伝えていきたい。
 釣月耕雲のような雄大な自然の中に身をおいて、古き良き教えを伝えていきたい。
 俗世間の塵埃が飛んできても、ここへ到ることはない。
 深山の雪の夜の草庵の中には・・・。 

 

       (夜明けの雲のグラーデーション)

もう一つは初めて初釜の共同主催をしました。S先生の元で共に研鑽に励んでいるN先生へお声掛けしたところ喜んで賛同してくださったのです。

暁庵の社中が小間で濃茶席、N先生の社中が広間で薄茶席を担当し、社中全員が亭主方にもなり、客としてお席にも入ってもらいました。

N先生の社中は約3年前にロイヤルパークホテルで行われた裏千家・入門コースを受講した方が多く、初釜が茶会デビューとのこと、それで暁庵の茶友7名様をお招きして正客や詰のお役をお願いしたり、ゲストとして初釜を大いに盛り上げて頂きました。もう感謝!でございます。

 

     (耕雲亭の小間と広間へ続く露地)

   (濃茶席(小間)の前にある蹲で心身を浄めて席入です)

濃茶席でおもてなしをする上でいくつか考えたことを書いておきます。

〇 床の掛物、釜、炉縁、炭斗、灰器などは耕雲亭に常什の物を使いました。ついあれこれ運びたくなりますが、車は時間が測れないので当日持っていける範囲に絞りました。

〇 炭、茶筅、茶巾、菓子器などは前日に着くように宅急便で送り、当日は茶碗2個と茶入、花びら餅を持参しました。

〇 決められた時間に腰掛待合で集合し、最初の席は蹲を使い、露地を進んで席入りして頂きました。二席目は席中でゆっくりして頂きたくって蹲は省略しました。

〇 お客さまは各席(全部で濃茶席と薄茶席それぞれ4席)6名様とし、ゆったりとお茶とお話を楽しんでもらえたら・・と。

〇 濃茶の第1席で初炭、第3席で後炭手前をしました。親しく炉を囲み、炭の美しさや炭手前を楽しんでもらいたい。

〇 炭手前の後、またはご挨拶の後に主菓子を運んですぐに食べて頂き、食べ終わってから濃茶点前を始めてもらいました。ステキなお点前をしっかり見て頂きたくて・・・。

〇 濃茶は社中の持ち寄りの自慢の茶碗で各服点です。各茶碗を十分に温めて美味しい濃茶を差し上げたいと思いました。

・・・キリがありませんが、いつもの稽古や茶事・茶会で心がけている事なので社中の皆さまはすぐに理解してくださったようで嬉しいです。やっとできました。 (つづく)

 

  令和6年の初釜は耕雲亭にて・・・(2)へつづく  (3)へ  (4)へ  (5)へ  (6)終章・おたよりへ

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。