吉野山にて 2014年4月14日撮影
今年、見納めの桜旅は吉野山(奈良県)です。
4月14日朝8時、京都駅発の観光バスで吉野山を目指しました。
バスツアーは車も土地勘もない私たちにはとても便利で、
伊吹山(滋賀県)、足立美術館(島根県)に次いで3回目の利用です。
11時に駐車場へ着き、15時までの4時間が逍遥時間です。
支給された花見弁当とお茶を持って、先ずは「金峰山寺(きんぷせんじ)」へ。
途中の展望台から吉野山を見渡すと、下千本から中千本へかけて
桜と若葉が入り混じった、吉野の桜に大満足、なかなか先へ進めません。
下千本から中千本の桜の景
金峰山寺仁王門(国宝)をくぐって、蔵王堂(国宝)へお詣りしました。
重層入母屋造、桧皮葺の蔵王堂は安土桃山時代に再建されたそうですが、
高さ34m、幅36m四方という大伽藍に圧倒されました。
本尊の蔵王権現三体が御開帳とのことで、内覧しましたが、
こちらも見上げるほど大きく立派な体躯の蔵王権現さまです。
蔵王権現さまの御前には障子で仕切られた小部屋が設えてあり、
それは日頃の諸悪罪業を懺悔し、仏の道へ発心するための場とのこと。
罪多き二人は一緒に入り、一心に祈り懺悔したのですが、
中味は夫婦であっても別物でしょうね・・・。
金峯山寺・蔵王堂
桜の見物客でごった返す参道を登り、吉水(よしみず)神社へ。
境内から見渡す、中千本から上千本へ桜の花が駆け上がるような景色が見事で、
つい写真を何枚も撮りました・・・その日、一番の吉野山の桜の景でした。
吉水神社からの桜の景(中千本から上千本)
吉水神社は元は吉水院といい、吉野山を統率する修験宗の僧坊でしたが、
明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、
明寺8年に吉水神社と改められ、祭神は後醍醐天皇です。
吉水院には後醍醐天皇の玉座の間が現存しますが、
豊臣秀吉が修理したので桃山時代の様式になっています。
展示されている御物に天皇の日常を偲ぶことが出来ました。
金輪寺茶入や蝉丸の琵琶(後醍醐天皇所持)、御宸筆、
大塔宮(後醍醐天皇の皇子)所用の御茶台や陣羽織もありました。
吉水院で後醍醐天皇が詠まれた和歌
花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に岩走る音 (御製)
吉水神社 後醍醐天皇の玉座の間
展示物を見ていると、放送があり、宮司さんがご説明くださるそうで、
「義経・静御前 潜居の間」の前に集まりました。
文治元年(1185)、兄・源頼朝の追手を逃れて、義経と静御前は弁慶らと共に
吉水院へ潜伏していました。
そして、この潜居の間が義経と静が最後に過ごした場所だそうです。
とても愉快で、ステキな宮司さんがこんなお話をしてくださいました。
お話がステキな宮司さん
「ここで最後の夜を過ごした義経と静・・・こっちへ向いて寝たのかな?
それとも、あっちを向いて寝たのかな?」
みんな、それを聴いて、ニコニコ笑いました。
すると、
「今笑った方は健康な心を持っていて、大いに結構ですが、
笑えず苦虫を噛んだような顔をしている方は要注意です。
人間、どんな時にも笑える心、笑うことがとても大事で、
健康にも好いと思っています・・・などなど・・・」
そのあとで、
「毎日、吉水神社から桜の美しさを眺め暮らしていますが、
桜はその時々の良さがあり、散る桜もまた良いものです。
年に一度出会うかどうか?
桜が一斉に散って、その花びらが山の斜面を花吹雪となって駆け上がり、
空高く舞い上がってから沈んでいく・・・
そんな光景が見れる一瞬があるんです。
みなさんにもお見せしたいですが、写真におさめることができません。
吉水神社から見る、吉野の桜が一番と、感謝して暮らしています」
韋駄天山の祠と桜
吉水神社から韋駄天山という小さな丘へ上り、お弁当を食べていると、
祠の横の満開の桜が風に吹かれて一斉に散りました。
すると、風が韋駄天山へ駆け昇ってきて、花びらを空高く舞い上げると、
すぐに花びらは落ちてしまいました。
「あっ・・」という間の出来事でした。
私たちだけでなく、この瞬間を目撃した若い女性のグループも
「えっ!見た? 今のはなに?」と驚きながらも感激しています。
満開の桜、一斉に散る条件、風、上昇する地形など、偶然ですが、
吉水神社の宮司さんのお話が実感できました。
吉野山の桜旅で宮司さんのお話と共に心に残る思い出となりました。
今年、見納めの桜旅は吉野山(奈良県)です。
4月14日朝8時、京都駅発の観光バスで吉野山を目指しました。
バスツアーは車も土地勘もない私たちにはとても便利で、
伊吹山(滋賀県)、足立美術館(島根県)に次いで3回目の利用です。
11時に駐車場へ着き、15時までの4時間が逍遥時間です。
支給された花見弁当とお茶を持って、先ずは「金峰山寺(きんぷせんじ)」へ。
途中の展望台から吉野山を見渡すと、下千本から中千本へかけて
桜と若葉が入り混じった、吉野の桜に大満足、なかなか先へ進めません。
下千本から中千本の桜の景
金峰山寺仁王門(国宝)をくぐって、蔵王堂(国宝)へお詣りしました。
重層入母屋造、桧皮葺の蔵王堂は安土桃山時代に再建されたそうですが、
高さ34m、幅36m四方という大伽藍に圧倒されました。
本尊の蔵王権現三体が御開帳とのことで、内覧しましたが、
こちらも見上げるほど大きく立派な体躯の蔵王権現さまです。
蔵王権現さまの御前には障子で仕切られた小部屋が設えてあり、
それは日頃の諸悪罪業を懺悔し、仏の道へ発心するための場とのこと。
罪多き二人は一緒に入り、一心に祈り懺悔したのですが、
中味は夫婦であっても別物でしょうね・・・。
金峯山寺・蔵王堂
桜の見物客でごった返す参道を登り、吉水(よしみず)神社へ。
境内から見渡す、中千本から上千本へ桜の花が駆け上がるような景色が見事で、
つい写真を何枚も撮りました・・・その日、一番の吉野山の桜の景でした。
吉水神社からの桜の景(中千本から上千本)
吉水神社は元は吉水院といい、吉野山を統率する修験宗の僧坊でしたが、
明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、
明寺8年に吉水神社と改められ、祭神は後醍醐天皇です。
吉水院には後醍醐天皇の玉座の間が現存しますが、
豊臣秀吉が修理したので桃山時代の様式になっています。
展示されている御物に天皇の日常を偲ぶことが出来ました。
金輪寺茶入や蝉丸の琵琶(後醍醐天皇所持)、御宸筆、
大塔宮(後醍醐天皇の皇子)所用の御茶台や陣羽織もありました。
吉水院で後醍醐天皇が詠まれた和歌
花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に岩走る音 (御製)
吉水神社 後醍醐天皇の玉座の間
展示物を見ていると、放送があり、宮司さんがご説明くださるそうで、
「義経・静御前 潜居の間」の前に集まりました。
文治元年(1185)、兄・源頼朝の追手を逃れて、義経と静御前は弁慶らと共に
吉水院へ潜伏していました。
そして、この潜居の間が義経と静が最後に過ごした場所だそうです。
とても愉快で、ステキな宮司さんがこんなお話をしてくださいました。
お話がステキな宮司さん
「ここで最後の夜を過ごした義経と静・・・こっちへ向いて寝たのかな?
それとも、あっちを向いて寝たのかな?」
みんな、それを聴いて、ニコニコ笑いました。
すると、
「今笑った方は健康な心を持っていて、大いに結構ですが、
笑えず苦虫を噛んだような顔をしている方は要注意です。
人間、どんな時にも笑える心、笑うことがとても大事で、
健康にも好いと思っています・・・などなど・・・」
そのあとで、
「毎日、吉水神社から桜の美しさを眺め暮らしていますが、
桜はその時々の良さがあり、散る桜もまた良いものです。
年に一度出会うかどうか?
桜が一斉に散って、その花びらが山の斜面を花吹雪となって駆け上がり、
空高く舞い上がってから沈んでいく・・・
そんな光景が見れる一瞬があるんです。
みなさんにもお見せしたいですが、写真におさめることができません。
吉水神社から見る、吉野の桜が一番と、感謝して暮らしています」
韋駄天山の祠と桜
吉水神社から韋駄天山という小さな丘へ上り、お弁当を食べていると、
祠の横の満開の桜が風に吹かれて一斉に散りました。
すると、風が韋駄天山へ駆け昇ってきて、花びらを空高く舞い上げると、
すぐに花びらは落ちてしまいました。
「あっ・・」という間の出来事でした。
私たちだけでなく、この瞬間を目撃した若い女性のグループも
「えっ!見た? 今のはなに?」と驚きながらも感激しています。
満開の桜、一斉に散る条件、風、上昇する地形など、偶然ですが、
吉水神社の宮司さんのお話が実感できました。
吉野山の桜旅で宮司さんのお話と共に心に残る思い出となりました。