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暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

原三溪と蓮華院  その3

2011年08月23日 | 三溪園&茶会
一昨年の秋、念願の春草廬有楽茶会を行った時のことです。
真ML会員のごえもんちゃまから、三溪翁が浄土飯(じょうどはん、蓮華飯ともいう)で
もてなしたという浄土飯茶事のことを教えて頂きました。
以来、近代数寄者・原三溪の茶に興味を覚え、引き込まれていった気がします。

原三溪には屋寿(やす)夫人との間に四人の子供がいました。
長男 善一郎、長女 春子(西郷健男と結婚)、次男 良三郎、次女 照子です。
昭和12年(1937)8月6日、長男 善一郎が脳溢血のため46歳の若さで急死しました。
この時三溪69歳、その悲しみの深さを一連の茶事に託したのでしょうか、
初七日を過ぎてから次々と茶事を催しています。

                      

年表(三溪園100周年 原三溪の描いた風景 神奈川新聞社出版)には、
長男 善一郎を追悼するため、月華殿・金毛窟にて
朝五時より浄土飯の茶事を催す・・とあります。

客は、8月15日小林古径、前田青邨ら、16日高橋箒庵、田中親美ら、
18日益田鈍翁、松永耳庵ら、19日和辻哲郎、谷川徹三ら、
22日近藤外巻、近藤夫人ら、そして9月1日横井夜雨ら、
茶事は6回続きました。

その茶会記を高橋箒庵は「昭和茶道記」で「蓮華飯供養会」、         、
松永耳庵は「茶事三年」で「三溪園浄土飯茶事」として記しています。
供養の茶事をせずにはいられない三溪、そして客方の哀悼慰撫の情が痛いほど感じられ、
源実朝筆の日課観音図(現・福岡市立美術館蔵か?)を金毛窟の床に
掛けたという茶会記を涙して読んでいます。

                      

さて、浄土飯について松永耳庵は次のように記しています。

 ・・・広間に一同着座してあれば、
    今し蓮華浄界より浮み来りしが如き
    碧瑠璃の荷葉の華弁を敷き香飯を盛る。
    其見事さに一同嘆賞喝采、暫時箸もつけず見惚るる計りであった。
    お向うには大徳寺納豆一盞つけ、粛然いふばかりなき供養飯である。
    其香味歯牙を爽やかならしめ思はず数椀を傾けた。・・・
    
浄土飯(蓮華飯)を一度食べてみたいと思っていますが、
時期を逸して今に至っています。
蓮華院の下見の帰りに、三溪翁の長女・西郷春子さんが住まいしたという
隣花苑(りんかえん)へ寄りました。

隣花苑については次回に・・・。

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