( 黒木の鳥居 野宮神社 )
8月21日(日)、横浜能楽堂特別公演 「野宮(ののみや)」を
小雨の中、観に行きました。
能は3月6日の「花軍(はないくさ)」以来です。
この日のプログラムは
狂言 「無布施経」 (和泉流)
シテ(出家) 野村 萬 アド(施主) 野村扇丞
能 「野宮」 (喜多流)
シテ(里女、六条御息所の霊) 塩津 哲生(しおつ あきお)
ワキ(旅僧) 宝生 閑
アイ(里人) 野村 万蔵
笛 一噌 仙幸 小鼓 大倉源次郎 大鼓 柿原 崇志
源氏物語第十帖「賢木(さかき)」を題材につくられた「野宮」は、
以前から観たい・・と思っていた演目でした。
あらすじは、
旅の僧が京都・嵯峨野の野宮を訪れます。
小柴垣に囲まれ、黒木の鳥居が立つ秋の暮の野宮は、昔と変わらない風景です。
そこに一人の里女が現れ
「今日は九月七日、光源氏がここを訪れ、六条御息所(ろくじょう みやすんどころ)と
最後の別れをした日である」と告げます。
御息所は、光源氏への思いを断ち切るため、娘が伊勢の斎宮に選ばれたので
一緒に野宮に籠り、伊勢に下ったことなどを語ります。
そして自らが六条御息所であると明かし、鳥居の陰に消えていきました。
僧が夜もすがら御息所を弔っていると、御息所が牛車に乗って現れます。
光源氏の正妻・葵上との車争いで受けた屈辱を述べ、
そして、昔を偲び、光源氏への思いを胸にゆったりと舞う(序之舞)うちに
抑えがたいほど思いが昂り、涙を抑えて舞います(破之舞)。
御息所は再び車へ乗り、去って行きましたが、
果たして迷いの世界から解脱できたのでしょうか・・・。
(榊 季節の花300提供)
里女(前シテ)が左手に榊の小枝を持って登場しました。
最初から、かなり長い時間、その榊は小刻みに震えています。
足元の動きは寸分の乱れも感じられないので、
榊の震えは緊張から来るものとわかりました。
数々の賞を受賞している能楽師・塩津哲生の緊張感が伝わってきて、
動きの少ない感情表現の舞台を固唾をのんで見守ることになりました。
後半の解説に「六条御息所が牛車に乗って登場します」とあり、
興味津々で待ちかねていると、
六条御息所(後シテ)が「一声」の囃子で登場します。
牛車の登場はなく、なんと車に乗った形で舞台下手(常座)に立って、
しずかに懐旧の思いを詠います。
はかなくも美しく、高貴な御息所の魂までもが表現されていて、心に残りました。
面は増(ぞう)。
衣裳もまた素敵でした。
薄黄の長絹(ちょうけん)には菊や桐の色模様が品良く織り込まれ、
露は緋色で引き締まり、袴は高貴なる薄紫。
感動のあまり、その姿をスケッチしてしまいました・・・。
終了後、出店の本屋で「源氏物語」(円地文子 世界文化社)を買っていると、
同じ思いの女性二人と出会いました。
「あのシーンの写真(プロマイド)が欲しいわね」
俗世に生きる私たちは意気投合し、気炎をあげました。
( 席から見た能舞台 )
さてさて、舞台では昔を偲んで、月の光のもと袖を翻して、
美しくもはかない御息所の舞が続きます。
仕舞の約束事はわかりませんが、動作が遅い分、
諸々の表現が難しいことだろう・・・と想像しています。
深遠な人間の業とそれから逃れられない人の哀しさが
能「野宮」から沸き立つように感じられ、忘れ難い一期一会の舞台でした。
8月21日(日)、横浜能楽堂特別公演 「野宮(ののみや)」を
小雨の中、観に行きました。
能は3月6日の「花軍(はないくさ)」以来です。
この日のプログラムは
狂言 「無布施経」 (和泉流)
シテ(出家) 野村 萬 アド(施主) 野村扇丞
能 「野宮」 (喜多流)
シテ(里女、六条御息所の霊) 塩津 哲生(しおつ あきお)
ワキ(旅僧) 宝生 閑
アイ(里人) 野村 万蔵
笛 一噌 仙幸 小鼓 大倉源次郎 大鼓 柿原 崇志
源氏物語第十帖「賢木(さかき)」を題材につくられた「野宮」は、
以前から観たい・・と思っていた演目でした。
あらすじは、
旅の僧が京都・嵯峨野の野宮を訪れます。
小柴垣に囲まれ、黒木の鳥居が立つ秋の暮の野宮は、昔と変わらない風景です。
そこに一人の里女が現れ
「今日は九月七日、光源氏がここを訪れ、六条御息所(ろくじょう みやすんどころ)と
最後の別れをした日である」と告げます。
御息所は、光源氏への思いを断ち切るため、娘が伊勢の斎宮に選ばれたので
一緒に野宮に籠り、伊勢に下ったことなどを語ります。
そして自らが六条御息所であると明かし、鳥居の陰に消えていきました。
僧が夜もすがら御息所を弔っていると、御息所が牛車に乗って現れます。
光源氏の正妻・葵上との車争いで受けた屈辱を述べ、
そして、昔を偲び、光源氏への思いを胸にゆったりと舞う(序之舞)うちに
抑えがたいほど思いが昂り、涙を抑えて舞います(破之舞)。
御息所は再び車へ乗り、去って行きましたが、
果たして迷いの世界から解脱できたのでしょうか・・・。
(榊 季節の花300提供)
里女(前シテ)が左手に榊の小枝を持って登場しました。
最初から、かなり長い時間、その榊は小刻みに震えています。
足元の動きは寸分の乱れも感じられないので、
榊の震えは緊張から来るものとわかりました。
数々の賞を受賞している能楽師・塩津哲生の緊張感が伝わってきて、
動きの少ない感情表現の舞台を固唾をのんで見守ることになりました。
後半の解説に「六条御息所が牛車に乗って登場します」とあり、
興味津々で待ちかねていると、
六条御息所(後シテ)が「一声」の囃子で登場します。
牛車の登場はなく、なんと車に乗った形で舞台下手(常座)に立って、
しずかに懐旧の思いを詠います。
はかなくも美しく、高貴な御息所の魂までもが表現されていて、心に残りました。
面は増(ぞう)。
衣裳もまた素敵でした。
薄黄の長絹(ちょうけん)には菊や桐の色模様が品良く織り込まれ、
露は緋色で引き締まり、袴は高貴なる薄紫。
感動のあまり、その姿をスケッチしてしまいました・・・。
終了後、出店の本屋で「源氏物語」(円地文子 世界文化社)を買っていると、
同じ思いの女性二人と出会いました。
「あのシーンの写真(プロマイド)が欲しいわね」
俗世に生きる私たちは意気投合し、気炎をあげました。
( 席から見た能舞台 )
さてさて、舞台では昔を偲んで、月の光のもと袖を翻して、
美しくもはかない御息所の舞が続きます。
仕舞の約束事はわかりませんが、動作が遅い分、
諸々の表現が難しいことだろう・・・と想像しています。
深遠な人間の業とそれから逃れられない人の哀しさが
能「野宮」から沸き立つように感じられ、忘れ難い一期一会の舞台でした。