鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

年末年始京都旅行その1

2009-12-31 | Weblog
 30日は約1年ぶりに京都旅行とあいなった。いつものように午前8時20分に新横浜行きのバスに乗ろうと高津高校前でバスを待っていたら、すでに男性1人が待っており、しばらくして女性1人が来て、計4人が並ぶともなく、バス停に佇んでいた。そこへバスがやってきて、いざ乗り込もうとすると、マイクを通じた運転手の声で「満員で3人しかお乗りになれません」という。思わず後から来た女性の顔を伺いながら、「3人じゃしょうがない」とつぶやきながら、さっさと乗り込んでしまった。仮にその女性に譲ったら新幹線に乗り遅れでしまう。きちんと整列してなかったことに悔いが残るが、ここはその女性に泣いてもらうしかない、と割り切った。乗り込んだバスは補助椅子席3人分しか空いておらず、確かに満員だった。溝の口から新横浜までよくバスを利用するが、こんなことは初めてのことである。今後は途中でなく始発の溝の口から乗車しようと思った。
新横浜駅に着いたら妙に人が多い。売店や弁当売り場にはお客の列ができているし、待合室も座る席が見当たらない、さすがに年末だ、と思わせた。そういえば、今回の新幹線の切符も売り出しの1カ月前を1日過ぎただけだったのにグリーン席しか取れなかった。プライベートの旅行でグリーン車に乗ることはまずしない。昨年行われた高速道路1000円制度がフルに実施されないせいか、帰省客の新幹線利用が戻ってきたようだ。この傾向は降り立った京都駅でも同じで、バス乗り場に長蛇の列が出来ていた。
それでもなんとかバスに乗り込んで、いつもの五条坂で下りて、清水寺に向かった。いつものコースであるが、いつも覗く工芸品店や京グッズ店を訪れてもいまひとつ食指が動かない。いつも同じようなものでは需要を喚起するには至らない、ということなのだろう。
清水寺で今年の漢字、「新」を写真に撮ったが、いつもなら祭壇の脇に置いてあって触ることもできたのに、ことしは上に上がることは許されず、遠くからしか撮影できなかった。お参りした帰りに清水寺の参道の土産物屋で、八つ橋シューなるものを買って食べた。先週の日本テレビの「ふらり途中下車の旅」で紹介されていたので早速食べてみることにしたものだが、以前はそんなことはなかったのに列ができていて、つくづくテレビの威力は凄いと思った。
その後は八坂神社を抜け、祇園を通り過ぎ、錦小路で夜の食材でも買おうと思って行ったら、凄い人の列で途中で身動きできなくなってしまった。それでもお互いに前に進もうとしてくる人の波になって膠着状態に陥ってしまったのだ。怒号する声や助けを呼ぶ声も出たが、如何ともすることがてきない。ただ、ただ人の波に任せているしかなかった。何回も錦小路に来ているがこんなことは初めてだ。そのうちに見るに見かねて商店街の人が交通整理に乗り出してなんとか前に進むようになった。しばらく行くとお巡りさんがいたが、特に仕切っていたようでもなく、手を拱いているようだった。こんな混雑では商売上がったりだと自発的に事態の解決に乗り出したのはさすがと思わせた。
景気がいいのか、さほどでもないのか、判断に苦しむところだが、まだら模様の様相を呈してきているのかもしれない、とも感じた。
コメント
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