鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

納涼歌舞伎の楽しさも外へ出た途端の混雑で半減してしまった

2009-08-15 | Weblog
 14日は東京・銀座の歌舞伎座へ八月納涼大歌舞伎を観賞に出かけた。開演の30分前の午後2時30分に歌舞伎座に着くと正面入り口はまだ午前の部が終わったばかりで、場内整理のため入場を待つ人でぎっしりだった。待つこと数分で、入場となったが、入って席に着くこと数分で開演と、ゆっくりと筋書きを読んでいる暇もない慌ただしさで、そんな気分のまま開演となった。
 前半の出し物は真夏らしい落語の「真景累ケ淵」からとった怪談。幕が開くと、長屋の一室で浄瑠璃のお師匠、豊志賀が顔に腫れ物のできる病に罹り、それを看病する年の若い弟子、新吉のところへ見舞客が訪れて、形ばかりのねぎらいの言葉をかける。いい加減看病に嫌気がさしている新吉にはそれが癇にさわって仕方がない。そうとは知らない豊志賀はなにかにつけ、病気をいいことに新吉に甘え、わがまま放題で、あまつさえ、同じ長屋に住むお久との仲を疑い出す始末。
 そんなところへ当のお久が見舞いに訪れるが、豊志賀は嫉妬に狂って、追い返してしまう。新吉はお久に申しわけない気持ちで一杯になり、やっと豊志賀が寝入ったところで、思わず家を後にしてしまう。ほっとして外に出ると、お久にバッタリと会い、食事にでかけると聞いて、そのまま一緒に出てしまう。
 それとは知らない豊志賀は目を覚ましたものの、新吉のいないのを知って逆上し、のたうち回って死んでしまう。一方、お久と料亭にしけこんだ新吉はお久の身の上話を聞くうちに同情して、一緒に千葉に駆け落ちすることを約束してしまう。その途端、行燈の灯が暗くなり、突如豊志賀が現れ、逢引している新吉をなじる。
 驚いた新吉は叔父さんの家に駆け込み、相談すると、叔父はいま豊志賀が新吉を探しに来た、という。信じられない面持ちで急いで長屋に帰ろうと駕籠を呼びに行くと、そこへ長屋の噺家のさん蝶が現れ、「豊志賀が亡くなった」と告げる。驚いた2人がいま見たばかりの豊志賀を探しまわるが、どこにもいなくて、腰を抜かしていると、呼んだ駕籠の中から豊志賀が現れたところで、幕となる。看板の納涼らしい幽霊話で面白かった。
 後半は「船弁慶」。平家を追って大物浦から西国へ赴こうとする源義経一行に弁慶が静御前を都へ帰すように進言し、その通りにし、船に乗り込み、西国へ進もうとすると、一転空はかき曇り、暗雲が立ち込め、平知盛の霊が船に襲いかかる。弁慶が必死に祈り、その霊を追い返す。静御前と平知盛を中村勘三郎が務め、長唄囃子連中が後ろに控え、舞台回しを務める華やかな舞台で、華やかな歌舞伎の世界の味を楽しませてくれた。
 満足して外へ出ると、午後6時から始まる夜の第3部への入場を待つ人の波がごった返しており、狭い歩道をかいわけかきわけ銀座4丁目へ向かうのはかなりしんどかった。午後3時前に入場する時もそう思ったが、公演が終わって、次の回が始まるまでわずか30分弱で行うのは無理がある。たくさんの人を入場させて稼ぎたい気持ちはわからないでもないが、そんなにせわしい思いをすると折角いい気分になっいるのに半分以上吹っ飛んでしまう。少なくとも古典芸能である歌舞伎はゆうたりと味わい、かつ楽しみたい、と思った。
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