鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

宣なるかな 安野光雅の「100年に一度の不況」説への異論

2009-04-26 | Weblog
 先日、NHKテレビ朝の生活ホットモーニングの「この人にトキメキ」を見ていたら、画家の安野光雅氏が近況を語っていて、途中ではアナウンサーに促されるように答えていたのに、最後に「最近おかしいと思っていることはありますか」と振られて、きっと目を向いて「そんなんですよ。だれが言い出したのか知らないが、いま100年に一度の不況というのがわからない。日本の戦争直後の悲惨さを知る人にとって比じゃない」と言い切った。確かに、第2次世界大戦直後の昭和20年代を知る人にとっていまとは比較にならない状況だったのは間違いない。
 番組中で話していたが、安野光雅氏は戦争に兵士として召集され、末期の数か月間、食べるものもない悲惨な軍隊生活を強いられた経験があり、終戦直後もさらに困難な生活を耐え忍んできた、と話していた。そうした話のあとの「100年に一度の不況」否定論だけに説得力があった。いまや終戦後の苦境を知る人は70歳以上の人に限られるので、記憶が薄れているうえに大半の人が比較しようにもそうした事実を知らずにあえて反対もしないことから、すんなり通ってしまったようだ。
 昨年秋にリーマン・ブラザーズの倒産をきっかけに世界金融危機が起きた当座は米国発の不況であることと、1930年代のブラックマンデーが想起されて、ブラック・マンデー以来の世界不況と浮かび、麻生首相が「100年に一度の不況」と言い出したことから、この表現が定着してしまったようだ。
 世界的な同時不況としては1930年代のブラック・マンデーに次ぐ大不況であるのは否定できないが、こと日本にとっては終戦直後の食べるものすらない極貧の状況とは比べものにならないことも確かである。終戦直後は経済に限らず、日本のあらゆるものが崩壊しかかっていて、国家そのものの存立すら危ぶまれる声すら出ていた。不況どころか、国自体のあらゆる機能が麻痺していて、経済だけでなく諸体制、組織の整備から着手しないと間に合わなかった。
 それに比べれば、いまは経済成長がマイナスになり、主要企業の売り上げが低下している程度で、国民の生活が立ちいかなくなっているわけではない。2、3年もすれば以前ほどにはいかなくてもある程度は戻ることだろう。
 その意味では「100年に一度の不況」ではなく、「100年に一度の世界同時不況」と言うべきだろう。終戦直後の不況は欧米諸国の市場へ進出することで克服できたが、いまは世界同時不況なので、捌け口がなく、それだけに打開策が見つからない困難な不況ともいえなくもない。
 
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