鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

歴史ミステリー、桶狭間の戦いを解明した「空白の桶狭間」

2009-04-22 | Weblog
 加藤廣著「空白の桶狭間」を読んだ。織田信長が今川義元を打ち破り、一躍、時の人となり、天下人として走り出した桶狭間の戦いはいまだに謎であり、どのようなからくりがあったのか、歴史家の興味がつきないテーマである。それを「信長の棺」で文壇にデビューした著者が見事にに解き明かした。お得意の太田牛一著「信長公記」から読み取った著者独特の歴史観が生み出したもので、多少のフィクションがあるとはいえ、近来にない面白さであった。
 「空白の桶狭間」は織田信長による尾張統一が成った永禄2年(1559年)5月から始まっている。統一はしたものの、東の駿河には強豪の今川義元が、さらにその東の甲斐にはさらに強力な武田信玄が控えており、織田家はいまや風前の灯といった感じであった。そこへ現れたのが策士の足軽頭の木下藤吉郎、後の豊臣秀吉である。密かに蜂須賀小六に農民を組織した軍団を組織することを命じ、自らは駿河から近畿諸国をめぐり、今川義元軍を打ち破る方策を探りに出かける。
 そして、今川義元が肥満のため馬に乗れないことを探ったり、戦いの場を桶狭間にして馬の軍団で襲うことなどの策を講じて、織田信長に進言する。織田軍はせいぜい3000人で、今川軍の10分の1しかなく、兵力で鼻から勝ち目がなく、考えあぐねていた信長は表向きは清州城に籠城する、と見せかけて秀吉の策に乗ることにした。
 さらに徳川家康を通じて今川義元に降伏する、とに手紙を託す策を弄し、今川勢の精力を削ぐことにまんまと成功する。織田信長が降伏する、と信じ込んだ今川義元は桶狭間にて信長と秘密の和平会談をすることにして、少数の手勢のみを連れ、密かに桶狭間に向かう。そこへわずか20人の部隊で乗り込んだ織田信長は秀吉が潜り込ませていた犬を義元の本陣になだれ込ませ、あっという間に家臣もろとも噛み殺してしまう。今川軍が気付かないうちに義元の首を打ち取った織田信長は颯爽と引き揚げていき、残された配下の軍勢は混乱のうちに駿河へ引き揚げてしまう。これも秀吉が策した武田・北条勢が駿河に攻め入った、とのデマを信じた今川氏真の作戦負けであった。
 その後の戦国時代の展開は織田信長のあとを秀吉が受け継ぎ、徳川の世のなっていく、ということだが、小国の尾張が大国の駿河を負かしたとは驚天動地の出来事だったことだろう。織田信長の名が天下に鳴り響いたのも桶狭間での勝利であったのは間違いない。しかもその立て役者が実は豊臣秀吉であったということはその後、秀吉が天下を取ったことから十分に頷けるところである。
 いままでは織田信長が風雨を衝いて、今川軍に切り込んだのが桶狭間の戦い、とされていたが、わずか20人、しかも実際に切り込んだのは犬の軍団であったとはまさに歴史ミステリーで、抜群に面白かった。

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