MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

増尾花道迷い道(2)「梅花・増尾城址・妙見信仰」

2014年03月20日 | あらかると

枝垂紅梅、枝垂白梅の見事さに感動しつつ道を下っていくと、
昔は小川であったに違いない側溝に差し掛かった。
しかし、
側溝沿いの車道は、官庁のの悪しき習慣である、
「年度末・予算使いきり工事」のために通れず、
迂回を余儀なくされてしまった。

道に迷ったら、川沿いに下っていくといずれ本流にたどり着き、
迷い道から脱出できる可能性が大きいのである。

迂回することにより、川を見失い再び迷い道を進むと、
国道51号線(後日調べで判明)に出るとともに、
川を再発見し、この川沿いの紅白梅の花も満開だった(巻頭の写真)。

川沿いには道路はなく、集落に面して走る道路を進む。
時折視界が開けて、金網の防護柵で囲われた川が見え、
川を挟んだ向こう側には、集落が見え庭木であろう梅の花が見えていた。


再び県道らしき大通りに出ると川向こうに梅林が見え、
さらに梅林の先には川の下流方向である右側へと続くT字路があった。
梅の花の香りとその道路に誘われて、T字路右へと進む。


しかし、舗装道路は「増尾城址公園」前で終わっていた。


大津川に出るまでは道に迷っているわけで、
城址公園を見学するよりも、先に進みたく、
近くにあった自販機の缶コーヒーで数分の珈琲タイム。
目の前は・・・・
芝浦工業大学柏中学高等学校だった。


と言うことで来た道を逆戻りし村落の旧道に戻った。
まるで民家への進入路のようなところを走っていくと、
「河津桜」を発見。
河津桜の近くには「妙見堂跡」の石碑が立っていた。

「妙見」とは妙見菩薩のことであり、
かってはこの地区が妙見菩薩を一族の守り神とした、
「南相馬氏(下総相馬氏・流山相馬氏)」の支配地であったという名残かもしれない。

また、
相馬氏初代の相馬師常は桓武平氏の流れを汲み、
平将門のの子孫である篠田師国の養子といわれている。
さらに、
平将門が伯父の平国香、良兼、良正らと戦ったおり、
妙見菩薩が将門と平良文の危機を救ったとされ、将門の守護神となっている。


そんな秘められた歴史の残る道を進むと、
山間を開いたような場所に梅林があった。


さらに進むと平地になり、白樺の植栽されている畑に出た。
で、畑の向側は芝浦工業大学柏中学高等学校のグラウンドのようで、
生徒らの溌剌とした掛け声が響いていた。


白樺と一緒に数本の「河津桜」が植栽されていて開花を始めていた。


まだ1分咲きにもなっていなかったが、今頃は満開になっているかもしれない。


明日は彼岸の中日だが、北風が強く荒れるようである。
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