友人宅でTVからの情報を収集中にも余震が頻発していたので、
友人宅を出てとりあえず近所の避難場所に行った。
しかし、そこにはすでに避難していたと思われる人々は無く、
散歩中と思われる子犬を連れた夫人が一人いただけだった。
再び我孫子駅前に戻り「運行再開」の情報を待っていたが、
待てば待つほど日も暮れてくるので、意を決し徒歩で帰ることにした。
駅前のコンビニでパン2個と水を買い(この時点でコンビニには飲み物もパンもおにぎりもふんだんにあった)、
駅近くの小さな公園で、友人と二人ささやかな夕食をとった。
「帰宅困難者」となった私が徒歩で帰宅するには2つのコースが考えられた。
一つはいつも遊んでいてよく知っている手賀沼河畔から大津川沿いに行く方法。
もう一つは一度も歩いたことの無い国道6号線をひたすら歩いて松戸に出る方法だった。
回りが田圃ばかりで外灯が無く、夜間は足元が保障されない「大津川土手」よりは、
やや遠回りになるが車のライトの明りが絶える事なくあって、
しかも足元は舗装されていて転倒の心配が無い国道6号線を歩くことにした。
すでに我孫子駅から「あけぼの山農業公園」まで歩いていたため、
脚にはやや疲れが残っていて歩けるかどうかは判らなかったが、歩くしかなかった。
幸い、待ち合わせ場所のの我孫子駅に到着したとき、
ホームの自販機で買った「リポビタンD」がバックの中に残っていた。
リポビタンは学生時代頃からの愛飲料で、
登山など体力の使う行動が予定されているときや、
徹夜などが予想されているときなどにはバックやリュックに入れてく習慣があって、
それ一本があることによって頑張ることができた。
バックの中の飲食物は水とジャムパンとリポビタンDという状態で、友人に別れを告げ出発した。
6号線は上りの東京方面が大混雑で、場所によっては歩いたほうが早いほどだった。
すこしは流れていたものの下り方面も混んでいた。
友人宅から松戸の兄宅に電話が通じたとき「迎えに行こうか」と言っていたが、
渋滞を目の当たりにして「迎えを断った」ことが正解だったと思われた。
我孫子市内ではまだ6号線を歩いている人は少なく、
渋滞もそれほどひどいものではなかったがかったが(巻頭の写真参照)、
夕刻6時を過ぎるころになると歩道を歩く人が増え、クルマも渋滞してきた。
北柏付近では「柏駅構内が被害を受けていて駅が閉鎖され復旧の見通しがつかない」との会話を耳にした。
電車が動くことに期待していただけに残念な情報であった。
日没が近づいてきて、6号線には美しい夕焼け雲が見られた。
震災と車の渋滞が無ければ平穏な日没だったのだろうが・・・・