MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

被災地に桜咲く

2011年03月31日 | あらかると

被災地の茨城県水戸市から
「津波にあって傷ついた早咲きの桜が開花した」というニュースが流れていた。

都心より遅く咲く茨城では「入学式の頃」に桜が満開になることが多く、
私の場合も入学式というと「満開の桜」が思い出される。
そんな田舎の桜は、川土手の改修によってほとんどが消え、
桜とともに春の郷土の祭りも消えて行った。

春祭りの舞台で毎年のように日本舞踊を披露していた同級生は、
今でも「あでやかに」踊っているのだろうか?


写真はすべて近所の休耕地で見つけた満開の「イトザクラ」・・・本日撮影。
山と渓谷社刊「新、日本の桜」によると、
細い枝がほとんど垂直にしだれる以外は江戸彼岸と異ならない。としている。
枝垂桜は自然交配されて自生していたものを里に持ち帰り栽培していることが多く、
さまざまな変種が見られという。


江戸彼岸系の枝垂桜は大木となることが多い。

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断捨離と過去の先端技術

2011年03月30日 | あらかると

今回の大震災で我が家でも茶器や一部の家電に被害があった。
また、本棚の扉を支える金具の一部が壊れ満載の本が部屋に散乱した。

ということで、この機会に大幅な「断捨離」を実施することにした。

家電は、30年前は最先端だった高級オーディオセット、
高級AVアンプ、初期のベーターデッキ、コンパチ(CD,CDV,LD)プレイヤー、
AKAIオープンテープデッキ、TCD5M(カセットデンスケ)、
67判フィルムプロジェクターなど(買取価格合計約130万円)を、
無料で引き取ってもらうことになった。

また、本は純文学の「初版本」を主に買い集めていたので(30%は積読)、
これは今年から中学生になる「本の好きな田舎の姪っ子の子」に50冊ほどを送った。

純文学の「初版本」といえば買っていた当時は価値があって、
たとえば「高橋和己」の「わが解体」は一冊1万円を超えていた。
今はどの程度の価値があるかはわからないが、そんなことを気にしていたら「断捨離」はできない。

LDのソフト(レーザーディスク)は、過去にその大半をネットオークションで処分していたが、
手放せずに手元に残した盤が10枚ほどあった。
今回この一部をダビングしてデジタル化をしたが、
50年前の映画はともかく、ヒーリング目的の映像詩LDは、
映像にパープルフリンジが目立ちシロ飛びも多く、
今の映像技術には遠く及ばないものになっていた為ダビングをあきらめた。

ブラウン管テレビで見ている分には特に感じていなかったものが、
デジタルでは陳腐な画像となってしまったのである。
「人は死ねばゴミになる」と言って癌に倒れた最高裁判事がいたが、
「最先端も経年に勝てずゴミになる」ということを感じるこのごろである。


余震
この記事を書いている間に3回も余震と見られる地震があった。
今日の午前0時から17時過ぎまで余震は2回しか発生してなかったので、
今日はのんびりと寝られるかナァと思っていたのに・・・・・
ほんと・・・いつ収束してくれるのだろうか?
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春の息吹

2011年03月29日 | あらかると

市指定の「健康診断」を行なうことになり、
とりあえず、ウオーキングをし食事を野菜中心にした。

以前に、ウオーキングをしてから健康診断を行なったら結果が良かったので、
そうしてみようと、「21世紀の森と広場」の往復を約3時間かけて歩いた。

菜の花が咲き、ホトケノザが咲いて、暖かい一日だった(巻頭の写真)。

桜に先駆けて辛夷の花が満開を迎えていた。


暖かな春の日を浴びながら、越冬蝶が思いっきり羽を広げていた。


花菖蒲のライトグリーンの芽が、枯野を飾り始めた。


突然変異だろうか? 白い花のホトケノザを見つけた。
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都心の桜(靖国神社基準木)が開花

2011年03月28日 | あらかると

都心の桜(染井吉野)の開花が今日発表されました。
平年並みながら昨年よりも6日遅い開花となりました。

今週は15度以上の気温が予想されることから、
週末には、上野、千鳥が淵、新宿御苑などの桜が満開を迎えるものと思われます。

写真は、団地内広場にある「大島桜」。
大島桜は、花が白くやや大きめの花で「染井吉野」に先駆けて咲き、
若葉は香り高く、塩漬にして桜餅の包み材料に使われています。
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私の3.11顛末記 その2

2011年03月27日 | あらかると

友人宅でTVからの情報を収集中にも余震が頻発していたので、
友人宅を出てとりあえず近所の避難場所に行った。
しかし、そこにはすでに避難していたと思われる人々は無く、
散歩中と思われる子犬を連れた夫人が一人いただけだった。
再び我孫子駅前に戻り「運行再開」の情報を待っていたが、
待てば待つほど日も暮れてくるので、意を決し徒歩で帰ることにした。

駅前のコンビニでパン2個と水を買い(この時点でコンビニには飲み物もパンもおにぎりもふんだんにあった)、
駅近くの小さな公園で、友人と二人ささやかな夕食をとった。

「帰宅困難者」となった私が徒歩で帰宅するには2つのコースが考えられた。
一つはいつも遊んでいてよく知っている手賀沼河畔から大津川沿いに行く方法。
もう一つは一度も歩いたことの無い国道6号線をひたすら歩いて松戸に出る方法だった。

回りが田圃ばかりで外灯が無く、夜間は足元が保障されない「大津川土手」よりは、
やや遠回りになるが車のライトの明りが絶える事なくあって、
しかも足元は舗装されていて転倒の心配が無い国道6号線を歩くことにした。

すでに我孫子駅から「あけぼの山農業公園」まで歩いていたため、
脚にはやや疲れが残っていて歩けるかどうかは判らなかったが、歩くしかなかった。
幸い、待ち合わせ場所のの我孫子駅に到着したとき、
ホームの自販機で買った「リポビタンD」がバックの中に残っていた。

リポビタンは学生時代頃からの愛飲料で、
登山など体力の使う行動が予定されているときや、
徹夜などが予想されているときなどにはバックやリュックに入れてく習慣があって、
それ一本があることによって頑張ることができた。

バックの中の飲食物は水とジャムパンとリポビタンDという状態で、友人に別れを告げ出発した。

6号線は上りの東京方面が大混雑で、場所によっては歩いたほうが早いほどだった。
すこしは流れていたものの下り方面も混んでいた。
友人宅から松戸の兄宅に電話が通じたとき「迎えに行こうか」と言っていたが、
渋滞を目の当たりにして「迎えを断った」ことが正解だったと思われた。

我孫子市内ではまだ6号線を歩いている人は少なく、
渋滞もそれほどひどいものではなかったがかったが(巻頭の写真参照)、
夕刻6時を過ぎるころになると歩道を歩く人が増え、クルマも渋滞してきた。

北柏付近では「柏駅構内が被害を受けていて駅が閉鎖され復旧の見通しがつかない」との会話を耳にした。
電車が動くことに期待していただけに残念な情報であった。

日没が近づいてきて、6号線には美しい夕焼け雲が見られた。
震災と車の渋滞が無ければ平穏な日没だったのだろうが・・・・
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