近所のフィールドまで散歩。
初夏となると若葉は青葉となり、
初春の草の芽や木の芽ほどの面白さは無い。
川沿いの小さな公園にマーガレット(?)が植栽されてあり、
花には様々な蜜蜂やハナアブなどが集まっていた。
撮るものに新鮮味がなくなってきているので、
蜜蜂の複眼を撮って見ようと・・・
何枚か撮ったが、
なかなか複眼の模様までは写らなかった。
何枚撮っても複眼にピントが合わないのである。
蜜蜂も一応刺す針を持っている蜂なので、
顔を近づけるわけには行かずオートフォーカスで撮るのだが・・・
というかマニュアルでピントを合わせているうちに逃げてしまうのだ。
なぜ眼にピントが合わないのだろうかと・・・
もしかすると蜂は、
「ピントを合わさせない」何かを持っているのだろうか???
などと
ありもしない物語の世界に入っていくのだが・・・
別の場所では、
蜜蜂の半分以下の体長しかない小さな蜂が、
体中「お弁当」状態なのである。
私のように食いしん坊の蜂なのか?
はたまた模範的「働き蜂」なのか?
色々と蜂の世界を空想しながら撮っていると、
ふとただならぬ気配を感じた。
「誰かに見られている」・・・・
花の向こうの鉄柵の、更に向こうの水面で、
大きなスッポンがこちらを見ていた。
昨年の秋に見た「大スッポン」のようである。
「今年も元気だよ」と言っているかのように、
顔だけを水面から覗かせ、あきらかに私を見ていた。
臆病のスッポンにしては大胆であるが、
伊達に長生きはしていない様子が感じられて面白い。
反対側に回って撮ったら・・・
両手(前足?)で浅瀬の岩を抱えて、
何時でも深みに逃げられる体制をとっていた。
蜜蜂もスッポンも必死で生きているのがいい。