MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

生姜茶を作る

2007年11月21日 | たべもの・料理

手賀沼の「道の駅」で新鮮な産直生姜が安く売っていたのでこれを求め、フードプロセッサーとジューサーで砕き、砂糖と水あめで煮詰め「生姜茶」を作った。
風邪を引いたときや寒いときなどお湯で溶かして飲むと体が温まります。韓国の蜂蜜生姜糖をヒントにつくりました。生姜と糖分だけなので料理にも使ったりします。

空瓶が韓国で求めた生姜茶で、ハングル文字の瓶は「最初の一文字がggulと発音し「蜂蜜」、次の二文字がsaeng-gangで生姜、つぎがchaで茶」で、「蜂蜜生姜茶」。
右上のハングル文字は、ビンの赤丸部分を拡大したもので原材料が記載されている。上から順に「生姜濃縮液(固形分10)6%」「生姜果肉9.75%」「蜂蜜2%」「オリゴ糖2%含有」さらに、砂糖、ペクチン、桂皮濃縮液、胡椒濃縮液、カラギナンなどが入っている。
生姜は、韓国では「腸の毒消し」に良いとされ「チャングムの誓い第40話 疫病発生」にも出てくる。
また、漢方的には胃もたれや胃弱・健胃、食欲増進、頭痛、嘔吐、むくみ、発汗作用に効果があり風邪にも効くようだ。

写真は「生姜茶」というよりは「生姜ジャム?(笑)」。 次は「蜂蜜生姜茶」の原料を参考に作ってみようと思う。さらに美味しい「フジりんご」が安くなってきたので簡単で美味しい「りんごジャム」も作る予定だ。
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紅葉二題

2007年11月13日 | あらかると
関東地方の秋も本格的になってきた。
楓などはまだだが、欅紅葉はすでに散り始めている。団地の回りは夏の日よけをかねた欅の大木が多いので、清掃員は大変である。



私の近辺で今美しいのは蔦紅葉である。



この二枚は絵の題材として写し取ろうと思っている。自然の美を絵筆で写し取ることは難しいが、出来上がったときに「写真のようね」といわれないようにするよう心がけることになる。、






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野生の小松菜

2007年11月09日 | たべもの・料理


最近釣りを楽しんでいる川の堤防近辺には、田畑や農家が多いせいか、この時期に蕎麦や菊や朝顔などの花が咲いている。田畑などから種が流れ着いて野生化たものと思われるが、川岸の栄養豊富な土壌に恵まれて雑草に負けることなく成長していた。
小松菜やからし菜もあった。からし菜は川岸には付き物のように見られる種類なのでさほど珍しくもないが、小松菜となるといささか不思議である。いや、不思議に思うのは川岸の自然に慣れていない私だけで近隣の人にとっては当たり前なのかもしれない。

問題は岸辺の小松菜が食べられるか否かである。写真のように立派でかつ美味しそうなのである。当然場所が場所だけに人の手は入ってないから無農薬である。しかも、周りには草が多いので虫も小松菜を好んで食べては居ないようだ。川にはウグイやヤマベ(オイカワ)などが住んでいるので水もまあまあ綺麗である。
と、こんな条件から「もしかすると栽培して売っている小松菜より自然で美味しいに違いない」との結論に達した。
しかし「本当に小松菜?」といえば立派過ぎて自信がない。プランターで栽培したこともあったが下の写真程には立派にならなかったし、スーパーの物だって川岸の小松菜に比べれば貧弱だ。根は短かったもののこれほど立派な根の小松菜を見たことはない。結局これまで経験してきた私の常識では判断できなかったのである。



この根太の小松菜のように、専業外の人は真実を知ることなく日々の糧(かて)を得ているのかもしれない。例えば「鮭の白子」、十数年前までは食べる人もあまりなく、鮮魚店では「魚のあら」扱いで非常に安価なものだった。興味があったので買ってきて(百円程度で4腹分ぐらいあった)塩を振りバターで焼いて食べたが、結構美味しかった。それ以来、旬になると食べていたが「みのもんたの思いっきりテレビ」で取り上げてからというもの「利益を生む食材」としてスーパーなどでも売られるようになった。しかし値段は数倍になった。

日本の場合、糧の真実を知らなくても食品衛生法で守られているのでスーパーで買ったものは安心して食べることが出来る。だが偽装工作などの悪意が絡むと話は別である。そういう意味では「老舗の赤福」より川岸の「根太の立派な小松菜」のほうが安心なのかもしれない。

なお、写真1と写真2は同じ川岸の「小松菜」ですが別の固体です。
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あかのまんま

2007年11月08日 | あらかると


「あかのまんま」・・・日本大歳時記(講談社)より
野原や路傍に多い犬蓼の花である。女児がままごと遊びに赤飯になぞらえる。鄙びた貧しい花ながらどこか捨てがたい俳趣ともいうべきものが漂っている。

此の辺の道はよく知り赤のまま  虚子


「あかのまんま」が花の少ないこの時期にあって華やいでいる。最初の群生写真は手賀沼近くの田んぼの畦道に咲いていたものだが、近くの公園でこれを好んで食べている鳥に出会った。
この公園に住み着いているカルガモと思われるが、人の気配を気にするよりも食欲が勝っていて私が2m以内に近寄っても逃げない。花を食べる鳥は面白いのでシャッターを切った。シャッター音も気にならないようだった。
下の写真がそれで食べられている「あかのまんま」が揺れて写っている。この草むらにはほかに2匹居て同じように「あかのまんま」だけを選んで食べていた。



最後の写真が「あかのまんま」をばらしたものである。小さい花の集まりだが、拡大すると一個一個が美しく、普段は見ることのない「美」の集合体でもあった。ばらした写真の右側に中身の黒く見えるものが一個写っているが、これが種である。これが彼らの糧になるのだろうことは想像できたが、「花を食べる鴨」は「種を食べる鴨」という真実を知りえた。



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鯛の兜煮

2007年11月03日 | たべもの・料理


大きな「鯛かぶと」(上の写真)が約400円と安かったので買い込んできていそいそと「鯛の兜煮」を作った。
まず身をきれいに洗って(身や骨の間に付いている血は完璧に取った。これがおいしく炊き上げるひとつの要因である)軽く湯通しをした。醤油と味醂と砂糖に生姜少々、分量は適当である。やや醤油を少なくしたので調整はいくらでも出来る。
炊いているうちに香りがあがってきた。が、想像していた「いい香り」ではなかった。
「もしかすると」と思い、入っていたパッケージの商品名を見た「鯛かぶと」、三重県産、ココまではよかったが、案の定「養殖」の文字が小さく入っていた。スーパーで見たときにやや背のほうが黒ずんでいて気にはなったが「兜煮」の二文字が脳裏にちらつき、間髪を入れずに籠の中に入れてしまった。
養殖ものでは本当に美味しいものはできない。「鰤大根」もスーパーで売っている養殖物の「鰤」ではいろいろ手間をかけても「天然物の鰤」には追いつけない。鰤も大根も香りや味がまるで違うのである。
魚は住んでいる場所によっても味が変わってくる。東京湾のボラは臭くて食べられないが、伊豆などのきれいな海にすむボラ(釣ったらすぐにシメ手内蔵を取ることが条件らしい)の刺身は美味しいようだし、逆に、鯉や鯰は養殖物以外は泥臭くて食べられないという。

以前、カウンターに座れば頼まずとも好みの寿司のコースが出てきた行きつけの寿司屋で、養殖物の「はまち」と天然物を食べ比べたことがあったが、養殖物は油が乗りすぎていてなんとなく鰯のような香もしていた。養殖物は鰯を餌として与えているのでそのようになるのだという。それ以来、寿司屋では「はまち」は食べられなくなった。
会社の研修所が伊良湖岬近くにあって、そこの夕食にはまちの刺身が出たことがある。管理人兼料理人に「養殖?」と聞くと、昼に市場に揚がったばかりの「天然物」という。養殖物は身が白っぽいが、天然物はやや赤みがあり、油の乗りも少なく「しこしこ」として絶品だったのである。今はその会社もなくなり研修所も特養老人ホームに変わってしまったと聞く。

話は横道にそれてしまったが、結局味を良くするために化学調味料を使い、更に香りを消すために5cmほどに切った葱一本分を加えることになった。一晩なべに入れたまま放置し出来上がったのが下の写真である。何とか満足できる味に仕上がった。


で、結論。安いものは安いなりに覚悟して食すべき。実際魚屋さんで見る天然物の「鯛の兜」は養殖鯛の価格の2倍以上はするのだ。

「本当に美味しいものを知らない人は、不味いものが判らない」という。それゆえ不味いものでも「美味しい」という。おなか空いていればなんでも美味しいというのは定説だが、たまには本物の味を味わっていただきたいと思う。鯵の干物でも安いものと高いもの、スーパーのものと港周辺のもので異なる。
とうもろこしだって採れたてが一番おいしく、一日で甘みが半減するという。だから生産地で焼いているとうもろこしは絶品だし、スーパーのものは美味しくないというのが定番である。しかしそれだって現地の採れたてを食べたことのない人にとっては「スーパーのものでも十分に美味しい」のである。

以前築地の料亭で「モズクの雑炊」をご馳走になった。もずく雑炊には「いくら」が散らしてあった。このいくらの塩加減とモズクのとろみ加減が絶妙で美味しかった。手帳にメモをし早速自分でも作ってみたがそれなりの味になった。「いくら」の旬である。美味しいいくらが手に入ったら友人を呼んで食べさせようと思うが、食事イコール餌的食べ方をする人なので、本当の美味しさはわかっていただけないかもしれない。でも食べたいのは私である(笑)
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