MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

「染井吉野開花」(松戸市)と「増尾城址総合公園の河津桜」

2014年03月26日 | あらかると

地元の桜が数本開花した。
例年都心よりも2~3日遅れて開花するのだが、
今朝、近隣の公園で染井吉野が開花しているのを発見した。
都心とは1日違いの早い開花の確認となったが、
今年はそれだけ都心と変わらぬ暖かさが続いたということでもある。


一本の木に50~100輪ほども開花していたので、
もしかすると開花は20℃以上となった昨日で、
都心と同時の開花だったものと推察できる。


で・・・・
表題にあるように、昨日は「増尾城址総合公園」などをポタリングしてきた。

芝浦工業大学柏高校のまえの「増尾城址公園」の入り口にたどり着き、
自販機の珈琲でコーヒータイムを取っていると、
腕章を付けた公園事務所の係員がゴミ袋を片手に巡回中だった。

声をかけて
車止めがあって前回は入らなかった遊歩道について、
自転車でも入れるかを聞いたところ「入れます」とのこと。
さらに、
カメラも趣味だったようで、数分四方山話に・・・・
孫の写真が中心と言うことだった。

係員の情報から、車止めのある遊歩道を登っていくと、
公園広場があり「河津桜が満開」との情報をいただいたので、
早速、その遊歩道を登っていった。

同じような樹齢で樹高が4mほどのの河津桜が10本ほどありすべて満開だった。
散り始めてもおらず、一番の見頃だったようである。


手の届く範囲にも咲いていたので、マクロ的な写真を撮った。
「霞か雲か」の遠景の桜もいいが、
やはり、花の一つ一つが美しくどれを撮っても良く撮れるのが良い。
と、
満開の桜の元に元気な女の子の4~5人が、
元気に歌いながら跳ねるような歩き方でやってきた。
無邪気に大きな声で歌っている。
家族連れだったかどうかは確認できなかったが、
「さくらさいたらいちねんせい・・・・・となりにすわるこいいこかな」
などと歌っていた。

聴いたことのない歌だったが・・・
歌い終わって数分たつと再び楽しそうに元気に唱和していた。


余りにも楽しそうで、声の出し比べのような大きな声は、
周囲の大人の顔までほころばせていた。
満開の桜に元気な歌声と子供達の躍動・・・・・やはり春はいい。
で・・・・
帰宅後歌詞などからその歌を探してみると、
伊藤アキラ作詞、桜井順作曲による1986年の子供向けの歌、
『ドキドキドン!一年生』だった。


YouTubeにもその歌があったが、
少女達の歌はさらにそれよりも元気良く躍動感のある歌声だった。
それは、
青空の満開の桜の下での無邪気な少女達の魂の叫びのような感じさえした。

YouTubeの『ドキドキドン!一年生』はこちらから
伊藤アキラ、桜井順についてはこちらから



1986年と言えば私は会社員現役時代で、
殆ど仕事に明け暮れしていたので、この歌の流行を知らなかったのである。

で・・・・
話を桜に戻すと、「河津桜」は染井吉野などに先駆けて咲くことから、
最近ではあちこちに植栽されているが、並木を作るほどの規模のものは少なく、
また殆ど幼木であることが多い。
それから比較すると「増尾城址総合公園」のものは見事なものだった。


紅梅や白木蓮も満開だった。
桜などを一通り撮り終えて帰ろうとしたら、
公園下の入り口で出合った管理事務所の係員から声をかけられた。
案内していただいたお礼を済ますと、
係員は事務所から「増尾城跡(柏市教育委員会編)」と言う一枚のリーフレットを持ってきて、
「増尾城跡についてはこれに詳しく載っていますので」と、戴いてきた。


全文を読むと、その後半に前回私が紹介した「妙見堂跡」のことが載っており、
予想通り、この一帯は代々「相馬氏」が伝領したという。
また、城跡眼下の河川(大津川分流)は当時の「分水嶺(群境)」とされていたのだとか・・・


歴史を紐解くのは面白いと思うが、理数のように結論がなく、
記紀(日本書紀・古事記・風土記など)や伝承・推論によるところが多く真実をつかむのは難しい。
でも、
出会いや機会があれば探ってみるのも楽しいかもしれないと思うこの頃である。

「増尾城跡」については機会があれば後日触れてみたいと思う。
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