MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

秋の色(薔薇、艶蕗、花水木紅葉、野茨など)

2016年10月31日 | 写真


夏日を記録したばかりなのに、
昨日は都心の気温が11月下旬頃の気温となり、日中の気温が10℃を切った。
流石に昨日は寒く外出を控えたが、やや風邪気味になり、
ついに部屋の衣がえと共に「電気炬燵」を設置した。

が・・・・
この急激な変化にも、自然界の変化はスローである。
今日はそんな自然界の秋の色を中心に撮り歩いた。

野菊などと共にこの季節に当地で満開を迎えているのが「艶蕗(ツワブキ)」で、
あちこちで咲いている。


「名残の酔芙蓉」
酔芙蓉の花の季節は終わったが、
時折一、二厘咲いている様は寂しくもある。


「花水木の紅葉」
やや弱くなった日の光を浴びて、さまざまな色彩を放っているが、
この輝いている様が花水木にとっての終章の美なのかもしれない。


「野茨の実」
小さな実だが、ローズヒッブティにして楽しむことができると言う。
以前採取して挑戦したが種が多すぎて徒労に終わっている。


巻頭の写真は薔薇の花期の締めくくりとなる秋薔薇。
霜が降りる頃にも咲いていて、
花の周囲が霜で飾られている姿を見ると強ささえ感じるが、
やはり厳冬期には勝てず花期は終わる。

朝焼けや夕焼けにも秋の色がある。

下の写真は今日の朝焼け。


下の写真は今日の夕焼けで、
写真下中央付近には先日初冠雪した富士山が見えている。


早いもので、いよよ明日からは11月である。
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海自下総基地開設57周年にちなみ「51空に任官の頃を思う」

2016年10月30日 | あらかると


昨日の基地開設記念祭見学時に、
PXで見た下総基地の沿革を示した図表(下の写真)で、
私が任官していた頃の組織図があり、51空、4支整などが・・・あった。
そんな中で私の記憶から消えていたのが14空であった。


資料として51空(海自第51航空隊)のP-2Jの模型も展示されていた。


私が勤務していた頃は「P-2V改」と呼ばれ、
新機種の実験途上であり、下の写真が当時の51空写真班から入手した写真。
機の先端の棒状のものは、速度を計測するための「ピトー管」。

51空は新機種などのテストを任務とした「実験航空隊」で、
尾翼ののマークは、「Victory(勝利)」と「開発の意味のX」でデザインされている。


当時51空などが使っていた第二格納庫で、
当時の主力対潜哨戒機のP2V-7やS-2Fが写っている。


記憶から消えていた第14航空隊は当時のアルバムで確認できた。
格納庫の前に翼を畳んで並んでいたS2Fの尾翼には、
14空所属を示す「14」の文字があった。

隊員たちが作業服ではなく制服姿であることから、
開設記念祭時に撮ったものかもしれない。


下の写真は当時の51空総務課の隊舎の前での記念写真。
約50年前の写真だが個人情報の観点からぼかして掲載しています。


巻頭の写真が昨日撮った、51空本部があった付近で、
当時まだ幼木だった桜の木は大木になり、
写真右下に写っている人物付近には、飛び込み台設備のあるプールがあった。

下の写真は、第2格納庫で行われた「横須賀音楽隊演奏会」会場に用意された、
椅子の代わりに敷かれたビニールシートと毛布。
何気ない毛布だったが・・・・・4つ折のあとが残っており、
懐かしさのあまりにシャッターを切った。

この毛布は寝具として隊員一人に7枚配布されるのである。
3枚は半分に折りベットに敷き、4枚は掛けたように記憶している。
掛け毛布は、起床時に畳んで角をそろえてベットに重ねておくが、
畳み方や重ね方が乱れて居ると、上司などから注意を受けることがある。


下総基地で当時の建築物は殆どなくなっていたが、
格納庫は当時のままである。
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海上自衛隊下総航空基地開設57周年記念行事を見学

2016年10月29日 | あらかると


海上自衛隊下総航空基地開設57周年記念行事を見学した。

我が家から基地までは直線て10km弱なので、
快晴ならば自転車で行く予定だったが、
曇り空でやや寒さもあったので電車とシャトルバスを利用した。

基地内に到着すると殆どの人は航空機展示場へと向かうが、
欲しいものがあったのでPX(基地内の売店 Post exchange)へと直行。
が・・・
空いてると予想していた売店は、ミリタリーグッズを求めるマニアで混雑していた。

売店での探し物は諦めその奥の、
「下総基地の沿革や旧海軍などの資料が展示してある部屋」を約30分ほど見学した。
PXを出て「中央グランド」方面に向かうと、
式典で「観閲行進」を終えた儀仗隊に遭遇した。


解散前の訓辞が行われているようだったが、
やはり、海上自衛隊といえば日章旗よりは「旭日旗」である。


中央グランドの芝生の上で早めの昼食。
模擬店もPXの食堂も混雑が予想されていたので弁当を持参した。
食後、かって勤務していた第51航空隊の本部の建物があった付近を迂回、
若き日々の3年間を思い出していた。

そして一時期列戦整備隊員として航空機の整備などをしていた第2格納庫へ。
昔と変わらぬ天上の骨格である。


航空機展示会場


「航空自衛隊 C-130輸送機」


「海自最新鋭対潜哨戒機 P-1」


「体験搭乗者を乗せて離陸する P-3C」


第2格納庫で行われた「横須賀音楽隊」の演奏を聴き、
その後に基地を離れたが、
聴けば元気がもらえる「海を行く(ブックマーク参照)」が演奏されなかったのは残念でした。
もっとも、
元気がもらえるのは元海自隊員や現役の隊員だけに限られるかもしれません・・・・。

巻頭の写真は、記念式典の展示飛行(P-3C)
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「大青糸蜻蛉の交尾シーン」と「海自下総航空基地開設57周年記念行事」

2016年10月28日 | あらかると


大イトトンボの珍しい交尾シーンに出会った。
小さな蜻蛉であり、場所的にも日陰で遊歩道の直ぐ近くだったので、
撮影には苦労したが、カメラブレを防ぐため感度をISO800まで上げ、
何とか撮ることができた。


300mmマクロを使っているので被写界深度が非常に浅く、
尻部にピントが合うと頭部はぼけるので、枚数を撮るしかなかったが、
遊歩道の近くだったため、人が通過するたびにトンボは移動してしまった。
最初は2.5mほど上の幹へ(巻頭の写真)・・・、
次に人が通過すると更に上の小枝へと移動した。


上の写真の状態ではアングルが悪いので、
更に移動することを期待していたが、目の届かない場所に行ってしまった。
で・・・
周辺にも仲間が居るのではと探してみると、
一頭を発見した。


撮影している間に何度も飛び立ち小さな昆虫を追っていた。
そしてその都度止まる場所が変わった。


途中で現れたのが同じ仲間の別の個体だったが、
縄張り意識が強かったのか直ぐに追い払われてしまった。
下の写真は逆光の位置から撮ったもので、
狙い通りフレアーの光を捉えることが出来た。


真横からの胸の模様などから、オオアオイトトンボであることが判った。
アオイトトンボにも似ていたが、雌の尾部の大きさにも違いが見られた。



閑話休題



明日29日は、海上自衛隊下総基地にて、
「下総航空基地開設57周年記念行事」が行われる。
詳細はこちらから「海自下総基地HP」

東武野田線、新京成線の「新鎌ヶ谷駅」からは、
基地行きの無料シャトルバスが出ており、
駅前には案内役の隊員も立つので初めての方でも安心です。
雨が降らなければ、
子供達に人気の「花電車」が運行され、展示航空機の近くを回ることが出来、
子供連れの家族にも喜ばれているようです。

昨年の模様はこちらから→20150926

一昨年の模様はこちらから→20140927
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似我蜂(ジガバチ)の産卵行動を追ってみた(その2)

2016年10月27日 | あらかると


獲物(尺取虫)の大きさにあわせて穴の調整を終えたジガバチは、
再び獲物を抱え、


穴に入り始めた。


穴に獲物を引き込むのはあっという間で、
数秒でジガバチと獲物は穴の中に消えてしまった。
覗き込んでも何も見えなかったことから、穴の深さは10cm以上はあったものと思われる。


穴から出て来ると今度は穴を埋め始めた。
最初は乾燥したやや大きな土の塊を運んでいたが、
恐らく穴の中に隙間を作っていたのであろう。


あちこちから土の塊を集めては穴の中に運んでいたが、
途中からは、穴周辺の土で埋め、それでも足りなくなると、
直ぐ近くを掘りながら埋める土を集めていた。


地表近くまで埋め終わると細かな土を乗せ、
周囲の土と同じ高さに調整していった。


埋めるために必要な土を得るために掘った穴は、
下の写真のように穴状態だが、
その脇の獲物を埋めた穴はもうそれとは判らない。


獲物を狩り、数十メートルも抱えて運び、
穴を調整し、意外と深かった穴を埋めるなど、
休み無く働いていたジガバチも相当に疲れたようで、
穴を埋め終わった後は暫くコンクリートの上で動かなくなった。
5分近く動く気配が無かったのでその日の観察を終了した。


翌日の午後に同じ場所を通ったので確認すると、
昨日の穴の場所は特定できなかった。
が・・・
直ぐ近くで新たな穴を掘っているジガバチが居た。
穴を掘っているときも用意周到で、
掘ってきた土塊は、穴から30~40cmも離れたところに捨てていた。


上の写真からも判るように、
腰の括れが自分の脚よりも細く、華奢で特異な体形をしていた。
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