MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

寒桜

2011年01月31日 | あらかると

寒桜の開花情報があちこちから届いている。

上野恩賜公園も開花していることと思われるが、取材のチャンスがなく、
近日中には確認の予定になっている。

今年は桜(染井吉野)の開花が例年より早いと予想されている。
その理由は寒さによる「休眠打破」が全国的に順調であり、
桜前線も例年どおり南から北へ移動するようだ。

上野公園の寒桜は、巻頭の写真のように「メジロ」が多く寄って来る。
冬ざれの中を耐えてきたメジロにとっては、
一年ぶりの初春のご馳走なのだ。

寒桜の次は大寒桜、河津桜と咲いてきて、
やがて春爛漫の世界が上野公園を包む・・・・


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観天望気の一日

2011年01月30日 | あらかると
李忠成の歴史に残るようなボレーシュートは素晴らしかった。
サッカー観戦を終わってネットサーフィンをしていると、
いつの間にか午前6時を過ぎていた。

東の空が明るくなる時間でもあったので、
ベランダに出てみると、三日月と金星が輝いていた(巻頭の写真)。
東の空には黒くもが現れていたが、天気の心配はなさそうである。

スカイツリー付近に、普段は無いやや明るい照明が見えたので、
確認のために写したが、ツリー右下の2個の明かりが何であるかは確認できなかった。
ちなみに現在の高さは「559m」。


やがて朝日が差し、都心の高いビル群が輝き始めた。
やや風があったものの快晴である。


午前7時過ぎ太陽光も安定し、丹沢山塊がくっきりと見えている。
この冬最高の澄み切った空気のようである。
気温と湿度が低く、やや強めの風が吹けばこのようになると予想していたが・・・

「富士山が澄み切って見える日は風が強い」と言う言葉は、
昔のゴルフ仲間ではよく言われていて、ゴルフに行く時の観天望気の一つだった。


やはり半徹夜(サッカー観戦前に3時間程仮眠)はきつく、
昼食後4時間ほど炬燵の中で横になる。

16時過ぎ筋状の黒雲が押し寄せていて、場所によっては地表近くまで降りている。
ベランダに立つと、凍えるような空気だったので、
この雲は「雪時雨雲」で場所によっては雪をちらつかせていたことだろう。


日没の場所が北へ北へと進み、
近日中に「ダイアモンド富士」の出現があると予測していたが、
2~3日ぐらい前に終わっていたようで、今日は下のような状況だった。

自宅から見える「ダイアモンド富士」を何とか捕えようと、
年に2回訪れるチャンスを数年前から追っているが、
どういうわけか、雨が降ったり曇ったり・・・・・
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一駅散歩・坂川ーその2

2011年01月29日 | あらかると

昨日の続き。
桜並木の途中で面白い「エノキ」を発見した。
巻頭の写真のように見る角度によっては、一本の立派な木のように見えるのだが、
近寄ってみると、根元から8本に分かれていた(下の写真)。
もともと一本の木が分かれたのか?
それとも盆栽などで楽しんだものをまとめて植えたのか?


水仙の花が早春を楽しんでいるかのように咲いていた。
自然に生える事はないので誰かが植えたのであろう・・・・


近くの親戚によって時間をつぶした後、日没近くになって来た道を引き返した。
冬は日没時以後に外を歩くのはめったになく、
久しぶりに見る冬景色の面白さに「カメラぶれ」を気にしながら撮った2枚。


枯れ木は何を撮っても、意のままにならない被写体だが、それもまたおもしろい。


バスを待っている時に駅前ロータリーを撮ってみた。
シャッタースピードが一秒近かったため、ISO800にて撮影。
それでも1/30秒と言う遅さでした。何気に金星が写っている。
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一駅散歩(JR新松戸~馬橋の坂川を行く)

2011年01月28日 | あらかると
今日は病院に通院するため、新松戸駅まで出かけた。
その帰り道、
前回江戸川を流れる「ふれあい松戸川」を調べた時に出てきた
新松戸駅近くを流れる「坂川」の親水施設やふれあい道路(車両通行不可)
を回ってきた。

JR新松戸駅から馬橋駅に沿って流れる「坂川」は、30年程前はどぶ川そのものだった。
その後整備されて水質が良くなり、まず鯉が戻ってきた(放流か?)
岸には桜が植えられ(巻頭の写真のように大分大きくなりました)、遊歩道も設けられた。
小魚も戻り、野鳥なども戻ってきた。

新松戸駅前から、武蔵野線の高架下を通り、流山線に沿っていくと
人と自転車しか通れない、地元の人しか知らないような対岸に渡る橋がある。
その橋の上から上流の流山方面を取ったのが下の写真。


同じく、馬橋方面を撮ったのが下の写真。
ビルとビルの間を抜けて川を横切っている高架が武蔵野線。
その高架線近くの川の右側に、水辺近くに薄の生えて入る所が親水施設。


橋の下には沢山の鯉の一団が・・・カルガモも一羽
餌付けされているのだろう。
これだけの鯉がいて、小魚もいるということは釣りも楽しめるようになってきたのかもしれないと・・・
帰りには、カワセミを一羽と雀以外の小鳥数羽を確認しているので、
餌となる小魚が泳いでいるということでもある。


下の写真は、親水施設だが荒れている。
何のために作られたのだろうか。
釣り場? バーベキュー広場? 夕涼み広場? 震災時の荷役場???
無駄と思われる公共工事も多い松戸である。



以下の記事は読まなくても良いです。
でももしかすると「国民健康保険」の制度上は
本当に大切なことかもしれません。

10年近く飲み続けている血圧の薬をもらうため、
新松戸にある総合病院に通院した。
夏に比較すると、冬場は寒さによる血管収縮のために血圧はやや高くなる。
更に、寒風に晒されながら通院するため、
病院で測る血圧は自宅で計るものよりは高いのが普通だ。

医師は、何とかして薬を増やそうとしているかのように、
自覚症状がないのに「高いですね」と言っては、
追加の薬を飲まそうとする。
そして前回通院時についに新薬を追加されることになった。
ところが、それを飲むと気だるく眠く、外出する気力さえ全く出ないほどになる。
それでは困るので、その薬は飲むのをやめた。
するといつものように調子がいい。

今日、そのことについて医師に説明し、今回はその薬は要らないのでと辞退すると・・
「勝手に薬をやめるな、症状がよくないならすぐに病院に来なさい」と・・・
命令口調である。仁術とは夢のまた夢のような世界だった。
更に、担当医師からは何の説明もないままに皮膚に貼るタイプの薬を処方された。

薬局で薬をもらう時に「貼る薬のことについては何の説明も受けていませんが・・」
というと、病院に電話を入れてくれて、いつ貼るのかが決定した。
こんなんでいいのだろうか?

前回いただいた薬は、50錠近く残っている。調べてみると薬価は一錠170円近いものだった。
つまり、8000円分の薬は意味もなく捨てられようとしているのだ。
高すぎる健康保険料などの値上げを考える前に、
使わない薬は買い戻すなどの対策を取らない限り、薬は捨てられ続けるのだ。

薬局で抱えるほどの薬をもらって帰る老人を目にするが、
本当に必要な薬を必要な分だけ処方できないものだろうか?
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懐かしのフィルムカメラ

2011年01月27日 | あらかると
デジタルカメラを初めて手にしたのは、1999年でNIKON-E700(200万画素)だった。
それまでフィルムカメラを使ってきた私にとっては、
E700の画像は、エクタクロームで撮った「ドンピシャ」の仕上がりのようなものだった。
しかも、カメラ任せでほとんど失敗がなく、
PCで簡単に処理出来、DPE(現像、焼増、引き伸ばし)費用やフィルム代も不要ということで、
フィルム世界から別れた年でもある

フィルムカメラ時代(以降銀塩カメラと略す)は、
カメラと言えば写真を撮る道具としての面白さに加え、「メカニカル」的な面白さがあり、
今のデジカメよりも趣味の要素の範囲は広かった。

私もカメラのメカニック的なところが好きで、
撮るためのカメラと言うより「メカ遊びのためのカメラ」なども集めたことがある。
しかしその殆どは「オークション」で売ってしまった。

「コーワフレックス」
「一眼レフカメラ」なのにレンズ交換が出来ず、
標準レンズの前に補助レンズをねじ込んで望遠レンズとしたユニークなシステムと、
シャッター音が「バシャッ」という、66判一眼レフのような音に魅入られて衝動買いした。
手入れをしながら音を聞くのが楽しみで、フイルムを入れた事はなかった。


「オリンパスペンF」
フィルムが2倍に使えるハーフ版カメラのレンズ交換式一眼レフで、
製造終了後も人気があって値上がり傾向にあったものを、18000円で買ったが、
3年後には倍近い価格で売ることが出来た。今でも人気がある。
普通に構えて撮ると、すべて縦型の写真になるところがユニークだった。


「Rollei 35 S」
沈胴式レンズのカメラで、
距離併せはレンズ胴に刻まれた距離メートル数字に「目視距離」を合わせると言う方式。
レンズの密閉度が高く、湿度の高い日本でもレンズに黴が出ることはなかった。
昨年、Rollei 35ビンテージバージョン(各モデル世界限定5台のみ、65万円)の限定販売が行なわれた。


「MINOX 35ML」
ワイシャツの胸のポケットにも入るサイズで、
カメラの全面の蓋を手前に引くとレンズが引き出され、
ロックされるシステムで、出張のたびにアタッシュケースに入れて持ち歩いた。
新橋の中古カメラ店にあったので買い求めたが、
中古店にあったにも拘らず新品だったため、請求された値段が98000円(ストロボ別売)!!!、
一瞬戸惑ったが購入。仕事中にも持ち歩けるので何かと重宝した。


「MAMIYA Professional C330」
レンズ交換のできる二眼レフカメラとして有名。
蛇腹がついており接写も出来たが、専用の三脚が必要だった。
三脚がないときは、まず上のレンズで焦点を合わせ、
焦点を合わせた被写体とレンズの距離を覚えてから、
同じ距離で下のレンズを被写体にあわすと言う方法で撮った。


「NIKON FM モータードライブセット」
長い間メインのカメラとして利用していた。
モータードライブを採用したのは、当時はモデル撮影会などに誘われていたからである。
その後オートフォーカスカメラMINOLTA 7Xiに乗り換えた。


他に、PENTAX SP、MINOLTA 7Xi、マミヤプレス(フィルムホルダーの交換により6×7判と6×9判に使えた)などを使っていた。
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