枝垂紅梅、枝垂白梅の見事さに感動しつつ道を下っていくと、
昔は小川であったに違いない側溝に差し掛かった。
しかし、
側溝沿いの車道は、官庁のの悪しき習慣である、
「年度末・予算使いきり工事」のために通れず、
迂回を余儀なくされてしまった。
道に迷ったら、川沿いに下っていくといずれ本流にたどり着き、
迷い道から脱出できる可能性が大きいのである。
迂回することにより、川を見失い再び迷い道を進むと、
国道51号線(後日調べで判明)に出るとともに、
川を再発見し、この川沿いの紅白梅の花も満開だった(巻頭の写真)。
川沿いには道路はなく、集落に面して走る道路を進む。
時折視界が開けて、金網の防護柵で囲われた川が見え、
川を挟んだ向こう側には、集落が見え庭木であろう梅の花が見えていた。
再び県道らしき大通りに出ると川向こうに梅林が見え、
さらに梅林の先には川の下流方向である右側へと続くT字路があった。
梅の花の香りとその道路に誘われて、T字路右へと進む。
しかし、舗装道路は「増尾城址公園」前で終わっていた。
大津川に出るまでは道に迷っているわけで、
城址公園を見学するよりも、先に進みたく、
近くにあった自販機の缶コーヒーで数分の珈琲タイム。
目の前は・・・・
芝浦工業大学柏中学高等学校だった。
と言うことで来た道を逆戻りし村落の旧道に戻った。
まるで民家への進入路のようなところを走っていくと、
「河津桜」を発見。
河津桜の近くには「妙見堂跡」の石碑が立っていた。
「妙見」とは妙見菩薩のことであり、
かってはこの地区が妙見菩薩を一族の守り神とした、
「南相馬氏(下総相馬氏・流山相馬氏)」の支配地であったという名残かもしれない。
また、
相馬氏初代の相馬師常は桓武平氏の流れを汲み、
平将門のの子孫である篠田師国の養子といわれている。
さらに、
平将門が伯父の平国香、良兼、良正らと戦ったおり、
妙見菩薩が将門と平良文の危機を救ったとされ、将門の守護神となっている。
そんな秘められた歴史の残る道を進むと、
山間を開いたような場所に梅林があった。
さらに進むと平地になり、白樺の植栽されている畑に出た。
で、畑の向側は芝浦工業大学柏中学高等学校のグラウンドのようで、
生徒らの溌剌とした掛け声が響いていた。
白樺と一緒に数本の「河津桜」が植栽されていて開花を始めていた。
まだ1分咲きにもなっていなかったが、今頃は満開になっているかもしれない。
明日は彼岸の中日だが、北風が強く荒れるようである。