MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

紫陽花

2007年06月13日 | あらかると
手毬花、刺繍花、八仙花などとも呼ばれ、「あじさい」の語源は「あず(集まる)」と「さい(藍色)」といわれおり、古名は「あずさい」。

やはり梅雨の時期の花なので、濡れていないとなんとなく趣に欠けるが、写真的には曇天よりは晴天の明るいほうがシャープに写るのでそうすることが多い。
写真を趣味にしている人の中には晴れていては趣がないなどとして「霧吹き」を持ち歩き、花にスプレーして写しているのを時々見ることがある。バラ園や菖蒲田、アジサイ園などで時々見かけることがあるが、自宅の庭ならいざ知らず公共の場では自然のままで撮って欲しいものだ。晴天下の不自然な水滴が光を捉えて反射しているのは面白いとは思うが・・・
特に礼儀作法の世代に育ったため、マナーを十分に学んでいない年長者にこのような行動が多いように見受けられるのは気のせいだろうか?
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手賀沼の春

2007年06月12日 | 写真短歌
2週間ほど前に釣り道具といつものカメラを肩に手賀沼に行った。
春先にも行ったがまだ葦などは芽が出たばかりのころで「春いまだし」の感があったが、前回は春本番だった。自転車で半周したが、途中の蓮の自生地にある八橋の上で「真菰の香り」を久しぶりに体験した。
子供の頃以来だったような気がする。お盆のときだったと思うがマコモを川から刈ってきて「真菰の馬」を作ったのである。今で言う「茄子の馬」だったのだろう。
真菰の香りを嗅いて忘れていた田舎の「有職故実」の一つを思い出したのだが、「とおかんや」「かがりび(どんど焼)」「おひまち」など様々な行事が消えてしまったような気がする。
この歌でも使用したが「やら」と言う言葉も一部の古語辞典に載っているだけで「日本語大辞典(講談社)」にもない。万葉集にも詠われているが、私の田舎ではつい近年まで使われていた言葉である。

小説「土」の作者で歌人の長塚節の和歌にも
「隠沼の砂沼のやらを一人のみ漕ぎたみ行かばかりがねの鳴く」
というのがある。
この和歌に曲を付けた「滝豊」氏の指導で高校時代に覚えた歌なのでこれで正しいのかどうかは不安が残るが「やら」を詠っているのは確かである。

なお、滝豊氏についてネットで検索してみたが各地の校歌の作曲者としてはたどれるのだが、節の和歌や横瀬夜雨の「お才」にも曲を付けていることまではたどれなかった。高校を卒業して田舎を離れてしまったので、これらの歌が歌い継がれているのかどうか知りたいと思う今日この頃である。
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