都心では零下4度という記録的な朝の気温となったが、
降雪の後であること、気温が低く風があることの条件が揃うと、
高所からの展望は大変に期待できるのであり、
我が家からも都心や富士山、丹沢山塊がくっきりと見えていた。
昨年12月以来こんな日の来るのを待ち望んでいたので、
「アイ・リンクタウン展望室」を目指し9時過ぎには家を出た。
展望室からは、巻頭写真のように都心のビル群も冠雪富士も、
期待以上の景色に出会うことができた。
展望デッキ西側は帽子が飛ばされるほど風が強く、
体感温度的にはマイナス10度ぐらいにはなっていたと思われる。
カメラのシャッターを切るため、手指はまともに寒風をくらい、
数十年ぶりに手が「かじかみ」自由さを奪われた。
あまりにも体が冷えてしまったので、
市川市の物産などを紹介し、コーヒーや和菓子が頂ける
「アイ・リンク情報コーナー」でコーヒー(200円)と和菓子(160円)を求め、
遠筑波を見ながらいただいた。
下の写真には、筑波山、私の住む団地、手児奈霊神堂、
さらに、常総市近くの建物などが写っているのだが・・・。
トレーを返しに行くと、接客担当職員から「牛久大仏も見えますよ」とのことで、
再び展望デッキへ・・・。
場所が判ると肉眼でもうっすらと見えたが・・・・やはり感動ものだった。
アイ・リンク情報コーナー担当の方には前回もいろいろ教えていただいたが、
丁寧で楽しそうな笑顔での接客は素晴らしく、
市川市の文化度の高さを象徴していると言っても過言では無いように思う。
下の写真は「牛久大仏」
東京湾越しには、懐かしい「久里浜の追浜火力発電所(横須賀火力発電所)」の3本の煙突が見えた。
高校を卒業し海上自衛隊横須賀教育隊で教練を受けているとき、
体育教練の柔道練習中に膝関節を痛め、
入院生活を送ったのが国立久里浜病院(現・国立病院機構久里浜医療センター)で、
病院前からはこの煙突がよく見えていたのである。
思えば、隣のベッドにいたのが高校の大先輩で、
その後何かとお世話になったが・・・・今でも元気なのだろうか?
展望ロビーでは「写真展」も行われていて、
一枚ずつ鑑賞して歩いていると、ご婦人から声をかけられた。
写真展に「佳作」入賞していた方ですでに何回かは入賞しているとのことだった。
この話は機会が有ったら別の日に紹介します。