MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

やまゆり

2007年07月23日 | あらかると
道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也
道の辺の草深百合の花咲(はなゑみ)に咲(ゑ)まししからに妻というべしや(万葉集巻七、雑歌-国歌大観番号一二五七)

都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之家(最後の文字はワードでは変換できず同じ音の漢字を使いました)
筑波嶺のさ百合(ゆる)の花の 夜床にも愛(かな)しけ妹ぞ 昼も愛(かな)しけ(万葉集巻二十 防人歌 国歌大観番号四三六九)

万葉集には百合を詠ったものが十数点みられるようだ。
1257番の歌は「古歌集出」とあるので更に古い時代に詠まれていたことが判る。4369番は防人の妻への想いがこめられていて面白い。昼も夜も百合のようにかわいいと言うのだ。時代背景を思うと一編の小説が出来るのではないかと思うほどである。

写真は市川市の大町公園で撮ったもの。山百合の咲いている林間は私有地で、一般公開は7月22日までだった。
コメント

梅干から梅ジャムを作る

2007年07月17日 | たべもの・料理
毎年のように紀州の南高梅を南部農協から買って梅干を作っていたが、昨年は20kg(付ける前の梅の重量)も作ったので今年は作らなかった。漬けるときに注意していることは、梅の味をそのまま味わいために紫蘇で色づけたりすることはしていないと言うことです。なので、お湯に梅を入れてお茶代わりにすると、桃の香りを含んだ梅の香り(梅が熟れた時の香り)で「まったり」感を味わうことが出来ます。友人はこの方法が好きで、時々私も試しています。
漬けて一年ほど寝かしたのでその梅をチェックしたところその半分ほどにある変化が起きていた。
梅漬には毎年、沖縄県粟国島の「粟国の塩」を使っているが、塩分が気になることもあり半分の10kgについては低ナトリウム塩とカリウム含有の多い塩をブレンドして漬けてみた。この後者の梅に変化が起きていたのである。
梅と梅の隙間のところどころに2~3mm大の白いカビのようなものが出来ていたのである。最初はカビかと疑い(土用干しも終えた梅にカビなんて生えるはずはないのにと疑いつつ)白いものを手に取ると石のように硬い。カビでは無かった。かといって塩でもなく、カリウムが結晶化したのかもしれないと結論付けたが、結局そのままでは見た目も食感も良くないので、とりあえず湯に浸けてみた。すると結晶分が溶け出し何とか利用できそうな状態になった。

半分は一昼夜水に浸けて塩分を取り梅ジャムに、半分は塩を足して煮詰めて練梅を作り、製造過程で出た梅の種や練梅の残り物と昨年の梅酢とを炊き込んで、果肉入り梅酢を作った。
梅ジャムを食べるのは初めてのことだったが、トーストした食パンにつけるとすこぶる美味しく、来年も作ろうかと心穏やかではなくなった。
練梅は料理に使ったりしているが、これからの季節は腐敗の速度も早いのでご飯に炊き込んでみようかと画策中である。
又果肉入り梅酢は、その塩分を利用し蜂蜜などと混ぜスポーツドリンクとして使う予定だが、塩分濃度がわからないので暑い日のウオーキングでテストをしてよりよい混合を研究する予定だ。
と、失敗したことから数々のことを学習することになった。

写真は完熟梅。梅干用の梅は自然に落下したものが最も良いとされているが、自然に落花したものはそのまま地上に落下すると傷ついてしまいいい梅干にはならない。写真のように熟した梅を使って梅干を作って見たいと思う。
コメント

チョングッチャンと胡麻油

2007年07月13日 | たべもの・料理
SMAP×SMAPの「ビストロスマップ」でチョングッチャン(精麹醤)料理を作っていた。この番組は二組に分かれたSMAPが、材料に贅を尽くし究極の料理やデザートを作りゲストをもてなし、どちらの料理が良かったかを感想を含めて判定するものである。
今回のゲストは韓国でも料理番組をやっているという俳優のリュ・シウォンで(ちなみにシウォンは韓国の元貴族である両班(ヤンバン)の出で韓国の女性にとっては憧れの存在)、希望した料理が納豆よりも強烈な香りのする(納豆を天麩羅にしたような)チョングッチャンだった。好きな料理なのに日本の韓国料理店では食べられないのだそうだ。
勝ったのはチョングッチャンチゲ(チョングッチャンを使った鍋料理)を作った木村組だったが、シウォンにとってはやや期待はずれのようだった。チョングッチャンの鍋料理に胡麻油が入っていたからである。胡麻油の香りとチョングッチャンの納豆の香りは合わないとのことだった。韓国料理といえば胡麻油は欠かせないものだけに意外な感じがしたが、チョングッチャンの香りを生かして欲しいとのことだった。

チョングッチャンは香りが強い分家庭で料理すると部屋中に納豆の香りが充満する。鍋物にして食べ残りなどがあると処分しない限りに香り続けるので、納豆嫌いの人には向かないかもしれません。この辺が日本の韓国料理店で出さない理由なのかもしれない・・・

韓国製の胡麻油は香りが強く、日本製より色が濃くやや焦げた香りも残っているがこれが韓国料理にはよく合う。また韓国製のインスタントラーメン(日本のものより2割ほど量が多いので満足感もある)は日本のように香料を使ってないので後味も良いが、胡麻油やキムチ、そして少量のチョングッチャンを入れて煮込むと更に美味しくなる。

写真は辛ラーメンとチョングッチャン(新宿の職安通にある韓国食材店「韓国広場」には常備されています)。辛ラーメンは今でこそ日本に代理店が出来パッケージにも日本語が表示されて、スーパーなどでも売っているが、初めて私が韓国に行ったころは国内では専門店に行かないと手に入れることはできなかった。美味しいので韓国土産としてよく持ち帰っていた。当時は一万円が5万ウオンのレートだったが現地価格は25円程度だった。日本で売られている辛ラーメンは日本のインスタントラーメンよりもカロリーも高く500kcalを超える。しかし、現地のものは確か700kcalを超えていたはずなので、スーパーなどで販売されているのは日本人向けに作られているのかもしれない。



コメント

連翹とケナリ

2007年07月12日 | 花随想の記

その日のソウルの秋はどんよりとしていた。

その年は異常に海外に行くチャンスが多く、
比律賓、台湾、欧州(倫敦・羅馬・巴里)などに行った。
社員旅行や御褒美としてのものも含まれるが、見聞を広めるに大変役に立ったものである。

英語を不得手としている私にとって初めての国を訪問するときはいつも心穏やかではない。

比律賓と欧州はガイドつきの社員ツアーだったので、ホテル以外はすべてガイドに頼って居れば良く、
欧州のときは団長の任にありツアーガイドと行動を共にすることが多かったため、
通訳の代わりを務めてもらったりしていた。

当時流行した電子手帳翻訳機なども持っていったが、
こちらの意思は伝えることができても、
ヒアリングができてないから殆ど役に立たなかった。
結局片言の英語と身振り手振りのほうが確実にこちらの意を伝えやすかった。

初の韓国旅行は関連子会社の部長の誘いによるもので台湾にも同行した仲である。
台湾は何気に私のほうから誘ったが、
彼の両親は日本企業の海外駐在員で、本人も台湾のキールン生まれだったため、
そのルーツを探りたいと言うことですぐに決定した。

韓国行きは、関連会社の取引先である韓国企業日本支社長の薦めで急遽組まれたもので、
5名の私的なツアーだった。
そのときは、日本支社長の兄で本社社長を勤めている金さんと、
案内役として大学教授でオリンピック委員でもあった同じ金さんにオリンピック競技場や、
ロッテワールド、南大門市場、明洞(ミョンドン)などを案内していただき、
夕食では大層な接待を受けた。

料亭の離れでご馳走になった宮廷料理(唐辛子を使ってないので辛い料理はない)のフルコースは、
7人の大人に対して大型卓袱台が4つ、
日本ならさしずめお膳で出てくるところだが料理を満載した卓袱台で運ばれてくるのである。
さらに、5人前もあるような大型の神仙炉が3つ、高級な材料が乗った九節板(クジョルパン)、
チヂミや牛肉などの焼物、煮物、高麗人参の刺身、
そして水菓子と、とても食べきれるものではなく、
それこそ「大長今」の王様の食事のように一口食っては別の皿に・・
腹一杯になってもう食べられませんと言ってももっと食べろと笑いながら薦められた。
(家庭などに招待されて出されたものをきれいに食べることは韓国ではマナー違反とされていて、
接待者に「足りなかったのでは」と心配させることとなり、ひいては接待者が恥と考えられている。
(家庭に接待されての家族と一緒の食事では、キムチなどのおかずがたくさん出されますが個々に分けられることはあまりなく、
食卓を囲む全員で大皿に箸をつけることになります)


二度目は名古屋に赴任中に友人と二人旅立った。季節は春だった。

なにげに「焼肉を食べに行こうか」がソウルまで行くことになったのである。
当時は名古屋にある関連会社に出向し財務や総務をまかされていたので時間的な制約はさほどなく、
さらに空港がタクシーで20分足らずのところにあったため、
空港カウンターに行けば何とかなったのである。
もちろんホテルの予約もしてなかった。

金浦空港についたのは夜だった。
結構客引きもいた。
日本の温泉地の駅前光景の再現である。
入れ替わり立ち代りいろいろ言ってきたが大方無視した。

かといってこちらもある程度不安があった。
何より韓国のハングル文字が全く読めなかったことがショックだった。
台湾は漢字圏なのでなんとなく解るし、
英語圏も何気に解ったが、
ハングルは漢字の簡体字でもなく意味の無い記号にしか見えなかった。

そんな多くの客引きの中で、
名刺を差出し「良かったらソウルまで乗せて行きます、怪しい者じゃありませんので安心してください」、
なかなか日本語も達者でよく聞くと日本に留学していたとのことで、
都内のことも詳しかった。
日本語が解りしかも名刺まで頂いたので、
やや怪しいとは思いつつも彼を信頼して、
ソウルの一流ホテルであるロッテホテルを指示して車に乗った。

車の中でホテルの予約がないことを伝えると、
「私に任せてください安くするように交渉しますから」と、
で彼に任せると結果的には20%引きとなった。
このことが後々役に立つことになった。
その後何回か韓国に行ったが、予約は日本からロッテホテルに直接することになり、
こちらの氏名を名乗ると繁忙期にかかわらず常にこのレートが適用されたのである。

結局焼肉店もその人のお世話になった。
ついでに翌日の市内観光までということになり、女性のガイド一人を手配していただいた。

こちらの希望を取り混ぜてロッテワールドや、
漢川クルーズ、オリンピック競技が行われた国立射撃場、南大門市場、
夜には韓国プロ野球をネット裏で観戦した。

国立射撃場では案内人の薦めもあって、38口径のピストル射撃を経験した。
25m先の的をめがけ両手撃ちだったが、
射撃については自衛隊時代にM1ライフルで、200ヤード先の的2mの伏撃ちなどを経験していたので、
威力的に下位のピストルということもあり安心感はあったものの久しぶりの実射に軽い緊張感を味わった。
全部的中したものの引き金を引くときにやや銃口が下がる癖があったようで、
的の中心より下のほうに弾痕は集中していた。

韓国の春はいたるところに黄色の花が咲いている。
高速道路の両側や空地や緑地、川の堤防などに見られる。
日本でも見られる花だったが名前は分からなかった。

ガイドさんに聞くと「ケナリといいます。日本ではレンギョウとか呼ぶそうですよ」と・・・

「ケナリ? 連翹?」

日本名と韓国名を同時に覚えた花として心に残った。
コメント

JAL401便

2007年07月11日 | あらかると
成田空港からロンドンのヒースロー空港に向けて昼の12時に飛び立つJAL機が401便で到着は現地時間午後4時35分。フライト時間は12時間35分である。
社員旅行(名目は海外視察だが内容は観光旅行)の一行として、401便を利用してからすでに十数年経ってしまったが、英国は相変わらず騒がしいようだ。当時はIRAが爆弾騒ぎを起こしていて、我々がヒースローに到着したときも爆弾騒ぎがあり到着ロビーで一時間の足止めを食らった。そして今はタリバン系の過激派が騒ぎを起こしているようだ。
外国の場合の紛争は根源に紀元前からの宗教問題があるようで、日本人には理解しがたいものがある。さらに天然資源の利権などと絡み様相は更に難解となる。その裏には米国企業の思惑も絡んでいるのだそうだ。

写真の航空機は最近手賀沼で写したものだが、肉眼では判別できない航空機もLUMIX FZ-30の望遠端(420mm)で撮ると見えてくる。このBA機(British Airways・BA8便。13時10分定刻。ロンドン行)を写したのは13時53分、その二分後にはANA機(クアラルンプール行き)が飛んでいた。
この時間帯の航空機を調べて括弧内の情報を得ることが出来た。こんなことがすぐわかってしまう便利なネット時代でもある。
BA機は偶然にも二度目の欧州旅行で乗った機であったことがわかった。
BA社が今売り出している春夏の往復料金は115,000円と格安だ。JALは夕食の後はフードサービスがなく到着時には腹がすいてたまらなかったが、BAはヒースロー到着までしょっちゅうパンと飲み物を担いだスチュワードが回っていた。今はJALも改善されているかもしれませんが・・・
コメント