MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

鯵の干物

2007年03月15日 | たべもの・料理

鯵の干物を久しぶりに食べた。10年ぶりぐらいかもしれない。
学生時代はよく食べていた。学費を稼ぐためアルバイトをしている身分だったのであまり贅沢なものは食べられなかったが、鯵の干物さえあれば朝飯でも夕飯でも良かった。
就職してからは旅館の朝食で出されるのを食べるぐらいで、殆ど食べる機会はなくなっていた。ビジネスマンとして残業が多くなるとともに様々な付き合いも多くなり、ついには三食とも外食となっていった。
外食に骨のついた魚は面倒であり、魚といえば鮭や鯖の切り身あるいは刺身など食べやすいもの中心になり、骨付き魚は自然と敬遠していた。

久しぶりに食べたが、なんと食事時間が普段の倍近くかかった。骨以外はすべて食べたから当たり前なのだが、骨付き魚のおかずはこれほどに時間のかかるものだということを改めて感じるとともに、つくづく今の食は便利でしかも早食いできるようになっていると気づかされた。

魚の骨の間の肉や皮や、皮と一緒についている鰭骨までたべるなんて忙しい若いサラリーマンにとっては不可能に近いかもしれない。
朝食に時間をかけるぐらいならその分寝ていたほうがいいし、昼飯だってサッと清ましてコーヒーを飲みながら情報交換もしたい。夕食だって遅くなるから焼き魚定食の店なんてやっていない。
スローフードではなくファーストフードがもてはやされるゆえんでもある。だからジュースだって本物である必要がない、水と色素と甘味料と香料をまぜて清涼飲料水として企業は売り出す。それになれた日本人が外国の缶ジュースを飲んで驚きを隠せないなんてなんとなく異常なのでは・・・・

実際私もスタッフ時代は待つことが嫌いで一人のときは回転すし屋に飛び込んで済ますことが多かった。特別に忙しいわけではないのだが待っている時間がもったいないのだ。
こんなことを思うと「食は餌」という時代をすごさなければならないのがサラリーマンの宿命なのかもしれない。そして「食は美食」へと変えるための戦いが職場では日夜繰り返されているといってもいいのかもしれない。

今度の休みの日、もし自宅に炊立てのご飯と天然だしで作った味噌汁と普段よりも多めの時間が用意出来たなら、ぜひ鯵の干物をおかずに遅々としてまったりとした朝食を楽しんでいただきたいと思う。
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