美しかった夕焼けが黄昏に変わると、夜風も出てきてやや寒さも増してきた。
何とも心細くなってきたが、6号線を歩いていることが唯一の救いで
「迷うことの無い道なのでいずれはたどり着ける」という楽観もあった。
少し休んでいるものの朝から歩いているので、足が棒のようでありいよいよ足下も心もとなくなってきた。
ただ、ウォーキングシューズだったので、靴擦れだけは防げたが、
寒かった冬にぐうだらをしていた体力は限界である。
しかし「兵隊は限界を感じてからさらにその3倍は歩ける」という、
元兵士の言葉思い出しながら、よたよたと歩き続けていた。
あきらかに80歳以上のおじいちゃんやおばあちゃんも歩いている。
どのぐらい歩いてきたのかはわからなかったが、老人の顔はまさに疲れきった顔をしていた。
身体障害者も杖を突きながら歩いていた。
私より状態がよくない人たちもみんな歩いているのである。
そんな姿を見るにつけ「私もがんばって帰るからお前もがんばれ」と言っているようで勇気付けられた。
途中、6号線を横断する歩道橋の階段に座り「ジャムパン」を食べ、
頼みの「リポビタンD」を飲んだ。
途中の自販機で買った水も飲んだ(この時点では買占めなどは発生していなかった)。
普段は何気なく使っている歩道橋は、階段に座ってしまうと意外と歩行者からは目立たなくなり、
のんびりと食べるには好都合だったのだ。
国道16号線少し手前で左足が痛み出し攣り始めた。
攣ったときは靴を脱いで足の親指を握り手前(自分の脛方向)に引けば回復することが多いものだが、
このときは靴を履いたまま攣っている足のアキレス腱を伸ばす運動を数回することによって事なきを得た。
最も心配された脚の痙攣が軽かったことで、心配事の一つが解消した。
16号線を渡ろうとしたとき車道から「上を通れバカヤロウ!!」の大きな声が・・・
声を出していたのは6号線から16号線に左折しようとしていた車の運転手からだった。
何を怒っているのかと周りの状況を把握したら、
そこには16号線の上に架けられた大きな歩道橋があり、
自転車だけが歩道橋の下の車道を渡ってよい仕組みになっていた。
その自転車道を歩行人が数人歩いていたのである。中には老人もいた。
大渋滞の6号線を走ってきたため、歩道橋を渡らないで車道を行く人々のため、
スムーズに左折できなかった運転手のイラついた気持ちはわからないでもなかったが、
「小さい犬ほどよく吠える」ものだと笑ってしまった。
運転手はイラついているが、歩行者は疲れきっているのである。
しかもその中に疲れきった老人が含まれていたとすれば・・・・
もう少し相手の状況を考えてみるのもいいのではないかと思うのだが。
下の写真は、その16号線に架かる歩道橋の上から16号線千葉方面を撮ったもの。
16号から6号線に入る車が渋滞しているが(写真右端)、
これは帰宅困難者となってしまった都内勤務のサラリーマンを迎えに行く、
友人や家族たちの車と言うことを後で知った。
その後はあまり休むことなく何とか北小金駅にたどり着いた。
途中で困ったのは情報とトイレだったが、
トイレは6号線沿いにはまだ山林や藪が残っていて男の場合は何とかなった。
一部のレストランやコンビニなども開いており、休憩がてら食事も可能だった。
携帯電話を持たない(初期のころは持っていたが現況では持つ必要性が無い)ため情報(特に電車)が何も入らなかった。
歩いていると余震さえも感じられず、歩いて間にも余震が続いていたことは後で知った。
そういえば歩いている途中で流山市防災放送が「緊急地震速報」を流していたが、
歩いていたため『小さな地面の揺れ』を感じることがなかったのである。
北小金駅前の大手スーパーは通常営業をしていた。
店舗の公衆電話から連絡をして迎えに来てもらった。
PS/ 原稿は出来ていたのですが、掲載の機会を失い今日の掲載になりました。