WALKER’S 

歩く男の日日

4月18日(土) 鈴木秀美と仲間たちによる珠玉の室内楽

2009-04-20 | 演奏会

 レクチャー「蘇るバセット・クラリネット」
 クラリネット五重奏曲イ長調 K.581  W・A・モーツァルト
 クラリネット五重奏曲変ロ長調 op.34 C・M・v・ウェーバー

 バセットクラリネットというのはモーツァルトの時代に使われていた楽器で、現代の楽器の最低音が「ミ」に対し、3度低い「ド」の音まで出るようになっている。五重奏にしろ協奏曲にしろモーツァルトが書いたそのままの楽譜はこの楽器でないと演奏できない。現代の楽器で演奏する場合は音の出ない低い部分をオクターブ上げた楽譜を使う。
 クランポンは原曲で演奏できるバセットクラリネット(A管)を発売しているし、その楽器でコンチェルトを演奏するザビーネ・マイアーの映像も見たことがあります。でも今回の演奏会で使われたのはその楽器ではありませんでした。ヒストリカル・クラリネット奏者のロレンツォ・コッポラ氏が4本の楽器を持って舞台に出てきた。その4本のいずれもが楽器博物館でしか見たことのない様なものだった。先ず色が違う。黄色(黄土色)でキイが目立たない。もちろんキイの数も違う。現代の一般的なベーム式のクラリネットは17キイ6リング、最初に紹介されたのは5キイのごく初期の楽器。この楽器では半音階の素早い動きが難しく、音の鳴り方にもでこぼこがあるし、大きな音が出ない。でもちゃんとクラリネットの音はしている、こういう楽器から音が出るだけでもちょっとした感動がある。当時の作曲家は、よく出る音、くすんだ音も分かってその音色をも計算した上で作曲をしたという。その次に紹介されたのは18世紀の後半に改良された10キイ(12キイかもしれない)の楽器、これだと半音階も相当スムーズだし音色音量のばらつきもほとんどなくなった。この楽器でウェーバーを演奏、リングもなく、キイが7つも少ないのに何の不自由もなく楽々吹いているように見える、これ以上の改良が必要だったのだろうかと思えるくらいだった。次に紹介したのが写真のバセットホルン、この非常に不格好な楽器がちゃんと音が出る。ちゃんとクラリネットの音がする。しかも速いパッセージも楽々だ。ラッパの上の四角い部分の中で、管が蛇行していてより低い音が出せるようになっている。高音域、中音域は普通のクラリネットと同じ音色、音程で機動力も同じ。それにプラスして低音域を出せるようにしたのがこの楽器の大きな特徴になっている、普通のクラリネットの音域が3オクターブ半ぐらいなのに対してこの楽器の音域は4オクターブ半はあるという。だからバスクラリネットとは全然違う。モーツァルトの時代には重宝されたようです。最後に取り出したバセットクラリネットは現代のものとかなり違う形状をしていた、ベルがなくて瓢箪の下半分のようなものが一番下についていて少し前に突き出ている、写真の黒い四角い部分に丸く白いものがついているという感じ、そして穴が上についている。現代のバスクラリネットのベルを瓢箪かパイプの先のようにしたといえば分かりやすいかもしれない。でも現代の楽器を見慣れていると、どうにも不格好な楽器というしかない。でも出てくる音は紛れもなく「クラリネット・ダムール」、現代のバセットクラリネット比べても、ほとんどその差はないと言ってもいいくらいだ。音だけ聞いてきっちり区別できる人は半分もいないかもしれない。もちろんこの楽器でモーツァルトを演奏。モーツァルトはこの楽器を見、この楽器の音を聞いてあの名曲を書いた。モーツァルトの聞いていた音を200年後の我々が今聞いている。


4月18日(土) 六甲ヴェルデ吹奏楽団 第18回定期演奏会

2009-04-20 | 演奏会
 第1部  蘇る火の鳥               S・ライニキー
       躍動する魂~吹奏楽のための    江原大介
       カンタベリー・コラール          J・V・d・ロースト
       オデッセイ~永遠の瞬間へ      真島俊夫
 第2部  16世紀のシャンソンによる変奏曲  諏訪雅彦
       コミカル★パレード           島田尚美
       ネストリアン・モニュメント        平田智暁
       マーチ「青空と太陽」          藤代敏裕
 第3部  詩のない歌               R・ルディン
       宇宙の音楽               P・スパーク

 アンコール  アルセナール
         ダンシング・クイーン

 パンフレットの指揮者紹介を見てびっくり。音楽監督:深田哲也・・・・2002年に六甲ヴェルデ吹奏楽団の音楽監督に、2009年から関西大学吹奏楽部の音楽監督に就任した。とある。関大は3年連続で違う指揮者を迎える。昨年、一昨年の指揮者と違うのは、この指揮者はコンクールを知っているということ。コンクールの勝ち方を知っている。明石北高校の指揮者として8年連続関西大会金賞、そのうち2回は全国大会出場を果たしている。どんなに優秀な音楽性と経験に溢れた指揮者でもアマチュアのコンクールでよい成績を残せる指導が行えるとは限らない。そういうことからすれば今回の選択は最高の結果をもたらす可能性を秘めている。でも、合う合わないということもある。高校生と大学生とではずいぶん違うだろうし、指揮者についていけるだけの能力や練習ができるかということもある。理想的な吹奏楽指導者の下でも勝てなかったという例はある。
 勝ち抜ける可能性は明らかに上昇したといえるけれど、すぐに勝てるというものでもない。関学は2年生以上だけで65名のメンバーがいる。立命館は3年連続全国大会出場の実績がある。関大は3学年で36名しかいない。どんなに実績のある素晴らしい指導者でも、これだけのハンデを僅か半年ではねのけるのは容易ではないと思われる。今年勝てなくてもそれは指導者のせいではなく、自分たちの実力がなかったにすぎない。もし勝てたとしたらそれは指導者の力によるものである。昨年、一昨年のように1年で結論を出すべきではない。最低でも3年はお願いすべきであろう。3年でメンバーの数を整え実力の養い方を試行錯誤する。結果を見るのはそれからでも遅くない。彼ほどの優れたアマチュアバンド指導者に出会えうことは容易ではない。