WALKER’S 

歩く男の日日

町石道

2009-04-09 | 高野山町石道

 雨引山分岐から六本杉までは南海電車のパンフレットでは3kmになっているけれど、これはミスプリ、17町の差だから1.8kmくらいしかない。坂も緩やかでほとんど平坦と言ってもいいくらい、1kmほど行くと144町石、その隣に別の石柱、気にもとめず行き過ぎてしまったけれど、あとから確認するとそれは一里石。こちらは町石とは反対で慈尊院からの距離を表しているということだった。36町が1里だから、間違いない。六本杉に近づくとやや登りがきつくなる。136町、慈尊院から5km、11時36分に六本杉に到着した。1時間6分で来たことになる。平均時速は4.45km。前半の急坂のことを考えれば十分すぎるスピードだといえる。六本杉は四つ辻でちょっとした広場になっている。来た道をまっすぐ行くと天野の里、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)へと続く。町石道は左斜め後ろへ折れる道を行く。あって然るべきベンチはないので、立ったまましばらく休憩することにする。難波駅のコンビニで買ってきたキャラメルを放り込む。

 六本杉は一応峠だから、ここからはやや下りになる。キャラメルをほおばりながら気合いを入れ直す。僅か4分の休憩で出発。途中124町石の所が三叉路になっている。左の道を下りると上古沢駅。そこからまもなく行くと視界が開け、休憩所があった。今度はベンチもあるので思わず腰掛けてしまった。手前に120町石、丁度3分の1の距離をこなしたことになる。ここまで1時間26分かかったから、あと3時間歩けば山頂に到着する、大門発15時09分のバスには何とか間に合いそうだ。

 時刻は正午ジャスト、腰を下ろしてしまったので昼食にする。天野の里から吹き上げてくる風が涼しい、と言いたいところだけれど、下着がぐっしょり濡れているので寒いくらい、長居していると風邪をひきそうなので、10分で出発する。展望台を出るとすぐ二ツ鳥居があった。ここから天野の里の丹生都比売神社を遙拝するためにあるそうだ。現在のものは町石と同じで鎌倉時代に建てられた、でもその前にあった木製の鳥居は弘法大師が建てたとされている。

 二ツ鳥居からは下りになる。10分ほど行くと左手の広場に小さなお堂が現れた。軒下に腰掛けもあるから休憩所にもなりそうだ。そして、すぐ側の田んぼへ下りていく道を行くとトイレがある。慈尊院から7.6kmで初めてのトイレ。

 地蔵堂を過ぎて数百メートル行くと108町石、2里石もある(ここでも気にとめることはなかったけれど)。そして、いよいよゴルフ場のすぐそばを通る。先ず見えたのが13番ティー、目の前にある。柵もなくて5歩進めばティーショットが打てる。1190年の歴史を有する世界遺産には、あまりにもそぐわない風景ではないかと腹を立てていた人がいたのですが、確かにその気持ちも十分納得できる。でも見方を変えれば、よくも残してくれたものだともいえる。13番のあとも何ヵ所か、コースが町石道と隣接しているところがある。1m以内まで迫ってきている。でも町石道そのものは全く削られることなく残っている。ゴルフ場が造られた当時この道がどういう状態だったか分からないけれど、廃道然としていれば当たり前のように削られてしまっていたかもしれない。そうならなかったのは、やはり歴史の重み、高野山の力、お大師さんのおかげ、というものを思わない訳にはいきません。

 ゴルフ場を抜け終わって、軽い登り下りを繰り返すと、やがて笠木峠に到着。86町石、10kmも中間地点も過ぎたことになる。時刻は12時52分、二ツ鳥居展望台からの3.8kmを42分で来たことになる。平均時速は5.43km。笠木峠は峠という感じはしない。左の道は上古沢駅へ続く下り道だけど、右へ続く町石道はまだ登りが続く。登りはしばらく行くとピークを迎え平坦な道からやがて緩い下りになっていく。

 下りになってしばらく行くと、72町石と並んで三里石が目にはいる。ここで初めて三里石を意識してみる。町石と同じであと3里あると勘違いしてびっくりする。あと3里ならまだ8kmしか来ていないことになる。実際は12km来ていたのでちょっとパニックになる。三里石は無視して町石だけ見るようにしようと決心しながらその前を通り過ぎる。

 下りになってしばらく行くと、72町石と並んで三里石が目にはいる。ここで初めて三里石を意識してみる。町石と同じであと3里あると勘違いしてびっくりする。あと3里ならまだ8kmしか来ていないことになる。実際は12km来ていたのでちょっとパニックになる。三里石は無視して町石だけ見るようにしようと決心しながらその前を通り過ぎる。

 三里石を過ぎると車の音が聞こえてくる、町石道と平行して眼下に国道370号が走る。やがて合流することは分かっているけれど、あそこまで下ると、そのあと登りが待っていることは間違いない。だからここで一旦下ることは全く嬉しくはない。 国道に下りてきたところに60町石、丁度3分の2来たことになる。時刻は13時23分、慈尊院から2時間39分(休憩時間は除く)かかったことになる。あと1時間20分くらいで大門に着ける計算だ。

 国道を横切るといきなりの急坂が待っている。足が完全に止まったという感じになる。最初の20分以来の本格的な登りだ。こんなのが続くと、予定のバスに乗れないかもしれない。55町石の近くに奇岩が現れた。

 清浄結界と言われると、なにやらにわかに厳粛な気分になる。ここはもう大師のおわす御山なのだ。とはいえ、さらに5町登ったところで今度は国道480号に合流、でっかい観光バスが行き過ぎてゆく。車道の脇に40町石。矢立からここまで2.2kmを32分かかる。時速は4.13km、ほとんど登りばかりだったので先ほどの区間より1km以上遅い。国道を横切って山道に入ってすぐの所に、展望休憩所があった。残り3.6kmなので最後の休みを取る。

 国道を横切って山道に入ってすぐ登ったと思ったら、展望台からは下りになってまた国道により沿う。そこからまた国道を離れ緩い下りになって国道を見上げながら進むことになる。国道はだんだん高くなって、10m以上の高さになっていく。国道が登っているのか町石道が下っているのか、いずれにせよ最終的にはあの高さまで登ることになる。36町石、四里石を過ぎてしばらく行くと有名な鏡石の前に出た。往時は鏡のように光り輝いていたというのだが・・・、ここから緩い登りになっていく。25町石を過ぎると渓流が現れた。そういえばここまで全く水の流れを見ることはなかった。いくつかの木橋を渡る。20町石を過ぎると最後の追い込みで坂はますます急になっていく。10町石を確認、あと300m、9町石も確認したけど、最後の8町石はなかった。大門前の国道を造るときに昔の山道は大きく削られたことだろうから、そのときにどうにかなってしまったものと思われる。国道へ上がってくる階段もそのときに造られたもので往時のものとは違うもののように思われた。大門前の国道に上がってきたのは14時53分、展望台からの3.6kmを43分で来た。この間の平均時速は5.02km、最後の登りは相当こたえた。

 慈尊院からの正味の歩行時間は3時間57分、平均時速は4.77km。普通の人は6時間以上かかるというから、いいスピードだとはいえるけれど、あまり納得は行かない。筋肉の痛み、関節の痛みは全くない、靴擦れもなく、足の裏も大丈夫。いうことないといえばいえるけれど、かなり疲れました。もうこれ以上は歩けない、歩きたくないという感じです。九度山から5時間しか経っていない、四国に入るともう2時間以上歩かねばならないから、こんな疲れようではとても安心はできません。

 町石道を全部歩くと、これで高野山を全部見たとことになると思いきや、まだまだだということが身にしみました。町石道は中世の表参道と言われている。近世の参詣道が別にある。江戸時代から明治時代にかけての一般的な参道は京・大坂道だといわれる。高野街道が紀見峠を越え、紀ノ川を越える、学文路から九度山へは行かず、そのまま南下して山に入る、河根から桜茶屋を経て紀伊神谷へ、そこから鉄道沿いに極楽橋まで行き不動坂から女人堂へ至る。この道を行くと学文路から壇上伽藍まで14km。町石道は学文路から壇上伽藍まで24km。これだけの近道が開発されると、人気になるのは分からなくもないのですが、昔の人はいつでもどこでも歩きしかないから、京大坂から参詣に来る人も、四国巡りを終えてから来る人でも、最後の10kmの近道がそんなにも魅力的なのだろうかと首を傾げたくもなる。ぼくなら迷わず町石が残っている歴史の道を歩きたいと思う。でも実際はそうならなかったらしい。でも江戸時代以降の道がどれくらい一般的だったのか、そのころでも町石道を歩く人がいたのかどうか、よく分かりません。分からないまま、とりあえず歩いてみなければなりません。まだまだこれで最後ということにはならないみたいです。