万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

道徳教育の議論を

2008年10月07日 16時05分47秒 | 日本政治
町村氏「日教組発言、神髄ついた」 中山氏かばう(朝日新聞) - goo ニュース
 辞任を覚悟して中山氏が日教組批判の発言をされたのも、最近に至って、通り魔殺人や、モンスターと称される身勝手な要求を突きつけて、他者に迷惑をかける人々が増えたことを憂いてのことと思います。厳しい批判もありますが、誰も、日本の社会で進行しつつある道徳心の崩壊を、このまま放っておいてもよいとは思っていないはずです。

 それでは、道徳の教育とは、どのようにあるべきなのでしょうか。道徳とは、行動や実践を離れて教えることは難しいと言われていますが、およそ、二つの側面からアプローチすることはできるのではないかと思うのです。二つのアプローチとは、第一に、行動規範であり、第二に、人に備わるべき徳です。

 第一の行動規範については、司法教育の導入として理解することができます。殺人や窃盗など、刑法において禁じらている行為を説明し、犯罪や法律に違反する行為を行うと刑罰の対象になることを教えるのです。かつては、家庭などにおいて自然に身に付けたものですが、現状を見てみますと、義務教育課程において、基本的な行動規範を教えざるを得ない時期にきているのかもしれません。

 第二の徳なるものは、さらに教えることが難しくなります。道徳とは、本来、こちらの方を意味するのですが、何をもって”徳”と見なすのかという、”徳”の内容を決める段階で、人によって意見が分かれるかもしれないからです。しかしながら、慈しみの心を持つことや、相手の立場に立って物事を考えること、相手の善意を悪用してはならないこと、といった、古今東西を問わず道徳とみなされる心の持ちようはあるものです。

 日教組の過激な人々が、暴力革命を信じるあまりに基本的な行動規範を教えることに反対したり、教育における思想の押し付けに反対すると称して、普遍的な道徳を否定するようでも困ります。中山氏の発言を機会に、道徳教育のあり方について、国民の多くが納得するような方法を、大いに議論すべきと思うのです。

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コメント (12)
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