自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

旅行太り

2015-08-21 05:52:18 | 旅行
写真はホテルのロビー。お菓子の家が飾られています。


ツアーなので、殆ど毎晩、Bufet styleの食事です。


インド旅行も終わりに近づき、私の顔が丸く膨らんできています。
いつものことですが、旅先では、珍しいご馳走を味わってみたいし、
何より、目が欲しているので、つい食べ過ぎてしまうのです。

普段は「自力整体」の整食法の通り、
1.朝は水分(味噌汁)とヨーグルト少し、果物少し、コーヒー
2.昼はサラダ丼(生野菜に玉葱ドレッシング+ナッツのTopping)
3.夕食(6時~7時)は一般的な量の食事を楽しみます。

ところが、旅行中ときたら、
朝からご馳走食べ放題、昼もコースだったりするとデザートがつき、
夜はもちろん、さらに重たい食事です。

「残せばイイじゃん!」と言われそうですが、
「少しずつは味わわなければ、申し訳ない……(誰に?)……」
とかなんとかで、食べてしまうのです。


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「仏教で生きる」 ⑦ 来たときより美しく

2015-08-20 05:37:55 | 図書メモ






P.162 多くの人は公園にゴミを捨てるようなことはしません。当たり前です。
   しかしこれでは公園は美しくなりません。来たときのままに過ぎません。

   世の中はプラスとマイナスとでできているのだなと思います。
   ゴミを捨てることはマイナスです。拾う行為はプラスです。
   捨てる人と拾う人が同数いればゴミはなくなります。
   即ちゼロです。

   しかし「来たときより美しく」はゼロにすることではありません。
   プラスにするということです。


P.163 自分はルールを犯していないし、他人にも迷惑をかけていないから
   正しい生き方をしていると言う人がかなりいます。
   間違ってはいませんが、正しいかどうかとなると疑問です。

   正しい生き方とはその上を行くことです。
   二つでも三つでもプラスを重ねることです。
   すると周りにマイナスの要因が多くてもそれを埋め
   善の山を築くことになるからです。
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「仏教で生きる」 ⑥ ガイア理論

2015-08-19 17:54:39 | 図書メモ


P.66 宇宙と生命

   霊とは個人の魂のことだけをいうのではありません。
   宇宙のあらゆるものに内在し、またそれぞれが繋がったものです。
   「生き霊」も霊のひとつです。

   生きている私たちの全てが持つ心と同じだと考えればいいのです。


著者・伊藤氏はホーキング博士の講演を聞いて、この確信を得たようです。
その理論とは、

P.67 地球の海は46億年前に地球ができてすぐ今のような姿になりましたが、
   その時の塩分濃度が今のそれ(3.5%)とほぼ同じだったというのです。

   ところが、それほどの長い年数に亘って塩分濃度を一定に保つ仕組みが
   科学では究明されていないのだそうです。

   様々な分野の科学者が消去法でその仕組みについて議論した結果、
   出て来た答えが、

    「地球は生きている」

   地球は実は、それ自体が生命体で、
   自らの力で海水の塩分濃度を調節しているというのです。
   これを「ガイア理論」と呼ぶそうです。


P.68 霊とは宇宙そのものを言います

   すべての生物は宇宙に同化したものです。

   それに気づいた時を仏教では成仏といいます。
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「仏教で生きる」 ⑤ 霊魂とは

2015-08-17 08:06:48 | 図書メモ




  霊魂とは

P.42 霊とは生きている人から肉体を取り除いた存在。

   怖がる必要はありません。霊に特別な能力が備わっていることはありません。
   酒飲みの霊はあの世でも酒飲みです。
   ご霊前には好きなブランドの酒を供えるのが正しいのです。

   ハードロックが好きでなくなった若者にはお経など聞かせても喜んで貰えません。
   音楽を聴かせてやれば良いわけです。

   死後に人格が高まるわけではありません。
   死者を神や仏と考えるのは間違いです。
   生まれ変わるときには亡くなったときの人格、霊格を持って生まれて来るのです。

   だからこそ、生きている今が大切なのです。

ところで、私の実家は、神道で、神棚があり、母は毎日お水を変え、
何か頂き物があれば、真っ先に神様(神棚)にお供えしていました。
何回か出席した、親戚の葬儀では、
「神道では、死んだら皆、神様になるんだ」と教わったような気がします。

実際、ネットで検索してみると、以下の記述がありました。

   戦後の純粋な宗教団体としての神社は
   死後、高天原に行き、家の守護神となり子々孫々家を守って行くのです。

   靖国の英霊は、死後、高天原に行き守護神となり日本を見守るのです。

   高天原とは古代天地がまだ混沌としていたが、
   天地が定まり始めに天つ神(あまつかみ)が生まれ
   最後にイザナギ神、イザナミ神が生まれ、
   その子供のアマテラス神が治め神々がいる所です。


ま、どちらにしても、物理的Evidenceがあるわけではないから、
<人間が、より良く生きているための、考え方>なのだと思います。
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「仏教で生きる」 ④ 本当の成仏

2015-08-16 05:57:35 | 図書メモ




  本当の成仏とは

P.29 ……死んでしまったら問題が解決するわけでも、
   仏になって過去の過ちが許されるというわけでもありません。
   生きているときに成仏できなかったら成仏は来世まで持ち越しになります。

   休んでいる間に何階級か特進になることはありません。
   釈尊はご在世中に成仏されたことを忘れないでください。

   では、本当の成仏をするにはどうしたら良いのでしょうか。
   それには何回も人間を生まれ変わって、その都度
   前の人生より高いところに自分の意識を持って行く努力をすることです。

   生きているときの生きざまが来世を含む未来の自分を決めるのです。
   お迎えが来る直前までの人格や霊格が、
   来世に生まれ変わるときに持ってゆける唯一のものなのです。

   それが生まれたときより高まったことをいっぱんに「成仏」というのです。

   だからこそ今をしっかり生きなければなりません
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「仏教で生きる」 ③

2015-08-15 14:32:05 | 推薦図書




成仏とは

私は(そして周囲のかなり多くの友人も)誤解していたので、
伊藤氏の説明を抜書きします。

P.24 一般的に亡くなった人に「成仏」という言葉を使うのは、

   生まれてきたときの意識のレベルより、

   生前の努力によってレベルがいくらか上がった時です。


   つまり一歩でも仏の境地即ち、本当の成仏に近づいたという意味。

   (中略)来世には、前世の最期のレベルで生まれ変わるからです


P.25 その人がいるだけで人の輪が広がり、
   それだけで心が豊かになるような人。

   そうです。その人は何回も生まれ変わりながら心を高めてきた人なのです。

   あるいは何をしても恵まれているという人も同じです。
   前世に心の得をたくさん積んできているのです。
   誰のおかげでもありません。ご自身の生き方が正しかったのです。


    自分の霊格が低いと思われるなら、今すぐに考え方と発言するときの
   態度や内容、行動を改めましょう。

   未来の自分は自分でしか決められません。
   自分で自身の結果を得るということです。
   そこには戒名の字数も墓の大きさも仏壇の値段も何の影響も及ぼしません。
   

だから、戒名や葬式費用にお金をかけるのは、筋違いというものなのですね。
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「仏教で生きる」 ②

2015-08-14 06:05:21 | 図書メモ






さて、小乗仏教の弱点(?)を鑑みて、軌道修正を図った大乗仏教は、
どうなっているのか? 著者は以下の分析をしています。

P.18 すばらしい仏教の新時代が始まったのです。が、

   その通りにはなりませんでした。社会を救うという本来の目的は、

   中国に入って儒教の影響を受けたことで方向転換してしまったのです。


   目上や祖先を敬う儒教思想と仏教が一緒になってしまい、結果、

   仏教は先祖供養が目的の宗教になってしまいました


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「仏教で生きる」 伊藤佳通・著 

2015-08-13 06:03:57 | 図書メモ




著者は静岡県感応寺(日蓮宗)副住職です。
仏教について、
<信徒ではない、フツーの人が持つ素朴な疑問>への答えが満載です。

ただし、この本は友人から譲り受けたもので、非売品です。
一般に出版されたものとしては「優しさはどこから」(国書刊行会)が
あるそうです。

ま、いつものように、気になったところをメモしていきます。


P.14 上座部仏教の戒律に、

   自身が悟りを開くまで他人を救ってはいけないという項目がある

   (たとえば)行き倒れの人を見つけても手助けはできない。

   できるのは、その人との距離が十分に離れてから様子を見て、

   誰も手助けをしていないようだったら人を呼んで知らせる事だけ


うぅ~~ん、これでは、私でも無力感を覚えます。
出家者は自分のために祈るだけで、社会の改善には繋がらないようです。
今、仏教からムスリムに改宗する若者が増えているそうですが、
その理由は
P.15 「仏教は何もしてくれないから」だそうです。

ま、「誰も救われないのでは意味がない」ということで、
P.18 この戒律に疑問を抱いた比丘たちが
   <世間を救うために運動を始めた>
   それが大乗仏教の始まりでした。

まとめ
  上座部仏教(小乗仏教):自身の悟りを目的として修行を続ける

  大乗仏教(一般大衆部仏教):現在、日本にある仏教の殆ど。

    修行しながらも世間の役に立つ仏教にしようと考えたのです。
    
   (中略)困っている人も坊さんも一緒に生きていこうというのです。
   
   まさに乗り合いバスのようなものですから、大乗というのです。
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「103歳になって …… 」 ⑥

2015-08-12 05:33:48 | 図書メモ




篠田桃紅さんを表す、とても面白い表現があるので紹介します。

P.98 たとえば、
   川という字には、タテ3本の線を引くという決まりごとがあります。
   しかし、私は、川を三本ではなく、無数の線で表したくなったのです。
   あるいは長い一本の線で、川を表したい。

   文字の決まりごとから離れて自由になりたい、
   新しいかたちを生み出したい、と私は希う(ねがう)ようになり、
   墨による抽象表現という、自分の心のままを表現する
   新しい分野を拓きました。

   (中略)
   自由を求める私の心が、私の道をつくりました。
   すべては私の心が求めて、今の私がいます

あ~、なんてカッコ良いんでしょう!
私も、かなりのことを自分で決めながら歩いてきましたが、
まだまだ<決まりごと>に縛られています。

いま(および将来)できることと言えば、
縛りを<縛り>と感じないで、自由に生きること……

今の縛りは、自ら選びとったもので、幸せを感じる部分でもありますから。
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「103歳になって …… 」 ⑤

2015-08-11 05:26:57 | 図書メモ




P.87に私を奮い立たせる言葉があります。

   1+1が10になる生き方

   人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。

   真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、

   求めているところにはありません。しかしどこかにあります。


   雑談や衝動買いなど、

   無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。



   無駄にこそ、次のなにかが兆しています。用を足しているときは、

   目的を遂行することに気をとられていますから、

   兆しには気がつかないものです。


そうそう、だから、私は無駄な時間を大切にしたいのに、
夫は「無駄が大嫌いな人」なので、<無駄な衝突>が多いのが悩みです。
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