12月初旬は、今年の大きな出来事を振り返る節目の時です。
今年のトップは、なんといっても「夫の旅立ち」です。
直接の死因は大腸がんですが、きっかけは2019年突然の腸閉塞。
体力がガーンと落ちて、癌の種を増大させてしまったのでしょう。
その腸閉塞のきっかけは、1985年の胆石・胆嚢摘出手術。
当時は現在のような腹腔鏡手術はなかったので、大きな開腹手術。
これが腸の癒着体質を招き、33年後の腸閉塞に繋がりました。
がんは今や国民の二人に一人は罹る病気だし、
誰でも身体にその種を抱えていると言われています。
が、摘出手術後5~10年生き延びている人はたくさんいますから、
恐れることはないそうです。
でも「腸閉塞を起こしたら、相当拙い!」
これだけは確かなようです。
死は誰にでもいつかは訪れるものですから、
私たち夫婦は手術や化学療法について良く話し合い、
最期(=看取り)に関して勉強して、平安な逝きかたを模索。
残念ながら研究は功を奏さず、緩和ケアは失敗でした。
(がんだけならOKでも、腸閉塞があるとダメ!)
でも、出来る限りのことは準備し、最大限の努力はした!
という自信はあります。
本人は常々宣言していました。
「好きな酒や食べ物を我慢してまで長く生きたいとは思わない」
私はそうは思わないし、夫に「せめて週一の休肝日を!」と懇願
し続けていたのですが、「嫌だ」というのでこんな結果に・・・・・
それはそれで、本人が選んだ道なので仕方ありません。
普通の団塊世代よりは早く結婚し、怒涛の子育て時代を頑張り、
早めのリタイア、百名山踏破・世界の山・世界の鳥の撮影、
月や星・富士山の写真、山の花々、家族の写真・・・・・
撮影を中心に色々なことを楽しんだ人でした。
ミュージカル仲間の遺影撮影など、他人にはたくさんの良い写真を
撮ってあげて、自分の遺影はゼロ!
私とのツーショットは常に彼がセットし、走って来るので
微笑むどころではなかったみたい。
夫を思い出すのは、朝の多摩川台公園で、
大きな石がむき出しの階段道を歩いたり、
日の出前の空の赤みを見るとき、
北アルプスの山小屋を出発するときの感じだなぁ~と。
そして公園のそこここで鳴きかわす小鳥たちの声が聞こえると、
「あれは〇▲の声だよ」教えてくれた夫の声が。
嫌なことも嬉しかったことも悲喜こもごもですが、
別れずに、満足して逝ってくれたことは、
お互いに良かったのだと思います。