駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『王家に捧ぐ歌』

2016年05月30日 | 観劇記/タイトルあ行
 博多座、2016年5月5日15時(初日)、6日11時、15時半、7日11時、14日15時半、15日11時、28日11時、15時半(千秋楽)。

 4500年前のエジプト。エチオピアとの度重なる戦いに勝利するため、新たな将軍の名が王ファラオ(箙かおる)の前で神官たちによって告げられようとしていた。エジプトの若き戦士ラダメス(朝夏まなと)は、自分こそが選ばれるのではとの期待に胸を躍らせていた。彼はエチオピアに勝利したあとに、密かに恋するアイーダ(実咲凜音)に求婚しようと決心していたのだ。エチオピアの王女だったアイーダは先の戦いの折にラダメスに命を救われ、今はエジプトの囚われ人となっていた…
 脚本・演出/木村信司、作曲・編曲・録音音楽指揮/甲斐正人。2003年に星組で初演、中日劇場での再演を経て2015年に12年ぶりに宙組で再々演したミュージカルを、一部配役を変えて再度再演。ヴェルディのオペラ『アイーダ』が原作のグランド・ロマンス。

 本公演の感想はこちら
 初日雑感はこちら

 というワケで演目発表時から理屈っぽいことはさんざん語ってきたので、ここではごく簡単な感想の覚え書きにしたいと思います。と言いつつ長くなるのが常なのですが…
 結果的に楽しく通いましたし、一幕にできるだろうとか役が少ないからむしろ梅田とか赤坂とか中日とか博多とかの地方公演向きだよねとかいろいろ思うところはあるものの再演に足るクオリティを持った佳作ではあると思っていますし、原作オペラにはない平和への祈りを込めてある点も私は好きです。公演期間中におりしもオバマ大統領の広島訪問がありましたが、安倍総理ともども長崎まで回っもらってて、ついでに博多座で観劇していったらもっといろいろ得るところがあったかもしれないよ、とまで思っているくらいです。物語には、舞台にはそれくらいの力があると、私は信じているので。だから私は今日も(今日は休観日なのでこれは比喩ですが)劇場に通うのです。
 もちろん新作宛て書きオリジナル作品の上演が一番望ましいし、『王家』の次の再演だってしばらくは全然先でいいと思っています。でもなんの推敲もなされていないようなやっつけ仕事みたいな出来の新作に出されるくらいなら(もちろんそれでも何がしかを勉強するのが宝塚の生徒の良さであり、ファンもまたなんだかんだと通うのでしょうが)、こっちでよかった、と私は今回心底思うのでした。裏公演担当の方すみません、通っていたらまた全然違うことを言った自覚もありますすみません。選ばなかったほうの人生もなんちゃら、みたいな台詞がありましたね…
 でもこれも、贔屓の番手が上がってかつ逆サイドの配役になったために新鮮な見方ができて楽しかった、というのが大きかったのかなとも思っています。あとは、交通費は大変なんだけれど、博多の街の楽しさが大きい(^^;)。
 当初はウバルドを希望していたワケですが、結果的にケペルでよかった。やっとエジプト側が見られたし、金ピカになれてとにかく嬉しそうなのが嬉しかったし、単純にカッコよかったし(笑)。だからメレルカからウバルドになったずんちゃんファンも金ピカ度は下がっても楽しかったでしょう。逆にサウフェからカマンテというりくファンは、エチオピア側のままだったのでどうだろう?とかね。
 そしてそれでいったら、主役のふたりは仕方ないとして、それ以外で役名があって役が変わらなかった組子ってすっしぃさんとりんきらだけですよね。これは本当にもったいなかったと思うし、どうにかしてあげてほしかったです。たとえばずっと女官のエビちゃんとかずっとエジプト戦士のかけるとかエチオピア兵のりおとかもいるけれど、それは役名がないくらいの役だから仕方ないとも言えるし、チームの中での役割は変わっていたりします。でもネセルとヘレウはまったくそのまんまだからさ。
 もちろんその中で進化しているんですよ? ヘレウの「何故なら我々にはお金があるから」という台詞の嫌みったらしさの増し増し加減は素晴らしすぎました。でもファンはもっと変化を、そして新しいものを見たがるものじゃないですか。同じ神官ならネセルりんきらを見たかった。今回の再演では専科の特出はなしで、すべて組子でやるというのもアリだったと思うんですよね。そうすればもっと動いてくる配役もあったと思います。そこは残念でした。
 でもいつもどんな公演でもそうだけれど生徒は本当に一生懸命で、ファンも本当に一生懸命に応援し熱く盛り上げ通い支え、楽しい三週間あまりとなりました。銀行口座は大変なことになっていますが、元気に健康に通えて楽しかったです。遊んでくださった方々にも感謝します。今回初めてご挨拶した方、初めてごはんした方、バッタリした方も、みなさままたどうぞよろしくお願いいたします。お友達たちも引き続き、懲りずに遊んでやってくださいませ。

 さて、初日にはやや物足りないような感触を持たないこともなかったずんちゃんウバルドとしーちゃんアムネリスは、やはり激変してきましたね。
 ずんちゃんを私はすごく買っていて、でも今回はこういう長髪だと丸顔が強調されるようで女顔に見えるな、とか心配していたのですが、アイーダとの双子設定に説得力を持たせられているようでもあり、ゆりかウバルドとはまた違ったアプローチでいいな、というところに着地しました。かなりギラギラできるようになってきていましたしね。
 でもホントに必要以上にギラギラすることがいらないくらい、正統な王子で、一心同体同然だったアイーダの変化にとまどい怒り悩みそれでも寄り添おうとする(一幕ラストのアモナスロとアイーダと三人でかばい合おうとする構図の美しさたるや、本公演と全然違っていたと思いました)優しい王子で、狂気に取り憑かれた破滅的なテロリストというよりはもっと純粋な青年のやむにやまれぬ行動のように思えて、よかったと思いました。
 ただ、だから、これは初演からけっこうそうでむしろ前回が特殊だったんだけれど、ウバルドってやはりそんなに大きい役に見えない気がしました。おいしい役に見えない、というか。二番手役っぽくないというか。やっかみ半分なのかもしれないけれど。今回のパレードでは羽根を背負ったのはトップコンビだけで、ウバルドは役の衣装のまま金ピカのケペルとヒロインの間で降りてくるので、余計に地味に思えたのかもしれません。
 でもずんちゃん自身は本当に華のあるスターだと思うし、今回もかなりファンを増やしている様子がうかがえたので、杞憂かなとも思います。とにかく、よかったです。
 まあでもフィナーレの黒燕尾のゆりかポジションにはあっきーを入れてもおもしろかったかもしれないけどな、とは思っていますけれどね。番手とかではなくて、身長その他の絵面としてね。あと、ライバル同士が踊るのと同じくらい親友同士が踊るというのもアリだったと思うので。ラダメスのことがどうにも理解できないでいたケペルがやっとここで和解できたのかもしれないよ、と思えたかもしれないので。まあ、言ってもせんないことですかね、すみません。

 そしてしーちゃんは本当に確変していました。自信がついたのかなあ、芝居を変えてもいい、もっと自分を出していっていいと思えたのかなあ、すごいなあ。歌は上手いけどパンチが弱いかも?と感じていた初日近辺から一変、押し出しが良くなり芝居にメリハリがつき、普通のお嬢さんから高慢で威厳のある王女になっていました。その上でゆうりちゃんとはまた違った味わいがありました。すごい。
 何より歌唱力が素晴らしくてこちらとしても安心して聞いていられて楽、どころか感情がビンビン伝わってくるようになってむしろ引き寄せられるようだったので、感情移入も半端なく、作品が本当に「アムネリスの物語」になって見えました。なので本公演以上に、ラダメスどうしてアムネリスじゃダメだったの?感があったのは結果的に問題だったかもしれません。やはりラダメスとアイーダの出会いの場面は必要だろう、百歩譲って「命を救い、連れてきた」以上の説明が必要だろうと思いました。それは、トップコンビのラブラブさだけでは埋められないと私は思いますよ…
 しーちゃんアムネリスは単なるお嬢さまからきちんと王女になって、でもやっぱり王になる覚悟はできてなかったしそもそもする気も全然なかったごく若い女性で、「うろたえてはなりません!」と立ち上がったもののラダメスの剣を引き抜いたときは本当に重そうで掲げるのなんか無理っぽそうで、「♪亡きファラオもきっとそう望んでいることでしょう」が完全に泣きが入った歌い方でせつなくて、そのあとの「♪さあエチオピアを滅ぼしに行きましょう」もけっこう悲愴感が漂うんですよね。ゆうりちゃんアムネリスは「うろたえてはなりません!」ですでにファラオ・スイッチが入っていて勇壮で、処刑前のラダメスとの場面ではその揺り戻しのような女心がまたよかったと私は思っていたのだけれど、しーちゃんアムネリスは処刑前の場面ですらまだまだ全然ファラオになりきれてなくて、なんなら今からでもすべて放って逃げ出したいくらいで、だからラダメスを掻き口説くのにもあんなに泣きが入るんだよね。それがもうせつなくてせつなくて…
 でもラダメスは、祖国を裏切ってしまった罪を負い愛に殉じるために、せめて最後にできることとして、ファラオであるアムネリスに帝王学を授けて去っていく。これがすべてで、だから最後の最後の「最後にあなたに問いたい」は蛇足だし甘えなんだよね。でも最後に人としてもう一言だけ言いたかったんだよね。そして地下牢が閉じられ、そこで初めて、やっと、しーちゃんアムネリスのファラオ・スイッチが入るんだよね…
 だから彼女はこのまま孤高に生涯独身で過ごすのかもしれない、とも当初は思いました。愛ちゃんケペルのややウェットなゆうりちゃんアムネリス・ラブがあっきーケペルには感じられなかったから。でもここにも変化があったんですよねえ、芝居って本当におもしろい。

 以下ファンモードの語りになりますが、そのケペル、素敵だったなあ。
 登場時のエチオピア三兄弟たちを見下げはてている目つきもいいし、「♪勝利を、勝利を」と歌う暑苦しさ、好戦的な様子も素晴らしい。私は本来マッチョな男性は苦手なのですが、男役が演じる男性キャラクターとしては全然アリなんだなと学習しましたよ。ホントこんな単細胞で鈍感で単純そうな熱血漢を「馬鹿は嫌い」と切り捨てることなく、むしろ好漢に思ってしまう日が来るとは自分でも意外でした…もちろん、当の生徒の役作りとしてもとても意外でした。
 伝令が来てファラオの前に召集するとき、アムネリス様とうなずき合うところが好き。神官からラダメスの名が告げられて、ぱっと喜んで、すぐ、ようし一緒にやったろうじゃん!みたいな表情になるところが好き。青い槍を持って絵になる姿が好き。戦場場面で上手花道で「アイーダ強き光よ」(「♪友よ」から始まるこの歌の正式なタイトルはなんとコレなのです)の前半パートを歌うときの苦しげな表情が好き。その表情だけで戦場の様子が目に浮かぶようでした。戦場に出てからの非情で非道でえげつない戦いぶりも好き。美しいだけにより怖ろしいんだけど、戦闘の悲惨さ、非人道ぶりを描く、体現するってこういうことだと思うから。戦いに、勝利に酔っている凄みとえぐみを表せていると思うから。
 凱旋ダンスの前半の崇高さが好き。勝利を神に捧げ祈り祝う気持ちで踊っていると言っていたけれど、正しい解釈だと思う。手足を完全に左右対称にして踊れる体幹が素晴らしい。後半は晴れやかに誇らしげに驕ったように踊るのがまたいい。
 アモナスロを引き出したあと、駆け寄ってきたアイーダに対して冷たい感じがまたいい。女子供相手だろうと頓着しない感じというか。そこからの、ラダメスの「望み」が理解できないわ納得できないわで混乱する様子もいい。これまで兄弟のように育ってきたのに、一心同体同然だったのに、急にワケわからんこと言い出して、無理だし無駄だよそんなこととしか思えなくて、ラダメスが離れていってしまうようで悲しくて、ショックで、でもどうしようもなくて。ファラオは認めるって言ってるけど、さっぱりワケわかんなくて。そのやるせなさが全身からうかがえました。
 そこからどんな和解があったのかといえばおそらくそんなことは特になくて、別にいつもいつも一緒にベッタリいるわけでもないし、また平時の生活に戻ってお互いなんとなく忙しくしてて、だからこの件についてはまとまった話もしていないしむしろ触れないでいるようにしていたのかもしれないし、棚上げにしていっそ忘れたことにしてしまっていたくらいで、だからケペルはラダメスのアイーダへの恋心なんてことは本当に全然わかっていなくて、だからこそあんなに大声で「待ち合わせと言ったか?」なんて言って乱入してこられる。その傍若無人さ、無骨さ、無頼漢ぶりが愛しい。モテたいがために戦士をやっているようなタイプではなくて、ただ戦場しか知らなかったしまあまあ力量があってここまで順調に武勲を挙げてきて他の生き方とかを考えたこともなかったんだろうけれど、世間の風向きが変わってウケなくなったのはおもしろくなくて口とんがらかしてプンスカしてる。愛しい。あんまアタマ良くないけど(笑)、正当に評価されていないことはちゃんと感じていてちゃんと不満に思う、そういうまっとうな男なところも好き。
 アドリブに及び腰だったところも、やるとなればがんばってやるところも好き(笑)。
 石室前場面で、ラダメスが王家の婿に選ばれて嬉しそうな顔をするところが好き。メレルカとハイタッチ(私はあの仕草をエジプト戦士ふうハイタッチとテキトーに呼んでいるのですが、ホントはなんと表現すればいいんでしょう?)して早くも祝宴のごちそうのこととか考えてそうなところも好き。会席が二階前方下手だったとき銅鑼があるかのように見てくれるのが好き。
 乱入した暗殺者たちに対してけっこう後手後手なところが間抜けでまた愛しい。「何故そんなことをした!」という甲高く悲痛な叫びがすごくいい。「♪エジプトが滅ぶ、滅んでしまう」とけっこう簡単にパニックになるところもいい。もちろん場としてそういう演出なんだけれど、そういう単純さがすごく似合うキャラクターだとも思う。アムネリスの宣言に正気を取り戻してぱっと仕事に戻るのもいい。
 地下牢前で「♪裏切り者に死を」とラダメスを指差すとき、初日近辺はけっこうもうわりきってそうだったのに、どんどんだんだんつらそうになっていっていたのもいい。ラダメスがフォラオに向けて最後に問い始めたとき、本当はその話を聞きたくて、ラダメスのことをやっぱり好きで理解したくてでもわからないままででも見限れなくて、けれどネセルが指示するから彼を牢に突き飛ばすしかできなくて、それは彼がさらなる不名誉を負うのを避けさせるためでもあったのかもしれないけれど、でもやっぱり無念で。背中で泣いていて。
 沈む牢に駆け寄るアムネリスを押し留めて、その嘆きと涙が移るようで。でも「地下牢を閉じなさい」と命令したアムネリスが真にファラオとして何かを振り切ったときに、初めてケペルの心に何かが生まれたのではないかしらん、と私は前楽にして初めて思いました。彼にとって彼女はずっと「ファラオの娘さん(中の人談)」にすぎなかったし、彼女がラダメスを気に入っていたことも知っていたのでその後恋愛感情がどうこうということはなかったと思う、とも以前には言っていたけれど、でもやっているうちに変わることだってあったかもしれないじゃないですか。あの強さの陰の脆さを間近で見て、愛しいと思い支えたいと思うようになったのかもしれないじゃないですか。
 最後に蓮の花の前で「世界に求む」を歌うアムネリスの背後に、一歩引いて控えるケペルの姿が見えるような気すら、私にはしましたよ。
 千秋楽の出待ちで、ケペルに彼女は結局できませんでしたと笑っていたけれど、それは結局そういうことなんじゃないかと思った私なのでした。

 というワケで生徒さんにとっても新たな視点で取り組めた、いい公演になったのではないでしょうか。アドリブも鍛えられたしね!(笑)
 最初の数回はなしで済ませていて、まあ劇場が狭くて引っ込みまでにそんなに尺がないしねと思っていたのですが、途中からまぁ様に「やってもいいんだよ」と言われるいう、むしろやれという圧がかかって、そこからもえこと必死で相談する日々が始まった模様です(笑)。
 全部を追えているわけではありませんが、最終日は博多弁祭りでしたね。まず、初日や総見の日にありさとららがやっていた「♪エジプトはすごか、エジプトはつよか」が千秋楽では女官全員もそのまま「♪すごか、つよか」と歌っていて大ウケで、アムネリス様まで「ファラオの娘だから」を博多弁で歌ったらどうしようと心配になるおもしろレベルで、私は幕間にはどうしようケベメレのハードルが上がって今ゼッタイお腹痛くなってる…みたいな心配をしていたのですが、二幕の美人選びではららの決め技「好いとーよ!」にエジプト戦士たちが「オレも好いとー!」と合唱して客席から大拍手、という流れになったのでもうホント貧血起こしそうでした…こんな流れで失敗できない…登場時に階段コケたらどうしよう…なんせNW!のスティックキャッチを初日と千秋楽に失敗した人ですよ!?という…私はファン一贔屓を信じていない女なのでした(^^;)。
 ま、スカステニュースでもありましたように、結果的にはちゃんとできたんですけれどね! 合格点を出せたら返す、と言っていたらしいまぁ様が前楽からは返してくれていましたからね! よかった…(涙)(アイーダヴォイス)
 そう、全然信じていないんですけどそれは私が心配性というか幻滅しないためにむやみにハードルを下げる悪い癖があるからで、いいよいいよダメでも私は絶対嫌いにならないよとよくわからない甘やかしを自分のためにしたいタイプで、けれど当人は全然ちゃんとしているのでした。千秋楽出待ちのガードからのアンコール対応もたいしたものだと思いましたよ。テレやだし流してやらないままですませるかな、と思っていたらちゃんとやるんだもんね、偉いよね、さすがだよね。でもあざといとかじゃ全然ない、ホントにただのファン思いの、ただの素直ないい人なんですよね。ああカワイイ…(盲目)
 というワケで、さらに恋の病が篤くなった五月となりました。
 もう半分も集結しての『エリザベート』、楽しみです!

 ついでのようですみませんが、まぁ様はまた新しいラダメス像を作っているようで、素敵でした。よりおちついた、思索家の青年…みたいな。ケペルがあんなで孤独を抱えさせちゃってごめんね。
 そしてみりおんも進化していたことが、愛ちゃんケペルを確認するためにブルーレイを見てわかりました。このときの歌はまだ一本調子に聞こえます。そもそも上手いからずっと安定していて変化がないのかと思っていたけれど、そんなことはなかったのでした。
 あとはりくカマンテがやっぱりどこかちょっと悲しそうなところがよかったなとか、モンチサウフェのラスボス感すごかったよなとか、せーこファトマのしっとり感とそこから晴れやかに「アイーダの信念」を歌うエトワールがよかったなとか、かける先輩マジかっけーです!とかりおくんホントにイケメンだよねとか、かじふみな卒業おめでとうとか、いろいろあって常に胸一杯の観劇でした。ありがとうございました。

 さてさて、そしてやっと秋の全ツの演目が発表になりましたね。これで今年も終わったも同然です(笑)。
 『バレンシアの熱い花/HOT EYES!!』、いいねいいね!
 『あかねさす』か『琥珀』が観たいと思っていましたが、『バレンシア』も私は好きです。クラシカルな柴田ロマンで、古臭いという人もいるだろうし、しょっぱい悲劇でもあるとは思うのだけれど、そういうところが私は好きなのです。初演はもちろん観ていなくて、タニウメお披露目公演も映像でしか見ていません。『薔薇雨』同様、新公の方が芝居として好きです。
 柴田先生のお芝居は全ツには持っていきやすいんだと思います。地方の観客も喜ばせやすそうな、古典的でロマンチックな王道ロマンスで、半分になった組子の活躍が期待できる役の多さで、セリとか盆とかがそんなに多用されずどんな劇場ででも上演しやすそうな構成で。もちろん名作ぞろいなので本公演でも再演を観てみたい作品はたくさんあるけれど、本公演は新作をがんばるべき、というのもあると思うので、これでいいと思います。
 そして全ツにショーがあるのは絶対にイイ! これまた地方の観客は喜ぶでしょうし、お芝居でちょっとくらい寝られちゃってもショーの華やかさ、きらびやかさは絶対に楽しんでもらえます。ミュージカルをする劇団はよそにも多々あれど、ショーやレビューは他にはほとんどないのだから、絶対に持っていくべきです。
 大階段がなくてもホッタイズはできるし楽しいよ、広い平場でのびのび踊る組子たちを早く見たいよ…! 楽しみです。
 一方、いわゆる裏公演は東上つきバウだったため愛ちゃん主演かな?と思っていたところ、なんと理事降臨でみりおんヒロイン、景子先生の『双頭の鷲』と来ました。美輪明宏とかで有名ですよね、私は未見。そしてきっと好きそう。
 イシちゃんはかつてまりもやみみちゃん、ふうちゃんを育てたような「トップ娘役メイカー」ではもはやなくなっているので、相手を務めるとすれば確かにみりおんくらいでないとつりあわないよね、とは思います。というかみりおんは『エリザ』で辞めないならそれはもう専科クラスってことですよね?ってことだと思います。まぁみりファン、トップコンビ・ファンというものは世に多いでしょうし、私も確かにトップコンビというものは特別かつ神聖なものだとは思っていますが、どちらかの任期が長すぎる場合はやはり相手を変えていって新鮮味を出さないと…とも考えているので、これはおもしろい企画だなと思っています。
 ただ、イシちゃんはそろそろ主演ではなくてもいいのではないか、主人公でない重要な役をやるような専科スターになっていいのではないか、とは思います。そしてこの作品も例えばドラマシティ公演とかでもよかったんじゃないの? バウホールは演出家も生徒ももっと若手を起用していく場にすべきなんじゃないの?
 現状、どの組も三番手スターが東上主演を果たしていませんが、若手にここまで番手を付けておいて、そこから先は生徒もファンも育成しようとしないんじゃ、このあとどうするつもりなの?という気がして、心配です。
 そして気になるのは、現状「主演・朝夏まなと」というだけの発表の全ツのヒロイン格をどうするか、ですよね。
 『エリザ』集合日あたりにみりおんのその次の本公演での卒業が発表されたりするのであれば、全ツのヒロインがほぼ次期トップ娘役確定、ということになるのでしょうね。そこまでの発表がなされるかはまた別ですが…芝居とショーのヒロイン格のスターを変えるとか、扱いを散らす、というのはあるかもしれません。チャーミングアイズは二番手格の男役スターがやってもいいだろうし、イザベルって実はヒロインとしてそんなに大きな役じゃないですしね。シルヴィアもマルガリータも素敵なキャラクターです。でも主人公フェルナンドの恋の相手はイザベルだからなあ、どうするんだろうなあ。
 『双頭の鷲』の方に、主演ふたりの他にどんなキャラクターがいるのか私はまったく知りませんし、振り分けが出るのも宙組のことだからおそらく遅いんだろうけれど、でも今からでも懸念はいろいろ口にしていきたいです。とりあえず、まどかでは、早い。
 なんでも達者にできる娘役さんだと思っています。でも、娘役芸としてはまだまだだとも思います。素敵な少女が演じられる娘役であることと、当人が素敵な少女であることとはまったく別物です。まどかにはまだまだ場数が必要です。劇団は、男性は、女は若ければ若いほどいいと思っているのかもしれませんが、そういうものでは絶対にありません。
 『相続人の肖像』ではずんちゃんが若かったから、そして若いキャラクターの主人公像だったから、特に問題はなかったと思います。でも『ヴァンパイア・サクセション』でのゆりかとの意外なほどの似合わなさはちょっと残念すぎました。アルカードが、というかゆりかがただのロリコンにしか見えませんでした。
 まぁ様は丸顔で若く見えるし、フェルナンドってけっこう若い、青臭い青年だからもしかしたら大丈夫なのかもしれませんが、それでも不安です。まどかでは幼すぎ、組んだまぁ様が素敵に見えないかもしれません。ただのロリコンに見えてしまうかもしれないのです。それではダメなのです。相手役を素敵に見せない娘役ではダメなのです。男役が素敵に思えない宝塚歌劇はダメなのです。
 男役偏重は、私は男女差別とかの問題ではないと思っています。だってやってるのはすべて女性ですからね。世の男性以上に素敵で魅力的で理想的な男役を、男性キャラクターを女性である生徒に演じさせ、それを存分に愛することで、宝塚歌劇の女性ファンは男社会にほの暗い復讐を果たしている部分があるのではないか、とか私は考えているのでした。だから男役はどれだけ素敵であってもいいし、素敵でなければならないのです。
 でも若すぎる、幼すぎるヒロインはそもそも魅力に欠けますし、そんなヒロインを愛する男の格を下げます。それじゃ観客を幻滅させます。それじゃダメでしょ?
 ここは、イザベルは、ゆうりちゃんでいきたいな。ゆうりちゃんは美人だし大人っぽい役も上手いから、シルヴィアとかをすぐ想定されちゃうのかもしれませんが、少女っぽいのも上手いし本当に可愛らしいんですよ? それくらいでないとフェルナンドが惹かれる説得力を醸し出せないと思いますよ?
 といってマルガリータをまどかがうまくやれるかというと、意外にこれまた難しいと思いますけれどね…いわゆるアンフェリータ、フランソワーズ・ポジション、実は力量が必要な役です。つまり彼女にはまだまだ引き出しが少なくて、できる役の幅が狭いのだと思うのです。若いから若い役、ってだけじゃ役者としてはダメでしょ? もっと違う勉強をさせる必要があるのだと思うのです。私は『ヴァンサク』は彼女のステップアップになっていないと思いました。
 みちるやくり寿はもっとうまく育てられていると思うのになあ…ともあれ将来の歌劇団を担うスターさんではあるでしょうから、がんばっていただきたいです。
 さてさて、私はキャラクターとしてはロドリーゴが大好物ですが、配役はどう来ますかねえ。ルカノール、ってのもおもしろいかもしれないけどなあ。
 それかバウで二番手格をやらせていただけるのならばそれはそれでおいしいかもしれません。でもあまり役の数がない芝居なんだそうですね? あまり高望みはできませんが…さてさて振り分けはどうなりますことやら。
 とまれこうまれ、楽しみと悩みの尽きないファン・ライフなのでした。





コメント (12)
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