駒子の備忘録

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博多座『王家』初日雑感~澄輝日記5.5

2016年05月08日 | 澄輝日記
 宝塚歌劇宙組『王家に捧ぐ歌』博多座公演を、初日から四回連続観劇して帰京しました。
 今でも一幕にまとめてショーつけて!と思ってはいますが、それはそれとして、メインふたり以外の配役変更がなかなかにおもしろく、結局は楽しく通ってしまいそうです。千秋楽まであと2回遠征しますが、現時点でのごく個人的な感想の覚え書きをしておきますね。
 『ヴァンサク』とのテンションの違いは、そら贔屓目だからですすみません…

 脚本・演出の大きな変更はありませんでした。
 アイーダの「アイーダの信念」のあとの台詞が
「お父様…ああ、ラダメス…私はどちらの勝利を…」
 で途切れて、「祈ったらいいの?」(でしたっけ?)をなくしたことと、「月満ち」の前にアイーダが「ふたりで…遠くへ?」と言う台詞が増えたこと、くらい?(これ、前からあったらすみません)
 フィナーレでみりおんが歌うスゴツヨソングが「♪アフリカはすごくてステキ」になったのは、改善かな。アフリカは大陸の名前だからエチオピアとイコールではないとは思うのだけれど、お芝居でエチオピア王女だった人に「エジプトはすごくて強い」と歌わせるより100万倍いいですね。
 後半の歌詞も「強い国にはお金がある、お金はあるけどただそれだけ」みたいな感じに修正されていましたが、まあでも全体としては微妙かな…スゴツヨソングってトータルでギャグであり風刺の歌なんだと私は思っているので、あまり姑息な手入れをしても意味ないんじゃないかなと思うのですよ…
 そうそう、エチオピアが全滅してアモナスロが本当に発狂してしまうくだりの台詞が、死者に「戦え!」と命じて「新たな戦いの始まりだ!」みたいなことを言う台詞に変更になっていました。
 が、私は以前のものの方がよかったかなと思っています。
 たとえば後述しますが、ケペルなんかは純粋に戦うのが好きなんだと思うのですよ。でもそれは「アラアラ男の子は元気でいいわねえ」みたいなレベルのもので、アモナスロみたいな男は、というか世の一般的な男たちは、戦うことが好きというよりは勝つことが好きなのであり、権力を得ること、君臨すること、周りから崇められること、やりたい放題できることを求めているんだと思うんですよね。
 だから王になりたがる。そして臣下に命令を聞けと強要する。その臣下はもう絶命しているのに…国民なき、国土なき名のみの王の虚しさを、以前の台詞はよく描き出していたと思います。
 まあでも、変更した方が、アイーダの「♪戦いは新たな戦いを生むだけ」という主張を強調する効果が出ていて、作品全体のテーマとしてもより「愛と平和」の平和寄りになって、いいのかもしれません。キムシンはそうは意図していないのかもしれないけれど…今回のプログラムではこのあたりのことは語っていなくて、主にアムネリスについて語るコメントになっていました。
 あとは、エチオピアの女囚たちがエチオピア戦士のバイトもしててみんな凛々しくて惚れそう、とか、アムネリスの女官たちがメンバー替わっても怖さはそのまま、かつこちらもエジプト戦士のバイトしてて小さくてもカッコいいぞ!とか、くらいでしょうか。
 あと、さすがに全体に人数は足りていないというか、寂しい感じはしましたね。普段の物量作戦はやはりこういうときには貴重ですね…コーラスなどは録音の助けもあって、薄くなっていることはなかったかと思いました。凱旋あとのてんれーのソロ(フェイクパート)はりんきらが歌っていました。

 あ、フィナーレのゆりかポジはすべてずんちゃんでした。
 でもこれはあらかじめ聞いていましたし、心の準備もできていましたし、当然だとも考えているので、大丈夫でした。パレードはウバルドのお衣装でだったし、パステル5もゆりかソロだったところを5人で歌う形にしていたり、ナウオンの席も学年順だったり、配慮というか、気を遣ってもらえてるのはわかりましたしね。
 あっきーは本公演ではわりとずっと上手にいるイメージだったけれど、今回は立ち位置なども変わって上下双方によくいるようになったのも新鮮でしたし、黒塗りに黒燕尾も素敵だったけれど白いお化粧での黒燕尾もまた違って素敵…!と、結局はなんにでもウットリしてしまう有様でした。
 ただ、パレードには本当に動揺しました。事前に特に何も想定していなかったのですよね。だから、余計に。
 エトワールのせーこのあと、センター下りがまず下手からもえこメレルカ、しーちゃんアムネリス、りくカマンテで、えっモンチをセンターで下ろしてあげないの? とここでまず動揺して憤っているうちに、あっきーが現われて階段てっぺんセンターに立ち(博多座の階段は段数がたくさんあって素晴らしいですね!)、並びのメンバーはだいぶ離れて、というか等間隔に間を空けて上手下手にふたりずついて、5人のセンターとは…とか思っていたらみんな一緒に下り始め、違うわこの上手のふたりと下手のふたりは上下の流れの中での降りなんだ、じゃあ何ひとり降りってこと!?と動揺し、ああでもそれで歌はナシみたいな妙な扱いされることもあるよねとか身構えてたら階段真ん中に止まって、「♪友よ」と歌い出したものだからもう、心臓止まるかと思いました。ちなみに私の本名には「友」の字がつくのです。
 泣かなかったけど! でもそれは動揺しすぎたためというか、なんかホント呆然としたためというか…でも晴れやかな笑顔に、本当に本当に、力いっぱい拍手しました。感動しました、幸せでした…

 というわけで、では以下、変更された配役の感想を。
 まずはずんちゃんウバルド。大柄に見せることに成功していたと思いました。
 みりおんとは同期ということもあって、ウバルドとアイーダは双子という設定で演じているそうですが、なんとなくそれが似合って見えました。
 ゆりかってホントにデカくてギラギラしてて、その分アモナスロからの扱われ方もけっこうぞんざいに見えて、ああ彼は妾腹の息子とかで跡継ぎではないんだな、正統な王女のアイーダの方が大事にされてるんだな、って感じがしましたが、ずんちゃんはずっとマイルドでノーブルなウバルドを演じていて、心なしかアモナスロも優しい気がするのです。
 だからゆりかウバルドみたいな野卑な、自爆ありきの狂気じみたテロリズムとかではなく、正統な王子が国家再生のために真剣に立ち上がっているような、凛々しさやある種の清々しさすら見える気がしました。それはそれでアリなんじゃないかなーと思いました。
 ただ、エチオピア三兄弟の差異が、あまり出ていない気もするんですよね…これは、贔屓目もかなりあるかもしれませんが。声も意外とみんな似ている気がする。本公演では、ゆりかは深くあっきーはシャープで、りくは甘くてバランスがよかった気がするんですよね。
 りくカマンテが私には物足りないのかもしれません…これまた贔屓と比べてるんだからあたりまえだし欲目で申し訳ないんだけれど、ギラギラさが足りない気がするというか、どうしても優しげに見える気がしました。あと、歌がやっぱりなかなか上手くならないよねえ…ルドルフが控えてるんだからがんばってくれー!
 「神の許し」のダンスなんかはすっごくシャープでコンパクトで、同じ振りを踊ってても全然違う…!とおもしろかったのですが。あと階段、もっと高いところまでいってましたね。
 モンチのサウフェがまた歌が上手くて、そして特に優しいとか弱気だとかの役作りをしていないように見えました。だから余計に三人ダンゴに見えてしまう気がしました。
 このあたり、何度も言いますが私の目は曇っていますし、これから一番変わってくる部分なのではないかと期待しています。楽しみです。

 そしてしーちゃんアムネリス。
 私は新公ららたんはかなり健闘していたと思っているのですが、それでも歴代アムネリス、つまりダンちゃん、新公ウメちゃん、ゆうりちゃんにららたんと並べたらやはり初めての、と言わざるをえない歌上手のアムネリスがついに降臨…!でした。とっぱしの「♪ああ、あなたのまなざし」からしてすでにまろやかで、全然違う…!と仰天しました。音程が確かで美声で歌詞も明瞭、素晴らしい。
 ただ、芝居歌になっているか、感情が伝わるか、ドラマチックかと言われると、これは場数の問題もあるかとは思いますが、ゆうりちゃんに一日の長があったかと思います。これまたゆうりちゃんの芝居が好きな私の贔屓目かもしれませんが。ゆうりちゃんアムネリスは、歌はからっきし下手だったけど、ハートのあり方が的確だったと思うのです。
 しーちゃんは、もちろんあえての役作りなのかもしれませんが、王女としての大芝居とう点からは物足りない、と私は感じてしまいました。高貴さとかプライドの高さとかわがままさとかがあまり見えなくて、わりとフツーの思慮深いお嬢さん、くらいになっている気がするんですよね。でもアムネリスってやっぱりこの作品の裏ヒロインだから、というか裏主人公だから、フツーじゃ弱いのではないか、と思うのです。
 この人がファラオになって、エジプト大丈夫かいな、という気もしました。また愛ゆうりほどケペル→アムネリスを感じなかったので、ケペルちゃんと王配になってあげて支えてあげてー!って気がしました…
 ただ、四回目に二階席から全体をゆっくり観る見方をしていたとき、ああけっこう強さが出せているんだな、オーラ出てきたな、とも感じたので、これもこれからの進化に期待したいと思います。

 さてではそのあっきーケペルですが。
 私はカマンテのときと同じ過ちを繰り返しましたよ…あのときも私は、あっきーが役に求められるよりも優しくしか作れないのではないか、と心配しました。そして杞憂に終わりました。登場時のカマンテの暗い目にシビれました。
 今回も、お稽古場映像とかを見て、凱旋センターなんかも両脇のかけるともえこが精悍に獰猛にやっていてやっぱりあっきーはロイヤルでノーブルだなあ、とか思ってこっそり心配していました。そしてそれはまた杞憂に終わったのです。なんと学習しない私であることよ…でもでもそれは、贔屓を信用していないとかじゃないのです、ただただ私が心配性なだけなのです、すんません。
 登場時の、ウバルドたちが殴る蹴るされている様をただちろんと見下すケペルの瞳の怖さと美しさに、シビれました。
 あっきーケペルは、ギラギラガツガツプンスカしていました。そして正しいケペルだったと思いました。愛ちゃんをあまり見ていなかったので(すすすすみません! ホラ、エジプトパートは基本的に精神的休憩タイムだったから…)比較ができないというところがまた甘くて申し訳ないのですが、多分きっと全然違うんだと思います。
 ウバルドたちが殴る蹴るされてるのに加わりもせず、ただ冷然と見下している様子が、その怜悧な美貌ゆえに非情さが増して見えるという恐ろしいことになっていましたし、戦場でのラダメスとのやりとりもかなり好戦的で、待たされて歌っている間もかなりイライライカイカしていて、喧嘩っ早い武闘派だなーという感じがよく出ていました。本当に戦場ですべてを学んだ、戦場でしか生きてこなかった、単細胞な武人っぷりを感じたのです。
 でもラダメスが将軍やファラオの婿に選ばれたときには、すごーく嬉しそうに喜ぶ。俺の方が、みたいなところが全然ない、裏表のない感じ。その単純さ、さっぱりした性格してそうな感じもイイ。
 そして多分、ラダメスより少し年上設定をしてるんじゃないでしょうか、「♪そうとも、時代は変わった」のくたりもすっごく兄貴風を吹かしている感じがしましたし、「すなわち」って台詞の言い方なんかがすごく上からっぽく感じたんですよね。こうきたか、と新鮮でした。
 対照的にラダメスが思慮深く穏やかな好青年に見えるので正解だと思いますし、エジプト戦士のあり方としても正しいのだと思います。エチオピア勢が本公演よりより素朴で心温かな人々になったのに比べて、エジプト側は綺麗でノーブルで洗練されていて、でも実はギラギラガツガツしていて野蛮で獰猛だ、というのは対比として効くと思うのです。こういう国だから侵略戦争を仕掛けるのだし、平和な明日は遠い、それでも…といのが、この作品のテーマだと思うからです。
 こんな強さが、怖さが、恐ろしさが出せるようになるなんて…ともう謎の感動で泣きそうでした。だって素の本人は本当に本当に優しくていつもにこやかでいい人なんだもん。
 いつもいつも信じてなくて心配ばかりしててすみません、と謝りたいです。信じてついていきたいです、と強く言いたいです!
 いいケペル、新しいケペルでした。

 なのでもえこがこれまたあまり見られていません、すみません…
 私はずんちゃんはけっこう好きで、だからメレルカはけっこう記憶はあるんですよね。愛ちゃんケペルに比べて理知的に作っている感じとかが好きでした。
 それからすると、もえこのメレルカはどうかな…凱旋で、マントをつけて出直してきてからはあっきーケペルはけっこう笑っているというか、不敵な、傲慢な笑みを浮かべているのですが、もえこメレルカはにこりともしていないことが多くて、それは勝利に驕っていないということでとてもいいなと感じているのですが、あとはやはりまぁ様との学年差も障っているのか、まだあまり親友感が出ていない気がするんですよね…だったらもっと年下感、弟感を出しちゃう作りでもいいと思うんだけど、またヘンにおちついて見えちゃうタイプだからなー。これからかなー、これも今後に期待。

 最期に、主演のふたりを。
 まぁ様は、初日こそ歌がケロッたり辛そうに聞こえる部分がありましたが、かぐにチューニング完了して、ラダメスでの歌い方を取り戻した感じでした。
 そしてやはり一年たって、ちょっとおちついた、若いは若いけど優しくもしかしたらちょっと物静かそうな、心温かな好青年になっている気がしました。
 仕事は軍人だし、能力もあるし、戦うことに疑問を持ってはいないけれど、でもかすかな違和感をずっと抱いていて、そこにアイーダが現われた…という、描かれていないドラマが十分窺えました。あいかわらず素敵です。
 みりおんは、私は特に変化を感じなかったかなあ。もともと上手い人だからな、というのはありますかね。

 というワケで、ホント贔屓目全開で申し訳ありませんが、楽しく通いたいと思います。千秋楽後に、また感想をまとめる予定です。





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宝塚歌劇宙組『ヴァンパイア・サクセション』

2016年05月08日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアタードラマシティ、2016年5月4日12時。

 時は現代。2015年のニューヨークに、ヴァンパイアのシドニー・アルカード(真風涼帆)が蘇る。700年に渡って眠りと目覚めを繰り返すうちに、「退化という名の進化」を遂げ、生き血を求めて人を襲うこともなくなっていた。それどころか、かつての敵であるヴァンパイア研究家の末裔ノイマン・ヘルシング(愛月ひかる)と友情を育み、記者兼小説家であるヘルシングにこれまで見聞きしてきた様々な出来事をネタとして提供していた。ある日、ヘルシングの小説出版記念を兼ねたハロウィン・パーティーに参加したアルカードは、歯科医を目指す大学生ルーシー・スレイター(星風まどか)と出会うが…
 作・演出/石田昌也、作曲・編曲・録音音楽指揮/手島恭子、振付/御織ゆみ乃。全2幕。

 プログラムの作者の「カミング・アウト」を読んで、嫌な予感はしていたんですよね…
「2.5次元男子、BL、韓流の知識が薄く、アニメ・コスプレ・ゲーム好きの友もなく、長年虚構の世界で禄を食んでおりますのに…ツノの生えた鬼、羽根の生えた天使の類を描くのが苦手で…昨今流行りの演劇感覚から”置いてきぼり”を喰らっております」
 …苦手なら、興味ないなら、くわしくないなら、萌えがないなら、無理してモチーフにすることなかったんじゃないの? 作家として恥ずかしくない? 好きな人に失礼だと思わない? 不勉強を居直るのってクリエイターとして終わっていると思うし、そんなことわざわざ言わずに、書ける題材で、書きたいものを書けばいいじゃないですか。ファンは誰もアナタに吸血鬼ものを書けなんて強要していないよ?
 それとも強要されたのでしょうか? 真風主演の小公演で、吸血鬼もので、石田先生に、という、三点セットの劇団リクエストだったということですか? だとしたら劇団がアタマおかしいとしか思えませんよね。無理強いしてる、負け戦を仕掛けたってことですからね。これが成功していたら、してやったりとか新境地開拓とか狙いが当たったとかいばれたのかもしれませんが、失敗してますよねコレ? というか作家自らがこんな泣き言、言い訳を書いてる時点で成功するわきゃないってことですよ。新しいものが生まれる可能性、成功の可能性があるなら賭けてみてもよかったとは思うけれど、この言い訳はないよ、勝つ気なんかないってことだもん。だったら石田先生がもっと得意なフィールドで書けばまだ勝負になったんじゃないの?
 それとも、モチーフがどうとかジャンルがどうとかじゃなくて、石田先生にはもう書きたいことがないのかもしれないな…だってこの作品、そういう設定部分と現代用語の基礎知識みたいな部分を取っ払ったら何もナイですよね? だから観た人みんながストーリーを語らないんですよ、だってストーリーなんかないんだもん。キャラクターもドラマも何もないんだもん。現代風俗に関する作家の浅薄な料簡が散発しているだけで、お話になっていません。だったら、誰も読まないだろうけどエッセイでも書けばいいのでは…SNSとかさ。
 ヴァンパイアが人間になりたがって、本当に愛する人ができて、その人からも愛されたら人間になれる、ってどこの野獣だよって設定ですかまあそれはいい、とにかくそういうことらしく、そんなわけでとある少女と出会ってくっつきました、人間になりました、おしまい、ってだけのストーリーが、きちんと作れていない。これはつらい作品ですよ…
 石田先生にだって以前はもっとマシな、イヤおもしろい作品だってあったじゃん…やりたいことがきちんとあって、宝塚歌劇としてギリギリかもしれないけれどちゃんと成立している作品だって、過去にはあったじゃん…どうしちゃったの? 枯れちゃったの、耄碌しちゃったの? なら引退して? つきあわされる生徒がかわいそう…生徒は定年まで劇団にいられる座付き作家と違って、ずっとずっと短い現役生活の一瞬一瞬を勝負していかなきゃならないんですよ?
 最初から期待なんかしなきゃよかったのに、ともけっこう言われましたが、私はそういうことはできません。というかしたくない。タカラヅカだからおもしろくなくてもいいとか、多くは望まなくていいとか、そんな考え方は私にはできません。ちゃんとエンターテインメントとして成立していてほしい、オリジナルの劇創作として一定以上のクオリティを持っていてほしい、つねに新規ファンが呼べる出来であってほしい、興行的にも成功していてほしいのです。だって素人じゃないんですから、商売なんですから。現状儲けが出てるんだからいいでしょ、じゃなくて、クリエイションとしてより高みを目指してほしいのです。でないと新世紀マジつらいって! 望み過ぎなのかもしれないけれど、私は求めたい。最初からあきらめて、「いいよ、つまんなくても、くだらくなても」なんて気持ちで劇場に出かけていきたくないのです。プライドを持ってお仕事していただきたいです。
 ホント、めんどくさいファンですみません。ここまで書いておいてなんですが、ご不快な方はお読みにならないでくださいね…

 でもなあ、一幕終盤まではホント、こら論評に値しないや、とほとんど放り出した気分だったんですけど、ラストは急にシリアスに盛り上げやがって!と思いつつも、そういうドラマをもっとちゃんとやればいいんじゃない!?と目が覚めた気分になりましたし、二幕もちょこちょこ見どころはあって、あああもったいないよおぉ、だったらもっとさあ…!とアレコレ言いたくなったのだから、私も甘いなと思うのです。
 だからやっぱりアレコレ言いたくなりました。改善案を模索したくなりました。でも企画段階だったら、全没にした方が早いと言っていたと思うけれどね。
 というかこんなのこのまま通しちゃだめだよ、もっと練ろうよ、誰か口出そうよ、だってゼッタイおかしいじゃん!!!
 今話題のテレビドラマ『重版出来!』見てないの? まああれは漫画原作だけどさ、その漫画からして、とにかく世に出る雑誌に載ってる漫画ってプロットからネームから下絵から何度も何度も漫画家は担当編集者と打ち合わせして直すんですよ? ちょっとでも良くしようと他人の意見を聞くんですよ? そういうの、必要だと思いますよ?
 おそらく初期になんとなく思いつきで並べた、ゴーストライター設定とか歯科医とか911とかの設定が全然機能していないのも観ていてつらかったです。真に書きたいものがあれば、ストーリーを練るうちに不必要になった設定などは捨てていけるのに、それがないからできていなくて、ますますワケわからなくなっちゃっているように見えました。
 石田先生は仮にも作家なのに、アルカードにゴーストライターをやらせているヘルシングがそれについて何にも考えていないことにしてよく平気ですね? …まあこの人のデリカシーのなさには慣れているつもりですけどね…
 アルカードが手を引いたらヘルシングの作品はまたつまらなくなって売れなくなっちゃうんじゃないの? そんなんでカーミラ(伶美うらら)を養っていけるんでしょうね? 彼女を幸せにしなかったら許しませんよ? あの愛ゆうりに一瞬ほだされてすべて許してやっていい、くらいは思ったんですからね!?
 それはともかく、彼らは14年とか友達だったんでしょう? その間ヘルシングだけが年をとっていたんでしょう? 男性にだって14年ってけっこう大きいですよ、その屈託を描いた方がドラマになったのでは?
 あるいはアルカードはやたら従軍したりレスキュー隊に入ったりしているみたいだけど、それはヴァンパイア自慢の体力を使った人類への貢献なのかもしれないけれど、そこで戦争を繰り返す人類の愚かさに悩むとか、そういうドラマも作れたのでは?

 何より、ルーシーとのラブストーリーがまったく見えないのがつらかったです。
 アルカードはルーシー以外にもたくさん人を助けてきたんじゃないの? 彼女の何がどう特別だったの? なんでルーシーは犬笛を持ってたの?
 このロマンス部分がどうにも弱いのは、宝塚歌劇として致命的ですよ。あと、まどかは達者だけれど娘役スキルはまだまだ足りなくて、現状はただの若い、可愛いだけの女の子にすぎないと私は思います。それは宝塚歌劇の娘役ではない、お芝居のヒロインではない。劇団は、作家は、要するに男は、女は若ければ若いだけいいと思っているのかもしれませんが、観客の大半を占める女性はそんなふうには考えていません。嫉妬と言いたければ言えばいい。でもゆりかがロリコンに見えてカッコよく見えないのがイヤだから、これじゃダメだと言っていることをわかっていただきたいです。まどかに場数を踏ませるための修行なのだとしても、だったらなおさら、もっとなんとかなる役なり作品なりを与えなくちゃダメです。若いんだから等身大の女子大生の役を与える、とか、演劇ナメてんのかって話だと思います。

 あと、観客には妙齢、というか老齢のご婦人も多いんだから、その方たちが舞台を観てくれるからアナタたちの給料は出てるんだから、中途半端に介護とか老後とかお墓とかの話を出すんじゃありませんよ。デリケートな問題なんだから、安易に触れられてもみんなが不愉快になるだけなんだから。
 そこに、作者にどこに出て喧嘩してもいいというだけの見識があるならともかく、今っぽい問題だからって程度に飾り程度に出してるようなものじゃないですか。そういうの、失礼です。ホントやめてほしい。
 あとアルカードにマーサ(京三紗)を「マーサおばあちゃん」とか呼ばせるのもやめてくれ。アルカードの方が年上なんだし、彼は女性をちゃんと「マーサさん」と名前で呼ぶはずの人です。こういうダーイシのデリカシーのなさ、あるいはわざとやっているのであろう幼稚な底意地の悪さが本当に本当に大嫌いです。
 あと、たとえゆうりの台詞でも、女性観客が大半の宝塚歌劇の台詞で安易に「ブス」とか出すなボケ!!!!!
 いちいちうるさいと言われようと、言わなきゃわかんないんだろうから私は言います。
 人種差別とか、宗教とか、専制国家とか、軍事企業とか、ネットのプライバシーとか、そういうの全部ホントいらない。やるならきちんと扱わなきゃいけない題材で、なんとなく触っていいものではありません。

 私にはサザーランド(華形みつる)の立ち位置が最後までよくわからなかったんだけれど、アルカードをつけ狙うような、それでいて最大の理解者でもあるような研究者、ということであれば(それは本来はヘルシングの役回りだったわけですが)、もっとおもしろく使えたのではないのでしょうか。
 アルカードにとって避けたい、けれど避けがたい相手で、執拗ででも純真な人間で、手間暇かかる研究を完遂するには寿命が足りなくて、でも病気で余命いくばくもなくて、だからアルカードが折れて、永遠の命を授けてあげようとする…とか、もっといいドラマになったはずなのになあ、と歯がゆいです。なのに彼はもう人間になっていて、サザーランドも死を受け入れて微笑んで死んでいく…とか、アリだったかもしれないのに。
 長生きに飽きて、死にたい、死ぬ人間になりたいと言っていたアルカードがあっさりサザーランドを噛もうとするとか、おかしいやろ意味不明やろ。
 まあそれで言ったらアルカードがルーシーを噛もうとするところも全然理屈が通ってなくて、だから全然萌えないんですけれどね。ああヤダヤダ、ああもったいない。
 あと、さおもあゆいってなんだったのでしょうか…あれはどういう演出なのでしょう? ふたりとも秘書かつ愛人なのでしょうか? 私はオリーブ(愛白もあ)の方だけがベタベタしてて、ジャスミン(結乃かなり)はそれをみっともないと思ってやめさせようとしているのかと思ってたのですが、ハーマン(美月悠)はジャスミンにもベタベタしますよね…そんな両手に花、男の夢かもしれないけれど宝塚歌劇で生徒使ってやられると私はすっごい不愉快でした。『太陽王』フィナーレのイタいトリプルダンスを思い出しました。
 さおファンが喜ぶだろとか、サブキャラだからええやろ悪役だからええやろってことじゃないと思うんですよ、外部のお芝居と違うんですから。宝塚歌劇の出演者はすべてスターですべてファンがいて、中の人はみんな女性なんですから! 女が一夫多妻とか望むワケないだろう!!
 ホントーにホントーに、疲れた観劇になりました…

 でも、ライトに楽しめました、という方がいたのなら、それはもちろん正解だとも思っています。

 かなことりらの美貌の無駄遣いとか、そらの便利使いとかにも私は胸が痛みました。
 マキセルイ完全復活は喜ばしかったけれども!

 愛情を持ってリピートすればまた違う見え方もしてくるのでしょう。でも私は現状、振り分けがこっちでなくてよかった、うっかり神奈川を追加しなくてよかった…!と心底思っています。
 狭い見方しかできないファンで、本当に申し訳ございません。
 だがダーイシには謝らん!






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