駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『僕とナターシャと白いロバ』

2021年02月08日 | 日記
 浅草九劇、2021年2月4日18時半。

 一時、熱く愛した詩人ペクソク(東山光明)を忘れられず、一生恋しく思いながら独身を貫いた妓生のジャヤ(この日は月影瞳)。「私のように卑しい女性をひとりの詩人が愛し、ナターシャにしてくれたのだから、自分は喜んでそのように生きる」と、彼と彼の詩に一生を捧げたジャヤと、彼女の記憶の中に溶け込んでいるペクソクの物語。
 Book by Park Hae Rin、Music by Chae Han Wool。上演台本・訳詞・演出/荻田浩一、音楽監督・歌唱指導/福井小百合、振付/港ゆりか。韓国人なら誰でも知っている、国民的詩人ペクソクとその恋人ジャヤの悲恋の韓国ミュージカルを日本語上演。全1幕。

 舞台と客席の間にビニールカーテンが下げられていて、そりゃ狭い会場だし感染対策してくれるのはありがたいのですが、舞台と客説の距離は普通程度にあるし、歌唱で唾が飛ぶったってちょっと神経質すぎるのでは…光って見づらいのでは…と懸念していましたがやはり角度によっては見づらかったです。役者が正面に来るとクリアに、ビニールの存在をほぼ感じない程度に良く見えましたが、斜めになると紗がかかったように見えました。内容が、記憶や回想を表現するような幻想的と言っていいミュージカルなので、もしかしたらある程度いい効果になっていたのかもしれませんが、私はぶっちゃけストレスを感じましたね。でも、ここまでしても上演するのか、それともいっそ取りやめるのかというような問題には、正解がないものだと思うので、仕方ないと言えば言えますね。とはいえ一応、言及しておきます。
 韓国ミュージカルには「マルチマン」と呼ばれる、何役をも演じ分けるような存在がいることが多いそうで、今回は伊藤裕一がそれにあたり、ペクソクの詩を朗読したり、ペクソクの親や知人などを演じていました。彼が黒いスーツ姿で、ペクソク役は白いスーツ、ヒロインのグンちゃんはピンクのチマ姿で物語は始まります。
 でもなんか、朗読からその作品世界へ、そして実際のペクソクとジャヤのエピソードへ…とあわあわ進んでいく、舞台らしいっちゃらしい展開なんだけれど、キャラの名前すらきちんと語られないままにスルスル進んでいくので、私はわりとのっけからおいてけぼり感を感じました。ふわふわ歌われる歌といい(しかしとても難しい楽曲だと思うし、役者は3人とも歌唱がめっちゃ達者でした)、わざとそう演出しているんだとは思うんですけれど、それこそビニールカーテンのせいもあって疎外感を感じたというか…思うに舞台って客席と地続きで、そこにいる生身の役者が演じているのに、時空を越えたこの世ならぬものを表現してくれるから惹き込まれるのであって、境界を示すカーテンなんか下げちゃったらそれで終わりなんじゃなかろうか…
 あと、全体に、ジャヤの回想なのか想いなのか、はたまた捏造された記憶、ロマンスなのかよくわからないようになっているのですが、ぶっちゃけどんな事情があろうと男は女と結婚せず女は妓生にまで身を落として(とあえて言いますが。またわかりやすく赤いチマに着替えるんだコレが…)男を待った、という話なんだと思うので、どんなに美しい詩が生み出されまた当の女が幸せだったと語ろうと、ちょっと「ケッ」って気がしちゃったんですよね…こういうの、もういいよ、こういうのを美しいと持ち上げ消費するのやめようよ、もっと別の愛の物語が他にいくらでもあるだろう、なければ新しいものを紡いでいこうぜ、とちょっとやさぐれるように考えてしまったのでした。
 でもグンちゃんは素敵でした。ちょっとおっとり訛った様子もいじらしい。私はトップ時代はあまり観ていなくて花組下級生時代の方が印象が強いくらいで、なので別に歌の人だと思ったこともないくらいなのですが、歌も演技もとてもよかったです。老け芝居とかもとてもよかった。
 韓ドラにハマっていたとき、あのお膳が欲しくてソウルでけっこう探したんだけど、いいのがなかったし運んでこられなかったろうな、とか思ったりしました。

 この会場、クリスマス前にコマを観に来ましたが、そのとき浅草の人出がけっこうあって、みんなフツーにデートしたり観光したりしている様子で、ちょっとオイオイとなったんですよね。そのあと緊急事態宣言が出て、今回はさすがにガラガラで店も閉まり、夜はゴーストタウンのようでした。寂しいけど安心もしました。でもやっぱり観劇もデートも観光も一律に不要不急じゃないと言う人はいると思うので、難しい問題ですよね…なかなかわびしいお出かけとなりました。





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