駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

シス・カンパニー『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

2017年11月12日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 世田谷パブリックシアター、2017年11月11日14時。

 表か裏か、コインゲームの賭けをしながらふたりの男がぶらぶらと旅をしている。彼らの名前はローゼンクランツ(生田斗真)とギルデンスターン(菅田将暉)、デンマーク国王クロ―ディアス(小野武彦)から直々に火急の用事で呼び出されたのだ。そのわりにまったく急ぐ様子のないふたりだったが、宮廷エルシノア城についてみると、国王から下された命令は王子ハムレット(林遣都)の様子を探ることだった。ふたりはハムレットの学友であり、最近すっかり正気を失ったように見える王子の真意がどこにあるのか探り出してほしいという重要な任務だったが…
 作/トム・ストッパード、翻訳・演出/小川絵梨子、美術/伊藤雅子。シェイクスピア『ハムレット』のスピンオフとも言える、ベケット『ゴドーを待ちながら』などの流れを汲む不条理劇。1966年初演、1969年日本初演。全3幕。

 私はもしかしたらちゃんとした『ハムレット』を観たことがない気がします…ヤンさんが卒業後わりとすぐに男役(?)として演じた舞台と、まさおの『HAMLET!!』くらい…?(このときのロゼギルはすーさんとちなつ) でも一応ストーリー概要は知識としては知っています。
 この作品に関しても、『ハムレット』本編に出てくるけれどどっちがどっちか取り違えられるような扱いで、途中からは出てこなくなったあげくに「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」という台詞での報告だけで片付けられてしまうキャラクターふたりを主人公にした、スピンオフ企画の先駆けみたいな作品だ…ということは知っていました。ただそれが、「"存在"についての疑問や不安、不確定さを描く、いわゆる実存主義的な作品」だということは観に来てプログラムを読んで初めて知りましたし、『ゴドーを待ちながら』も概要しか知らず観たことがないままの状態での観劇でした。
 私は舞台には、というか物語には、創作作品には、理屈とかドラマを求めますし、ある種の志のもとに生きているキャラクターの生き様なんかを求めるタイプなので、ふたりがただふらふらぶらぶらしている様子を積み重ねるだけみたいなこういうタイプのお話はどちらかというと苦手です。『ハムレット』本編同様の場面があったり旅役者一座による演劇的なギミックがあったりするのはおもしろいし、ロゼギルの漫才みたいな掛け合いやそこからほの見える哲学的な問答、みたいなものも興味深くはありました。ただちょっと眠かったり退屈したりしたことも事実です。
 でもこういう舞台って、最後の15分くらいのためにずーっとずーっとこういう場面を積み重ねるのだ、ラストのためにこういう部分が必要なのだ、という構造になっているんですよね。あざやかでした。
 ふたりはふらふらぶらぶらしながら王の命令どおり手紙を携えてイングランドに向かっていきます。途中で手紙を開封して、内容が友人のハムレットを殺せという命令になっていることを知っても、何かをどうにかしようとはせずただ旅を続けてしまうし、その手紙の内容が書き換えられて自分たちを殺せというものになっていることを知っても、驚くし慌てるし騒ぐんだけれどもでも、やっぱり旅を続けてしまう。イングランドに着いたら王に会って手紙を渡し、そして殺されるのでしょう。だって『ハムレット』本編にそう書いてあるのですもの、彼らはその登場人物にすぎないのですもの。だから彼らには今さら何をどうすることもできないのだ、というのがその理屈です。
 確かに彼らは今までもふらふらぶらぶら流されるように生きてきて、主体的な行動をとったことなど一度もないのかもしれません。だからことここに至ってもやっぱり主体的に何かをするとか選択するとかはしなくて、運命を受け入れてしまう。どうせ人は必ずいつかは死ぬのだし、自分で選べないのだとしたらこのままでも同じ、ということなのでしょう。乗っていれば船は進み、いつかは目的地についてしまう。運命の輪は巡ってしまう。ロゼはそれがなんであれ素直に従い受け入れてしまうようなところがあるし、ギルもああだこうだ言うんだけれど結局は相棒に合わせてしまうようなところがある。だからふたりは最後までセットでコンビで一緒くたで、どっちがどっちか自分たちでも混乱するようで、そしてふたりで死んでしまう、のでしょう。
 よかないよ? 全然よくないよ。人は誰でもいつかは死ぬのだけれど、誰だって死にたくないのもまた真実でしょう。このふたりがいくらふらふらぶらぶらしていたってそれは同じはずなのです。でも本編にそう書いてある、今回の芝居だってタイトルからしてそもそもそうなっている。だから抗えない。これはそういう話なんだと思います。なんてひどいんだ。実存主義なんてくそくらえよ!
 でもだからこそ、たまたまだったのかもしれないけれど、ふたりでよかったな、とも思いました。ふたりなら寂しくない怖くない、なんてことは嘘で、人はひとりで自分の死を死ぬしかないのだからそんなのは詭弁だってこともわかっています。でもせめてふたりだったのでマシだった、よかったと思わないではやってられないじゃないですか…なんてひどい話なんだ、なんてひどい作品を作るんだこの作者は。
 これはストッパードの出世作だそうで、私は『アルカディア』はあまりピンとこなかったけれど、これは観てよかった、知ることができてよかったと思えたのでした。
 しかしラストの暗転のせつなさといったらなかったわ、泣きたいくらいに鮮やかな闇だったわ…
 戯曲としてはもっとシニカルでドライなんだそうですが、今回の演出家が「情緒的な余韻」を欲した、というのは正解だったかなと私は思いました。
 私が好きな、芝居が暗転で終わって暗いうちに役者がハケて、舞台が明るくなったらそこは空になっていて袖から役者が出てきてラインナップ、というパターンだったので、とても心地よく拍手できました。最近だと『危険な関係』ばりに、自然にスタオベしたい舞台でした。

 生田くんは私は『かもめ』とかで見ているかな、菅田くんは舞台では初めて見ました。私はテレビで見る男優さんはなんとなく実物をもっと細く小柄に想像しているようなところがあって、舞台で本物を観ると意外にちゃんと上背があったり肉厚な体を持っていたり大きいことに驚くのですが、このふたりもそうで、全然ほっそりともひょろひょろともしていなくてちゃんとどかんとした身体性を持った役者で、よかったです。
 本編ほどには色悪でないクローディアスとガートルード(立石涼子)もよかった。また、オフィーリアとホレーシオが同じ安西慎太郎、というのもちょっとおもしろいなと思いました。
 ハムレットは、よくわかりませんでした…でも船上で完全にバカンスを楽しんでいたのがなかなかよかったかな。
 おもしろい舞台でした。









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