駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)

2017年01月14日 | 乱読記/書名か行
 36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後就職せず、コンビニのバイトは18年目。彼氏なし、日々食べるのはコンビニ食。コンビニこそが彼女を世界の正常な部品にしてくれる…第155回芥川賞受賞作。

 おもしろくて一気読みしました。おもしろい、という言葉はちょっと違うのかもしれないけれど。でも興味深い、とかだとなんか他人行儀というか。
 私にもこういうところはあるし、おそらく作者にもそういう部分はあって、それをこういう作品にきちんと仕立て上げられるから作家なのだろうな、とか考えました。というかみんな、意識的にせよそうでないにせよ、世界とチューニングを合わせて生きている。スムーズに世界の部品になれる人とそうでない人とがいる。部品になる、という言い方がアレなら、世界の一部になる、とか言い直してもいいけれど。
 ヒロインが白羽さんと安易につがいになるような展開でなくてよかったです。そういうことではないと思うので。みんななんとか世界の部品になれたとしても、縄文時代のムラの人間のオスとかメスとかになれるかどうかとかなるべきかどうかとは全然別のことだと思うので。こうして人類が、そして世界が死滅していくのだと思うので。
 ヒロインは簡単に言えばある種の障害が診断されるようなものなのかもしれないけれど、顕在化しているだけではなくてやはり数が増えているのではないかと思います。社会がもっと豊かで贅沢なうちにそこまで寛容が広げられなかったのは、やはりそのころはまだそこまでこの種の少数派がごくごく少数しか存在しなかったからなのではないでしょうか。そして社会が貧しく不寛容になるのと並行して、少数者の顕在化、あるいは拡大化が起きる…
 けれどその数が逆転することはない。サッカーをやる子供の数が野球をやる子供の数を超えました、みたいなものではないから。多数者は多数者であり続ける。でもそれは本当に純粋にたまたま数が多いというだけのことで、それが「普通」であるとか「正常」であるとかとは一切関係がないのです。常に混同されがちだけれどね。
 ヒロインは家族のために「治りたい」「普通を学びたい」と思っていて、コンビニがあればそれが現状ではできている。それでいい、というだけのことが文学作品になってしまうこの世界が恐ろしい。
 でもそれが、私たちの生きている世界なのでした。

コメント
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